母の飲酒はいつ頃から始まったのだろうか・・・


よく覚えていないが気が付いたときにはもう家中、酒の匂いが充満していた。私が14歳ぐらいの頃、彼女は肝硬変で倒れて入院をした。お腹が臨月のように膨らんでいた。


その時医者はこのままだと5年の命・・・お酒を止めないと1年の命と言っていた。しばらくして退院してきた彼女は断酒が出来ず、隠れて飲むようになった。


家族は神経質になり彼女を非難する。そうすることで彼女をどんどん追い詰めていく。今なら分かるが、その時には誰も分からない。正論をきちがいにいっても悪循環なだけだったのに・・正論は人を重箱の隅に追いやる、そして逆ギレさせてしまう。


夜中に酒を買いに行く彼女を見張るため玄関で寝た日の夜・・・そんなことはお構いなしに私を踏みつけて出て行き、酒の自動販売機の前でワンカップを何本も飲む。


帰宅すると玄関が閉まっていることに腹を立てる。カギを持っていかなかった彼女は締め出されたと思ったのだ。ガラスの玄関を叩き割って家の中に入ってくる。チャイムを鳴らすという考えも起こらないようだ・・・

怒り狂っている彼女は包丁を持ち出し暴れだす。小さい弟が寝ている横に包丁を突き刺し訳のわからぬことを叫んでいる。


父と私は彼女を押さえつけ布団に簀巻きにして紐で結び車に乗せて、アル中専門の隔離病棟に朝を待って車で運んだ。


片道1時間ちょっとの道のり・・・・地獄のような車内だった。後部座席の下に簀巻きになった母を乗せ私は小さい弟を抱き後部座席で暴れる母を見下ろしていた。母は疲れることを知らずに放尿し暴れまくった。弟を助手席に座らせ、一時間あまり母を押さえつけていた。力がない私は母の力に負けてしまい何度となく飛ばされて窓ガラスやドアに体を打った。


窓の外は朝の平和な通勤通学風景が広がる。それを見ているととてつもない孤独感が私を襲ってくる。自分が小さく小さくなる。涙も出てこなかった。やっとの思いで病院につき、男のスタッフ3人がかりで隔離病棟に彼女は収容された。


父も私も何も喋らない。弟は助手席で寝ている。帰る頃、昼近くになっていた。長い長い夜だった。帰りの車中フト空を見上げると大きな半円の虹がくっきりと見えた。雨が降っていたのだ。それさえも気づかなかったようだ・・


その虹を見た途端、涙が溢れ出てきた。嗚咽がでてくる。大声を出して泣きたくなる・・・でも必死で歯を食いしばって堪えた・・父の手前があったのだろうと思う。静かにその虹を見ながら涙だけを流したことを今でも虹を見ると鮮明に思い出す。


あの頃私は何を思い、何を考えていたのだろう・・・あれからずっと考えることをやめてしまった。そしてあれからずっとあの孤独感は続いている。私だけ違う・・・見ている世界が違う・・・諦めをもったまま今もなお死んだまま生きている。わけのわからぬ不安が私を襲う・・・


最近では虹を見ることも無いのでこのことを思い出す事もなかった。この間・・虹も見ていないのにフト思い出した。


思い出して人に喋った、とってもさらっと簡単に喋った・・その喋ったことだけが原因ではないけれど次の日、世界が私の前から抜け落ちた。24時間がおとりの時間となった・・・目の前の風景が一変した。だれと喋っていてもだれといてもリアリティがなく感覚が希薄になる。なにもかもが遠い、底がないかのように落ちた。

その次の日、同僚がまた妙なことを私にいった。「虹って龍の化身なんだって、だから虹って虫ヘンなんだって・・毒をもって人を害する蛟(みずち)が虹になって現れる♪ぴちさまは虹かもよ・・」世界が抜け落ちた状態のおとりにはその時それに反応することはなかったけど、今思う・・・


今もなお眼に焼き付いているあの時の大き虹は、四半世紀の時を経て蛟(みずち)となって私の目の前に現れた・・・・