7月は、2つもコンサートを聴きに行った。
この地に聴きたいコンサートが来るなんて滅多になく、二つも重なるのは本当にレアケース。
7/19 米子公会堂 新日本フィル。川本貢司(指揮)。石井琢磨(ピアノ)。
シューマンのピアノ協奏曲イ短調をやるというので、いそいそと予約した。←大好きな曲
いつか自分も弾けたらいいなと思って、ずいぶん前に楽譜も買って、少し弾いて放置。。
長すぎて、譜読みする精神力も体力も持たない。
YouTubeで色んな人の演奏を聴いて、みんなそれぞれ解釈があるなあと思ったり、自分だったらこうするなあ♪なんて、机上旅行をやって遊んでいる。
今回は目の前で聴けるとあって、ドキドキだ。一体どう「来る」んだろう。
じゃん♪最初の音が始まった時の興奮たるや。
フムフム奇をてらわない、等身大の始まり。と思ったら、ピアノが結構ゆっくりめに攻めてきた。指揮者が冷静に対応する。
勢いで煽ったり、形式で流れたりしない。淡々と音がなだらかに連なって紡がれていく。ぬぬん。
ピアノ、ちょっとペダルが多いんじゃないか?まあいいや、そんなことより、今まで聴いたどんなバージョンとも違う。
新鮮な解釈に操られる音の羅列がこれでもかこれでもかと続き、脳内コーフン状態で、過呼吸になりそうだ。ドードー。
フレーズの中の、どの音を際立たせるかで、聞こえるメロディーが違ってくるのだ。
生音でこんなにわかりやすく体感したのは初めてだ。
このアイデアは、ピアニストの意図なのか?指揮者の意図なのか?
わからないけど、入念できめ細かい新しい流れが、最初から最後まで連綿と続いた。
今まで聴いてきたものと同じような解釈は、ほんのほんのほんのチョピッとだった。
新日本フィルって、結構尖ってるのかな?今回の指揮者が尖ってるのかな?
ピアニストさん、穏やかそうでいてかなり獰猛だー。
曲が終わった時は、脳内も体もくたくただった。幸せすぎた。
最大の収穫は、第二楽章が印象的だったこと。
曲の中では一番地味だと感じていた第二楽章の美しさに触れて、なんとも言えない気持ちになった。
めっちゃゆっくりな演奏に意表をつかれながら、新しい発見だらけで胸がいっぱいになった。
感激で頭フラフラ、とても運転できない。
近くの喫茶店で、アイスクリーム入りのアイスコーヒーをゆっくり飲み、徐々に正気を取り戻した。
7/26 安来市アルテピア ともとものガラクタ演奏会。
山口とも さんが、廃品をさまざまな打楽器に変える、ヘンテコおじさんに扮して、枠のない演奏を披露するひととき。
きっかけは忘れたけど、偶然youtubeで存在を知り、心打たれた。
まさか本人を目の当たりにするチャンスに恵まれようとは。
行くしかない。安来まで。たとえ運転が苦手でも。
面白いおじさん、というのは見せかけで、演奏は真剣勝負。容赦ないキレ。
打ってる時も素晴らしいんだけど、一番心掴まれるのは、音が止む時。
空気が止まる。
音のない時間。
痺れる。
無音の美しさ。
そこにいる生命体が、おのおの共有している数秒が、永遠の正体かもしれない。
それでいてどこか物悲しく、何も持ってない感じ。
終始面白く楽しく、無駄なく、飾らず、淡々と時間が過ぎていった。
冷静なヘンテコおじさんの残した余韻は、砂時計のキラキラした砂のように儚いくせに、永遠に繋がる扉でもある。
音楽のあり方は、人の数だけあるのだから、私も私を生きるだけなんよ。
感激も冷めやらぬまま、アルテピアのカフェで、牛骨ラーメンを平らげた。