雑音微音

雑音微音

2009/5/18~日々の独り言

ここ最近の大好きピアニスト、イスラエル出身の若手の男性ピアニスト。

透明感。悲しさ、幸せ、もろさ、真実。すべてが詰まっていて、すべてが空中で分解する。

心に抱えていたものが、一瞬で形になり、次の瞬間割れて、消えて残らない。

それでも、いつの間にか、悩みはやってくる。

綺麗事は言わない。

どこまでも真摯に向き合っていくスタイル。

 

3/6に、新しいアルバムが出る予定だそうな。

なんとも幸せなお楽しみだ。

イスラエル、ユダヤ、戻ることのできない母国。

ニューヨークで暮らす彼の胸の中には、きっと今日も、静かな湖や森が広がっているのだろう。

消えることのない、自由。

逃れることのできない、自由。

正直に生きている限り、人はどこまでも1人ぽっちで、どこまでも自由だ。

どこにいようと。

琴浦町カウベルタウン(旧.カウベルホール)に、しばらくぶりに行ってみた。

きっかけは、キトテトキ(木工作家)さんの展示販売。

インスタグラムあんま好きじゃないんだが、なんとなく見たカウベルタウンの記事に紹介があった。

作品の佇まいが素敵すぎた。インスタグラムありがとう。

東京にいるとき、木とり舎という木工作家さんが大好きだったんだけど、それ以来のドキン!

行くしかない。

 

並んでいる作品は、ペンダントにブローチ、ピアスや腕輪など、アクセサリーがほとんどだった。

どんぐりの形をした磁石もあった。

木の種類が豊かで面白い。

聞いたことない名前がいっぱい。

国内外、産地さまざま20種類はあったんじゃないだろうか。

 

色も、木目も、香りも、木そのままを生かして、人間が手を加えているのは成形のみ。

手に取れる森林浴といっても言い過ぎではない佇まいなんですー。あうあう。

 

そんな作品たちが、ほぼ2000〜3000円でお迎えできてしまうです。オドロキ。キケン。

 

小さなブースに張り付き、2時間近くウロウロした結果お迎えしたのは3点。

 

屋久杉の油コブのイヤーカフ(耳たぶに引っ掛けるタイプのイヤリング)。くるみの殻みたいな色。

形は、幅3センチくらいの視力検査「左」。断面の直径は8ミリくらい。

屋久杉と呼べるのは、樹齢1000年以上のものだけだそう。

油コブは、樹皮に丸く生じるコブのこと。コブの部分は水分代謝がうまくいかず、分泌物(油分)が溜まるんだそうな。ニキビ的な?

油分が多いので、木肌がとてもマイルド。香りもしっかりしている。

屋久杉の年輪は、1年で1ミリしか成長しないそうだ。木目がとっても律儀だ。

私は屋久島に行ったことがない。

それなのに、屋久杉の方から、こんな小さくなって、目の前にやってきてくれて、申し訳ないような、でもありがとうの気持ち。

小さな巨人が無言でこちらを見つめているよ。

たかだか50年ぽっちの私の耳が、1000年以上をぶら下げる。と思うと、なんともずしっと来る。背筋が伸びる思い。

 

赤松のペンダント。長さ8センチ、最大幅3センチの木のペンダントトップに、穴が開けてあり、革紐が通してある。

でっかいそろばんの玉を縦にぐー〜ーんと伸ばしたような形になった赤松の木目を観察すると、ラメ状に煌めいて見える部分があるのだった。不思議だなあ。大きいからちょっと重たい。赤松くんの命の重さのほんの一部を、私の首が感じている。

 

ジャカランダのピアス。ジャカランダは、エレキギターの材料になるハカランダのこと。

艶消しな感じの焦茶色。直径1.5センチのぷっくりした丸い玉にピアスの金属が刺さっている。

耳につけると、ブドウの実が一つぶ、ぶら下がっているみたい。サイズ的には、ベリーA位。

重みで耳たぶが引っ張られている。久しぶりの出番が強烈重力で、ピアスホールもびっくり。

 

 

木のことも説明してもらえて、すっごく楽しかった。

 

木を耳につけたり、首に下げたり、鼻先に持っていってはクンクン嗅いだりを、延々繰り返すこと2時間。

側から見たら不審者でしかなかっただろうけど、いいのだ!

