わかった・・・


なぜ細木数子やホリエモンやベトナムに学校を建てた北沢とかいうサッカー選手を見てて、嫌な気持ちになるのか・・・小さい自分世界での価値観を自分より弱いものに押し付ける風がどうも見てられなくなるのかもしれない。


この人達の押し付けがましい価値観や考え方、物の見方はもちろん本当のことであるが、世界は広いのである。色々な可能性があり、考え方があり、それぞれが同じレベルで尊重されるものであると私は思っている。


例えばホリエモンの言った言葉で、下積みや努力をしなければ報われないというのはうそだ、時代が違う、すべてお金で買えるみたいなことを聞いたことがある。


もちろんベンチャー企業のような、新しい事業をどんどん展開していくには破竹の勢いがないと前にいけないであろうことは確かだ、地道にやっていては大きくなれない。お金がものを言うし、お金はあったほうがいい。


ただそんな世界ばかりでこの人類な成り立っているわけではないということを、ホリエモンは知らない。


農業、林業、漁業、酪農、パイロット、医師、看護師、物流、色々な職業があり、どれもこれも下積みや経験や努力が必要だし、技能はお金では買えない。


最たるは主婦・・・私は子育ても主婦もしたことがないから実感としてはないが、子育てとは努力と忍耐の毎日の積み重ねの中で一足飛びには大きくならない、人の心を育み育てる。


農業の人達は自然に則した生活をし、地道に何年もかけて土壌を育てていく。

時間をかけてものを作り、人を育てるということが必要な社会もある。またこれが生きる喜びにも繋がっている。

お金ではなく信仰心で命を捧げる人間もいる・・・


お金があれば、素晴らしい技能を持った人を雇えるし、病気になっても金にもの言わせて最先端の医療に技術力の高い医師を選ぶことも、弁護士を選ぶことも、優しい看護師も全て超一流のものを買うことができるだろう。


ただこの世の中は買う人ばかりでは成り立たないのである。超一流のものを作ることや、技術を育て取得する側の人間が必要なのだ。その人達への敬意や思いやりは持った方が良いように思う。


道徳的ではあるが、先人が伝える道徳的なことはやはり一応従っておいた方がよい。


世界は広いということを知らずに自分の狭い世界の中で物事を論じ、またその影響力を利用して成り上がる様に私は嫌悪していたのだろうと思う。


昨日のカンボジアに学校を建てた話もそうである。


自分の仲間である、ミュージシャンも引き入れて学校の設立記念式典で歌わすのだが、意味もわからない単調な日本語フォークソング系のへたくそな歌にカンボジアの子供がのれるわけがない。


なのにそのサッカー選手は子供達の席までいって、手拍子を強要するのだ・・・・子供達はとりあえず大人たちに合わして手拍子をしていた。


この子供達の方が大人だ・・・・


大人達の虚栄心を満たす素晴らしい式典・・・・カンボジアの勲章の授与、子供達そっちのけの大人の式典・・・偽善の臭いプンプンした。


もちろん学校は建てたほうがいい、でも美意識がなぁ・・・・・見ててきれいじゃないのよねん。


美意識のある人なら・・・そんな表舞台には出ないだろう、式典に使うお金があれば子供達に美味しいものでも振る舞い、そして新しいサッカーボールを贈ればどうだろうか♪この方が見てる方も気持ちがいいかもしれない☆


社会に影響力のある人間が、狭い世界での自分価値観を強引に押し付ける感性には、その人の内面にある巨大な恐れを感じ、どうもいたたまれなくなる自分がいる。


細木数子にも思うところはあるが、気持ち悪くなるのでやめておく・・・


まあこれがテレビの世界なのだろうけどね・・・・


現代にはかっこいい人少ないよな~