父に続き、今日は母親について書こうと思う。

うちの母は現在61歳。父より一つ年下である。

昔から体が弱く、18歳の時に重い心臓病を患い、胸には大きな手術の跡が残る。

若い頃はそんなこともあり30歳まで生きることができるかどうかの瀬戸際だったらしいが、31歳で3人目の自分を産み、現在では還暦を過ぎてもピンピンしている。

「3人の子を産み育て、母というその役割が私を強くしてくれた」

母はこう述べるが、また新たな「祖母」という役割ができ、老体にムチを打ちながら元気に暮らしている。





そんな母が自分に与えてくれたある大きなもの、

それは、剣道という「道」である。

年の離れた姉が二人いて、姉弟の中では一番甘やかされて育ってきた。

しかし、そんな自分に対して母の教育に抜かりがあったわけでは決してなかった。





母はまだ5歳だった自分を地域の剣道教室に入れた。

男らしくそして強く育ってほしい、そう望んでいたのだと思う。

自分は今でこそ長身で体つきもガッチリしている方だが、当時は極めて細身で他の子と比べて身長も低かった。

5歳から15歳までを対象とするこの剣道教室は当時、時代のニーズにあやかって小学生から中学生までおよそ50人の生徒がいた。

このような世界で、自分のような貧弱で気弱そうな子は到底不釣り合いだった。

先生もそんな自分を一目見た時から「これは中学を卒業するまで持たないだろう」と踏んでいたらしい。

しかし、貧弱だろうが気弱だろうが、まだ5歳だろうが、やめようがやめまいが、現在の教育社会では考えられないくらい、当時の先生は容赦なく恐ろしかった。

まだやっと流暢に言葉を喋れるようになった段階なのに、先生に対して敬語を使わないと初対面から怒鳴りあげられ、

何も知らないで靴を脱ぎ道場に入ったそばから、向うむきに靴を綺麗に揃えなさいと、ゲンコツをくらった。

道着や防具を身につけて稽古できるまでに半年ほどみっちり基礎トレーニングを積まされ、保育園が終わったあと泣きながら道場に通っていた憶えがある。

怯えるばかりでろくに会話もできなかった自分に先生はよく怒鳴りつけていた。

「もうやめてしまえ!道場から出て行け!もう二度と来るな!」

そう追い出され、泣きながら家に歩いて帰ってしまったこともしばしば。

その度に母はすぐに自分を道場に連れて行き、頭を下げていた。

運動神経が悪く、人一倍覚えも遅かった。

それに加え体も小さく臆病ときている。

向き不向きで言うと間違いなく向いていない。

それでも母は決してその道を絶たせようとはしなかったのだ。

その当時はなぜ母がこんなにも剣道に執着するのかなど考える暇もなく、ただひたすら稽古に打ち込んでいた。

今になってようやく、当時の母の思いに気付いたような気がする。





何事も辞めることは簡単である。

諦めれば、また新しいことが見つけられる。

好きな事に没頭させていた方がよりその道を伸ばせていたかもしれない。

では、始めると決めた当初の決意はどうなるのだろう。

行き当たりばったりだった、やってみないとわからなかった、そもそもこの子には不向きだった。

言い訳はいくらでもできる

しかし母は、息子である自分に一度やると決めさせたことを諦めさせたくなかったのだと思う。

大した成績も修められなかったが、中学を卒業するまでしっかり先生の下で剣道を習い、高校はその甲斐あって特待生で入学。

結果的に保育園の年長組から小中高と約13年間剣道に携わることができた。

母の支えがなかったら簡単に諦めていただろう。

夏は暑い中重い防具を身につけ死にそうなくらい辛い稽古を積み、その防具からは汗でただならぬ異臭が漂った。

冬はスケートリンクのような板張りの上をひたすら素足で駆けずり回らなければならない。

正にドMが行うものだと言っていい。

稽古稽古稽古の連続。

13年もの間とどまることなくこれを繰り返してきた。

得られた喜びなんてのはほんの一掴みだ。

報われた努力の方が少なかった。

果てしないほど険しい道のりだった。

歩んだ先に特別何かがあるわけでもなかった。

けれども気付いた時にはちょっとやそっとのことじゃへこたれなくなっていた。

一度選んだ道を決して諦めようとしない頑固な自分がそこにはあった。

たいてい、自分自身を好きになれるところはない。

ただこの頑固さだけは気に入っている。

この唯一自分を好きになれる一面こそ、母が自分と一緒になって作り出してくれたものだったのだ。





人間の生きる道は無数にあり選りすぐりである。

ただ、一つ決まっていることは、歩める道は一本だけだということ。

死に向かって何をして生きていくかが人生である。

その道が険しかろうがなんだろうが、歩みを止めていては景色は変わらない。

自分が何を見たいのか。この想像だけが頼りである。

母が与えてくれた剣道という道は、この想像力を身に付けさせるためのものだった。

もちろん母の優しさや温かさ、無償の愛は溢れんばかりに頂いた。

しかしそれ以上に、この想像力は宝物である。

これほど無謀で、頑固で、歩幅の狭い想像力は自分にしかないものだ。

確かに貴重なものには見えにくいが、これが自分なりに歩み、覚えてきたたったひとつの財産なのである。





「お母さんはいつも良ちゃんの応援団だからね」

稽古の帰り道、いつも車内で泣いていた自分をそう励ましてくれたこと。一生忘れることはないだろう。

母がいてくれたから頑張ることができた。諦めずにやってこれた。諦める手段を選ばない人間になれた。

「あなたにはあなたにしか掴めない幸せがあるから、そのために一生懸命頑張りなさい」

母は遠回しにそう言ってくれていたのかもしれない。

母の息子で本当に良かった。

ありがとう、おかん。