からだはうすや自分の会社にいて、最近思うことは迷っている人があまりに多いということである。


まあ私もその中の1人なのかもしれないが、楽になるための答えを外には求めたり、心の傷を消すということに焦点を絞ったりはしない。


しかし多数の人は外側に答えを求めて、自分の心の傷をなんとかしようとしているように思うのである。


そしてカウンセリングやワークなどをグルグル回って、自己分析力や心理学的な知識だけがどんどん増えていき、それにがんじがらめになっているように見えるのは私だけだろうか・・・


先日からだはうすでブレスワークがあり思ったことがある。


ブレスワークは変性意識状態となり心のカギををぶっ壊して無意識露呈させる劇的な方法である。
しかしそれは今の苦しみを楽にさせる鍵ではないし、心の傷を消すこともできない。


元々心の傷というのは消すことはできないものである。それをたぶん勘違いしている人が多いのではないだろうか。


傷を消せば楽になり、楽しいことがやってくるということではない。


心の傷を癒すのは人生の中でたくさん喜び、感動をすることである。これはニワトリが先が卵が先かの話になってしまうのだろうが・・・・・


心に傷があるがゆえに楽しめないし感動できないという人もいるだろう・・・この傷さえなければ楽しくなる・・・とでも何度も言うが心の傷を消すことはできないのである。


心の傷をエネルギーとして色々な体験を通して行動し、そこで感動しなければ心の傷は癒えないないのである。


自分の心の傷を理由に・・・盾に・・・・言い訳に使っている人がたくさんいる。


これがあるから私はこうなんだって・・・それはやっぱり違う。


そして心の傷を自分の盟友にしてしまっている節がある。私も同じである。ただ私はその心の傷を盟友にはしているが、言い訳には使わない。


私の中にある心の傷は、私を私としてこの人生を生きる上での力となってくれているのである。その傷から離れようとは今はしていない。


昔はそれをなんとか消去しようと楽になる方法ばかりを考えていた。でもそれはちと違っていたようだ。

今でも確かに自殺した母親や顔も知らない父親、そして今の父親や今の父親の彼女、そして種違いの弟、全てに憤りを感じ、腹が立つこともある。


小さい時に受けた悲しみや寂しさ、恐怖というものがなければなぁ~と実は思うこともある。


しかしそれは既に以前、消すことを諦めたことでなので、まあ思ってしゃーーーないかとやきもきはしない。


心の傷を癒したいときには、自分の心を分析することは程ほどにし、そして傷に焦点をあて過ぎずに、ちょっと横に置いて・・・・何かに集中して行動することで、傷は自然と気にならなくなるように思う。


それは無くなったわけではなく(無くならないので)悪さをしなくなり、反対に行動への力になってくれるはずである。


そんなこと言ってもできないから言ってるのだという言葉が聞こえてきそうだ・・・・


そうだよな~私もそう思った・・・・・でもな~本当のところはそれとサヨナラするのが怖いし、自分でなくなるよう気がしてたように思う。


でも反対に本当にサヨナラするんだぁ~!!とまるで一代決心のような大事にしなくても、、消したいと思っているものに焦点をあてないで何かに没頭しているときっとそれは自然に影をひそめるように思うのである。


でも盟友にしてしまうほどに大切なもの、気になるのは当然・・・・さてはて・・・それをちょっと横に置いておくにはどうしたらいいのか・・・・


私は生きるのに精一杯だったから、横に置かざるおえなかっただけで、意図したわけではないしな・・・・


それに私は心の傷があるがゆえに集中力という力をいただいた。だから現実にやらないといけないことに何も考えずに行動することができただけである・・・・


それに何をしていいのかが分からない場合・・・殆どが分からないかもしれない。そんな時にはどうしたいいのか・・・・


はてはて・・・・・