先日思うところがあって名前を「おとり」から「みずち」と改名した。


みずちとは「蛟」のことである。


私には本名というものがもちろんある。本名とかけ離れた名前「おとり」にどうしてなったのかというと。。。。


私の中につい最近までもう1人の小さい子供がいた。


それが「おとりちゃん」だった。その「おとり」は死んだ母と共に生きていた。


この話しは以前、からだはうす通信「jizouの眼」にも少し書いたことがある。 そのjizouの眼で私は「おとり」を成長させるために、死んだ母、道江の事を書きつづけていった。


30数年近く、夢の中でいつまでも母と癒着し、母の作ったご飯をたべ、生活するという母からの、、、いや自分自身の呪縛から逃れられなかった小さい子供のおとり。


だから現実の生活ではほとんど食事をせず、夢の中で食事をしていた。夢の中の食べ物は本当に美味しい。舌がとろけそうになるのだから・・・寝ることが楽しみで私は毎日夢の中で生きていた。


現実ではただただ動き、日々の作業をこなす・・・・・ココロは空虚であった。 私のココロは未熟であったが、社会性に長けていたので、生きるということに関しましては問題はなかった。 表面的には普通の女性としてイキイキと何の問題もなく生活している風であったが、内実は違っていたのである。


生きることに絶望し、死にたいと毎日思っていた。ココロは枯渇していた。


色々と経緯があるが、やはりこれは違うと思い始めたのだろう・・・・・


道江はアル中で気が狂い電車に飛び込んで死んだ。そのことはずっとココロの奥底に隠してきた。もう考えても仕方ない。終わったことだから前を向いて生きるしかないと思い込んでいた。


でも違った、思い出さないといけないのである。


隠していてはいけないのである。


私の中の小さい子供「おとり」と母、道江の事を意識化し、表に出すことで徐々に変化していった。


おとりと母、道江を表舞台に立たせたのである。 「親を超える」ということに全力を尽くした・・・・そして数年前、母の事は一つの区切りがついたのである。   つづく