10月は一年のうちで一番忙しい月である。

どうしても疲労が溜まってくると私は首と頭に影響がでてくる。


首がガチガチになり頭が始終痛い。薬を飲むほどではないがいつも軽く痛いのだ。このところ無意識が浮上してきているので特に影響がでている。


私は小さい頃からの持病が「頭痛」と「口内炎」「胃痛」であった。

私の単純さがこの症状に明確に出ている。心身の信号がちゃんと連動して体に出てきていたのだ。


小学生の頃、ひどく頭が痛くて吐き気を伴うこともしばしばあった。しかしいつも何とか終わりまで教室にていて、フラフラしながら家にたどり着き、家の誰にも苦しいことを告げず、家族全員の布団が一ヶ所に高く積み上げたたまれている間にズリズリと入り込んでその中で、眠った・・・ことを思い出す。カラダが小さかったので、その中にうまっていることは誰にも分からない。


遊びにでも行ったと思っていたようだが、一眠りするとある程度の痛みは治まる。
そしてそこから這い出して何事も無かったように食卓についた(その頃はまだ正常な家族風であった)


なんて健気なのでしょう~(T△T) アウアウ~



その3つ症状はどんどんひどくなり、頭痛薬は手放せなくなっていた。口内炎が出来ていない日はなく、いつもどこかにできていた。ひどい時は直径1cmくらいの大きな口内炎があったこともある。そして胃痛もひどく子供の頃は上を向いて眠れなかったし、大人になってからは病院に勤めていたので幾らでも薬が手に入ったため、胃薬も常用していた。精神的にもひどく荒れていたように思う。


ヤクザ男と別れた時はまだ看護学校生で、生活が途端に苦しくなった。そして絵に描いたように、夜のお勤めにでるようになった。


看護学生&見習看護士&ホステスの3つをこなしはじめた。「ヤクザの女」が「ホステス」に変わっただけなんだけど、朝病院→昼学校→夕方病院→夜ホステス→家寝る を毎日毎日繰り返した。


生活は荒れたけど、やっぱりこの外側に影響されない集中力はちゃんと学校を卒業をさせてくれた。卒業した途端に全て止めて新しい病院を探して、看護の道一本に搾った。


今までの私の人生の中では3番目に凄まじい時期だったと言える。


頭が痛くて吐き気がする状態でも1人布団に挟まって(まるでサンドイッチの具のように)痛みが去るのを待つことのできる、この力を持って現在まできた。


8年前に思うところがあって病院勤めを辞めて、会社勤めに変えた。


そこから私の第三の人生の幕が開いた。その第三の人生で私はカラダとココロの自然を取り戻して言った。頭痛も口内炎も胃痛もだいぶ楽になった。薬は殆ど飲まなくなった。それは地道な作業であったが、やはり意識の変化がカラダを変えていったように思う。


このカラダやココロには鋳型があり、その固められた鋳型の中で生きている。この鋳型を破壊することは中々難しい。何か衝撃的なことがないと壊れるものではない。


鋳型は「意型」でもあり、祈りにより運ばれて行く、祈りは「意乗り」


首と頭が痛いと信号を出している意型は少しづつ形が見えてきている。もう少しこなれてきたらまたブログ内ででも。


昨日の夢はスゴイスピードで移動する電車に乗っていた・・・・生活自体がこんな感じなのだろうな・・・・
明日も全力だ!