昨日大阪の公園内に居住していた、ホームレスの家の撤去が行なわれて、大騒ぎとなったようだ。


テレビの画面を見ていて、「やってるやってる」と食い入るように見てしまった。


私は以前西成の救急病院に勤めていた。患者さんは皆、西成のホームレスで入院患者はもれなくホームレス。


それはそれはすごいところであった。今はもうできないと思うけど、その時は病院に行くのが楽しみだった。


私が西成にいるときに大きな暴動があった。ホームレスと西成警察との交戦だったように記憶する。阪神大震災の前・・・・


釜崎一帯(西成区周辺)のあっちこっちに火の手が上がり、けが人が一杯でた。病院は野戦病院のごとく廊下にもたくさんのけが人が寝転がっていたことを今日のテレビを見て思い出す。


彼達は本当に面白い。彼ら特有の価値観を持っていて、私にはどうしても理解できないポリシーがある。

そのポリシーはいまだに根強く残っているようだった。


大阪にはホームレスの支援センターがある。それは今にはじまったことではなく、20年前から今の前身ではあるが、南港の方にあった。


長崎の出島みたいになっているらしく(患者さんが教えてくれた)そこに行くゲートは道1本しかないらしい。陸の孤島のようなもので出入りが自由ではない。


門限もあるし、酒も飲めない。トラブルを起こしたら直ぐに、強制退院させられる。結構厳しい規則がある。


自由気ままに路上生活している人間が、多数の入居者と協調しながら共同生活し、また規則にしばられ毎日を過ごすことなんてできるわけがない。


寒い寒い大晦日に私がへべれけに酔って救急車で運ばれてきた患者さんに


「越冬大変やろ・・・南港行けへんの?」


「あほか!あんな監獄みたいなとこ行けるわけないやろ!!」と怒られた。


「あんたはアホか、ワシらあんなとこで生活できるくらいやったら西成におらんは、ワシらは日本一の自由人なんや、よー覚えとけ・・・」と酒臭い息を吐きながら暴言を浴びせた。


私はいつも彼らの言葉に妙に納得することが多かった。


「それはそうやな・・・・酒の飲まれへんかったら辛いしな・・」


そういう風に言うホームレスを私はたくさんみてきた。


支援センターに入居できるのは6ヶ月だけど、素直にまじめにできるなら、ずっと入れる施設もあることある。でも数に限りはあるけど・・・・・


まあいずれにせよ面白い世界であるのよねん♪


3食の食事も温かい寝床も、しっかり効いた空調も、お風呂もある。それに仕事の斡旋もしてくれる。やる気次第だけど・・


そんな人間らしい生活よりも自由を選ぶ人々が多い社会なのですね。



そうそう独特の理念と言えば、救急隊員も面白い。

真夏の暑い日に熱中症で運ばれたホームレスに向かって言った言葉。


「西成で熱中症に罹ってたら、浮浪者の資格ないで!」

「浮浪者のプライドないんか」と怒られてた。。。のを目撃したこともある。


私はそれも妙に納得して「言われてみればそうやな・・・じゃ冬は凍傷とか凍死とかになったら言われるんかな・・・」と考えていた。


そこに10年いたが、いろいろなことが平気になった。


全身のシラミを駆除する喜びから始まり、駆除した後もワシワシ人間の穴という穴から沸いてでてくるシラミとの格闘とか・・・肛門や尿道からも湧いてくるのだ・・・小指の先ほどある血を一杯吸って動けないダニとか・・・・アル中の禁断症状の介護のエキスパート(これはかなり難しい)突然に死亡するケースもある。体液管理が難しいのだ・・・



全身糞尿まみれで、ズボンの中の大量の固まった糞尿にウジが湧き、脱がしたズボンから孵化したハエが飛び出てきたときの驚き、おばけ屋敷より恐い。


ガビガビのメデューサのような頭髪をバリカンで刈る気持ちよさとか・・・・


私のユニホームは白衣ではなく白いゴム長靴と長いビニールエプロンとピンクのゴム手袋、その手にはデッキブラシ・・・・あーーぁ楽しかったなぁ~


テレビに出てきたホームレスの支援者達、私は彼達のようにホームレスに対して、同情とかかわいそうとか支援しようとかは一切思ったことがなかった。


ボランティアで真冬に毛布を配る看護師もたくさんいたが、私は参加しなかった。

彼達とともに過ごし私は彼達を知ることで精一杯であった・・・


まあ話せばキリがないからこのへんで・・・、