今の私しか知らない人が聞くと、びっくりするかも・・しれないが、私は「言わない」「やらない」というパターンがあった。本当の事を喋ることができない人であった。
それもほんの数年前までそうであった。見ざる聞かざる言わざる的志向を持ったいた。
言わないに越したこしたことはない・・・・・・
やらないに越したことがない・・・・・
言わない・・・・やらない・・・・じっと静かにいることが私が一番安心していられる場所。このパターンは小さい時に見についたものである。
周りの嵐から身を守るための技で、1人は嫌だけど1人が一番安全・・・・私のテリトリーに人が深く介入すると必ず恐ろしい苦しい悲しい寂しい・・・・現実が起こる・・・と思い込んでいた。
実際に起こったのだけど、必ず起こったということではないはず(今なら分かるけど)でも小さい頃に身についたものを、頑なに守っていた部分があった。
信用しても必ず私から去っていく、だからだれも信用しないという傾向があった。でもその強い思いの反面、人を信じる(信じたい)ことを強く欲していたことも確かである。
今から考えるとなんて恐ろしいことを無意識にインプットしていたのだろう・・・・さぶいぼがでるよ・・・・
人を信用しないと思っていると、必ず「ほらやっぱり信用できないでしょ!」という出来事が起こる。人を信用しないという思い込みを強化するための出来事を作り出すのだ。
言わないに越したことなんてあるはずない、言わないと大変なことになるし、やらないとまた大きな振幅でやらざるおえなくなる・・・・・
私は自ら人生に大波を起していたようだ。おーーー恐わ・・・・
そして体の具合が悪くなったり、体に溜め込むことになる。最近太ってきた私・・・・また溜めているのか・・・・いやこれはただの中年太りのようだ・・・・
発生したことは必ず表現しないと、また違う形で必ずやってくるし、その発生したことはが倍増していることもあるのだ。
私はまず「言わない」ということを止めた。自分の中に発生したことはできるだけ、言葉にして(でも言葉は選ぶけど)相手に伝えるようにした。
それで終わる付き合いもあるが、物事は明確にはっきりとする。
ちゃんと表現するということをするようになると、人間関係がある意味スムーズになる。そして自分の思いと格段外れたことをしなくてもいいようになる。
「私はこう思う」「私はこうである」ということを相手に伝えると、相手は勝手に、私の事を自分のフィルターをかけて想像しないからである。そして私自身も妄想しなくなるのである。
相手に言いたいことがある場合、もしかしたら相手が気分悪くするかなとか・・・・私の器が小さいと思われるかな・・・・とか思って口を閉ざしてしまうことがある。特に付き合っているカレに対して良くそういうパターンがあったのだけど・・・・仕事場でももちろんある・・・
そのまま言わずに心に溜めておくと、だんだん妄想が始るってことがないでしょうか。
私は心の中でその人にその言いたいことを言いつづけるということがはじまるのです。それって本当にカラダにもココロにも悪い・・・・
からだはうすに行くようになり、それがとってもよくないことだと教えてもらった。で、発生したものは表現するようにした。実際ココロの重さが取れた。
そして自分を明確にしておくと、嫌なことをしなくてすむようになる。だからと言って、やりたくないことをやらないというわけではない。来たものは必ず全力で対応はする。でも納得できた状態でやるので、そこに不服さは残らない。
溜め込まない、物事は流すということを良く精神世界で言われているが、これは自分自身の心の中だけで行なうことではなく、現実の世界に形として残すことで、昇華されるように思う。
そして次に「行動」という、もう少し高度な表現となっていくのだろうな・・・・