今の心のモヤモヤや苦しみは、昔に受けた心の傷のせいではないとすれば・・・・


どれだけ自分の心をひも解いて傷を受け入れ、許し、納得しても、その苦しみがなくならない・・・・


今の状況のもどかしさを、あたかも昔の傷の責任にして、苦しんでいるということである。なんとなく納得できる話である。


そうそう人は今が幸せだったり充実していたり、忙しかったりすると昔の事を引きずってはいられないものである。


私のバカ母、道江はホステスをしているときに知り合った、ある呉服問屋の男と知り合い(もちろん妻帯者)私を身ごもり生んだ。


その男は私を認知もせず、ホステスの母と私を捨てた・・・ようだ。よくは知らないけど。


そしてバカ母、道江は生まれてすぐの私を自分の姉のところに預けた、その後どういう経緯か知らないが、今度は自分の父親とその愛人の住む福井県のド田舎に預けた。


その祖父は警察あがりの恐ろしく厳格な人格で・・・その割には自分は愛人と住んでいる。


ただその愛人、タマコは足の悪い人でとってもやさしい人であったのが救いだった。よく祖父には理由もなく頬をつねられた。


それからも悲惨な家庭状況が続く・・・・のだが、かいつまんで話すとバカ母、道江は相変わらずホステスを続けて、今の私の戸籍上のアホ父と知り合い結婚、私を迎えにきた。


3歳くらいか・・・・な~


それからしばらく幸せな日々が続いた・・・が!そのアホ父が小夜子というホステスの愛人を作り家にあまり帰ってこなくなった。


それが原因でバカ母、道江は酒に溺れ、アル中になった。家の中は修羅しゅしゅしゅ・・・


その時の修羅シュシュシシュの話を少し書いてある記事があるので、ブルーな気持ちになりたい人はどうぞ

http://members.at.infoseek.co.jp/doragon_t/index-otori.html#otori1


アル中専門病院に入退院を繰り返し、挙句の果てに同じアル中病院の患者と(もちろん男)脱院(刑務所で言うと脱獄)


同じアル中同士が一緒になってもすぐに破綻がくる。


毎日ぼこぼこに殴られて、バカ母、道江は阪和電車の線路の上に座り、電車に轢かれて死んだ。自殺というやつである・・・・


簡単に書くとこんな感じ。


中身はもっと悲惨、悲しく、虚しく、もどかしく、焦り、恐怖、恐れ、寂しさ、怒り、そんなものを毎日感じながら育った。


そして小さい弟や病気の祖父(←これはアホ父の父)、当てにならないアホ父の面倒を見ながら青春時代をすごした。


こんな人間失格バカ母、道江だが、やはり一番愛しいし、今、一番会いたい人である。


話が長くなってしまったが、なにが言いたいかと言うと、今も私の人生は決して上手くいっているわけではない・・・・破談も経験したし、ヤクザとも同棲もし、修羅シュシュシュになったし、ストーカーにもあった・・・今も裕福ではなく、実家からはことあるごとに金の無心をされる。


20歳から一切住んだことがない、実家のローンの契約者にまでならされた。その家の固定資産税もこの間払った。港区にいながら大阪の家の税金の請求書が配達されるのだ・・・・わけがわからん・・・・


友達もいないし・・・・カレもいないし・・・仕事も安月給で超忙しい・・・・ナイスバディでもなく容姿端麗でもない。


そしてもう42歳、普通の女としてと人生はもうたぶん無い。聞いていると悲惨でしょ(笑)


だけど一応自分の人生を納得している。これ以上もこれ以下もない。今の持ち駒で精一杯、毎日全力でやるしかないと思っている。


こんな状況でもなんだか毎日、楽しいし、喜びも感謝も沸いてくる。


気持ちいい毎日を過ごしている。


まあ昔の事に拘っていられない理由にはまず忙しいということがある。やることが一杯ある。だからだろうけど。。。。


私もとりあえず昔は心の探求に走ったことがある。


本を読んだり、セラピーやワークを受けて過去のことを掘り起こしているとなんだかやっている気になり、楽になるカギが見つかるような気になる・・・・人生が変わるような気になった・・・


ただどんなにやっても、あるところから進まなくなるのである。


これは命の根っこにある苦しみや心の傷は消えないという前提がないからだと思う。


そして心を変えても行動を変えないと変わらないのである。だけど今の偏った精神世界の戯言は意識一つで人生が変わると言う。


これは少し違うように思う。


思う→決める→行動する  


この流れがないといくら頭だけで分かっても変わらないのである。特に最後の行動するが大切なのである。


大切な大切な宝物(苦しみや傷)を捨ててしまう(消してしまう)のではなくその宝物を持ったまま、その宝物を糧にし、力にして今を生きることを決心する・・・・今に生きるとはそういうことなのだと思うのです。


こう書くととってもきれい事に見えるが、この宝物から出る力は決してポジティブなものだけではない。


行動力となる力の根本は怒りであったり、悲しみであったり、憤りであったりする。その負の力を生きる力に変えることが今を生きることなのかな・・・・


混沌とした現在の社会、自分ではどうすることもできずに、渦に巻き込まれることはある。


その不条理や理不尽な事は自分が変わらなくても、変わっても同じようにやってくる。その起こったことをどう受け取るかなのだろうな~


ほほほっv(⌒o⌒)vはははっヽ(^◇^*)/ と笑い飛ばせる力かな~♪