2021年3月31日(水)日経朝刊32面(経済教室)に「デジタル時代の法規制 下 「俊敏な統治」官民協働で」との記事あり。
ポイント
○科学技術という巨大な権力の統制は難題
○より良い統治システムへ不断に調整必要
○企業の成功には説明責任と応答責任必須
科学技術社会論や哲学の文脈では、科学技術や人工物は一方的に人に支配・利用される対象ではなく、むしろ人の生き方や考え方に大きな影響を与える存在として理解されてきた。
一方、Society5.0(ソサエティー5.0)では、人工知能(AI)を含む高度情報技術を活用してサイバー空間と物理空間を融合させ、新たなイノベーション(技術革新)により様々な社会課題の解決を目指す。
そこでは科学技術や人工物が人に大きな影響を及ぼすという側面が一段と明瞭になるだろう。
プラットフォーム企業に対する法規制を巡る議論が過熱しているのも、提供サービスが投票行動や消費行動も含め、われわれの生活の様々な局面に無視できない影響を及ぼし始めているからにほかならない。
またコロナ禍によるテレワークの普及は、働き方や企業所在地・居住地の選択に影響を及ぼしつつある。
自律飛行ドローンや自動運転システムなどの物理的世界にも大きな影響力を持つ先端技術が実装されていけば、われわれの生き方や考え方にも一層大きな変化が生じることが予想される。
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仮に人々の生のありように及ぼす力を権力と呼ぶならば、新たな科学技術は強大な権力だ。そこから生じるリスクは、人々の生命や身体の安全から民主主義や市場の健全性まで多岐にわたる。
法の支配の理念は、権力を合理的で一貫した形で統制し、人々が幸福を追求できるようにすることにある。
ソサエティー5.0で現出しつつある権力の統制が、統治システムにとって喫緊の課題とされることには十分な理由がある。
だが統制には困難な課題も存在する。
第1にソサエティー5.0という高度にネットワーク化された巨大なシステムの特性として、誰にも全体像が把握できない点だ。
いつどんな形で権力が働くのか、あるいはリスクが発現するかを事前に把握するのは難しい。
しかもサービスの利便性や安全などの特性はシステムとして実現されるため、構成要素ごとに局所的な最適をめざす方法もとれない。
また環境変化に適合しようとする構成要素やサブシステム(下位システム)の動態性はイノベーションの源でもある。
つまりあるべき状態をあらかじめ定め、各構成要素やサブシステムをこれに従わせようとする形態の規制は、イノベーションの活用という観点からもリスクマネジメントという観点からも、大きな問題となる。
事前に人々が守るべきルールを法の形で緻密に定め、これを適用することで社会システムの安定した運営を目指すという従来の統治システムの方法論は深刻な問題に直面しうる。
第2に科学技術という権力に対し、その影響力を排除する形で自由を実現することは、すべてが接続されるソサエティー5.0では現実的でなく、人々の幸福追求にとっても望ましいことではない点だ。
AIを搭載した、あらゆるモノがネットにつながるIoTが社会に浸透し、それらが結合されてネットワークを構成するのなら、人々はいや応なくネットワークに組み込まれ、その影響を受ける。
一方、SNS(交流サイト)を利用した発信力の向上や、自動運転システムがもたらすモビリティーの向上、交通事故の減少や環境負荷の低減などの便益は、まさに人々の幸福追求の実現に貢献するだろう。
つまり必要なのは、科学技術からの影響力を排除することではなく、それを人々の幸福追求に資するように、より良く統制することだ。
統治システムに求められるのは、科学技術の影響力を受ける人々の間でのコミュニケーションを促進し、巨大なシステムから生じる結果に関するフィードバックを利用しながら、より良いゴールを設定してその実現に向け絶えずシステムのあり方を調整していくことだろう。
いわゆる「アジャイル・ガバナンス(俊敏な統治)」の基本的な発想はここに見いだされるように思われる(図参照)。
統治システムを巡る議論は、先端技術を利用したサービスや製品を市場に投入し、イノベーションにより人々の生き方や考え方を変化させていく役割を担う現代のビジネス主体にとっても無関係ではあり得ない。
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筆者も起草に関与した経済産業省の「Governance Innovation」報告書では、科学技術を実装していく企業の説明責任や応答責任を重視した認証・制裁制度に基づく共同規制モデルが提案されている。
製品やサービスがもたらす影響力やリスクについて無自覚・無責任なビジネス主体が長期的に成功することは、今後一層困難になるだろう。
実際、プラットフォーム企業の規制を巡る議論が白熱している背景には、プライバシーの保護や健全な民主主義、開かれた市場といった人々の信じる核心的な価値と相いれないビジネスに対する不信感が高まっていることもあろう。
ソサエティー5.0という巨大システムの構成要素となる新たな製品やサービスが、思いがけない結果を引き起こすことが常態化すれば、発現したリスクに対し企業が取るべき責任のあり方もその範囲も今とは異なる形になる可能性があるだろう。
第1に企業は製品やサービスと関係するステークホルダーとのコミュニケーションを密にし、製品やサービスが及ぼす影響について把握し、その説明責任を求められる。
第2に問題の所在を積極的に把握し、関係省庁とも協力しながら事態の改善を図り、製品やサービスが生じる問題についての応答責任も求められる。
ただ、こうした状況は企業にとって、新しい付加価値を備えた製品やサービスを市場に投入するチャンスが生まれていることも意味する。
これらの企業行動はビジネス主体が単に新しく便利な製品やサービスを提供することを超えて、まさに人々にライフスタイルや価値観を積極的に提供することにつながるからだ。
先端科学技術が人々に大きな影響を与えうるからこそ、責任あるイノベーションを実現しようと試みるビジネス主体は長期的にみて信頼され、受け入れられる製品やサービスを生み出していくだろう。
人々の幸福追求を実現する任務を負う国家も、ビジネス主体の責任ある活動を促し、支援する必要がある。
そのためには責任ある企業と協力し、環境変化に合わせて新たな秩序を形成し続ける一方、無責任な企業に制裁を科し、責任ある企業が正当に報われる仕組みを整えねばならない。
またテクノロジーを活用して、必要な情報をいち早く開示・共有し、人々の多様な意見を統治システムに適正に反映するための制度設計に関する努力を怠ってはならない。
ソサエティー5.0では、企業と同様に国家もその真価が試されている。
多極的な共同規制のハブ(中核)として機能するビジネス主体と、アジャイル・ガバナンスにより自らも変化しつつ企業の活動を調整し支援する国家の協働こそが、ソサエティー5.0での法の支配と民主主義の鍵を握っているのである。