思う存分堪能したですー。

また機会あったら、行きますですはい。

7月は、2つもコンサートを聴きに行った。

この地に聴きたいコンサートが来るなんて滅多になく、二つも重なるのは本当にレアケース。

 

7/19 米子公会堂 新日本フィル。川本貢司(指揮)。石井琢磨(ピアノ)。

シューマンのピアノ協奏曲イ短調をやるというので、いそいそと予約した。←大好きな曲

いつか自分も弾けたらいいなと思って、ずいぶん前に楽譜も買って、少し弾いて放置。。

長すぎて、譜読みする精神力も体力も持たない。

YouTubeで色んな人の演奏を聴いて、みんなそれぞれ解釈があるなあと思ったり、自分だったらこうするなあ♪なんて、机上旅行をやって遊んでいる。

今回は目の前で聴けるとあって、ドキドキだ。一体どう「来る」んだろう。

 

じゃん♪最初の音が始まった時の興奮たるや。

フムフム奇をてらわない、等身大の始まり。と思ったら、ピアノが結構ゆっくりめに攻めてきた。指揮者が冷静に対応する。

勢いで煽ったり、形式で流れたりしない。淡々と音がなだらかに連なって紡がれていく。ぬぬん。

 

ピアノ、ちょっとペダルが多いんじゃないか?まあいいや、そんなことより、今まで聴いたどんなバージョンとも違う。

新鮮な解釈に操られる音の羅列がこれでもかこれでもかと続き、脳内コーフン状態で、過呼吸になりそうだ。ドードー。

 

フレーズの中の、どの音を際立たせるかで、聞こえるメロディーが違ってくるのだ。

生音でこんなにわかりやすく体感したのは初めてだ。

このアイデアは、ピアニストの意図なのか?指揮者の意図なのか?

わからないけど、入念できめ細かい新しい流れが、最初から最後まで連綿と続いた。

 

今まで聴いてきたものと同じような解釈は、ほんのほんのほんのチョピッとだった。

新日本フィルって、結構尖ってるのかな?今回の指揮者が尖ってるのかな?

ピアニストさん、穏やかそうでいてかなり獰猛だー。

 

曲が終わった時は、脳内も体もくたくただった。幸せすぎた。

最大の収穫は、第二楽章が印象的だったこと。

曲の中では一番地味だと感じていた第二楽章の美しさに触れて、なんとも言えない気持ちになった。

めっちゃゆっくりな演奏に意表をつかれながら、新しい発見だらけで胸がいっぱいになった。

 

感激で頭フラフラ、とても運転できない。

近くの喫茶店で、アイスクリーム入りのアイスコーヒーをゆっくり飲み、徐々に正気を取り戻した。

 

 

 

7/26 安来市アルテピア ともとものガラクタ演奏会。

山口とも さんが、廃品をさまざまな打楽器に変える、ヘンテコおじさんに扮して、枠のない演奏を披露するひととき。

きっかけは忘れたけど、偶然youtubeで存在を知り、心打たれた。

まさか本人を目の当たりにするチャンスに恵まれようとは。

行くしかない。安来まで。たとえ運転が苦手でも。

 

面白いおじさん、というのは見せかけで、演奏は真剣勝負。容赦ないキレ。

打ってる時も素晴らしいんだけど、一番心掴まれるのは、音が止む時。

空気が止まる。

音のない時間。

痺れる。

無音の美しさ。

そこにいる生命体が、おのおの共有している数秒が、永遠の正体かもしれない。

 

それでいてどこか物悲しく、何も持ってない感じ。

終始面白く楽しく、無駄なく、飾らず、淡々と時間が過ぎていった。

 

冷静なヘンテコおじさんの残した余韻は、砂時計のキラキラした砂のように儚いくせに、永遠に繋がる扉でもある。

 

音楽のあり方は、人の数だけあるのだから、私も私を生きるだけなんよ。

感激も冷めやらぬまま、アルテピアのカフェで、牛骨ラーメンを平らげた。

ここでいう神様とは、人間の中に潜む「美しさ」が、互いに響き合う瞬間に垣間見える「煌めき」のことです。

 

大体、生活してる間、しがらみで煌めきは埋もれていることが多いのだけど、何かの拍子に、ぱあーっと放射し合う。

誰もが内蔵している。特別なものではなくて、空気くらい当たり前に大切なもの。

 

それを、常時放ってるような人に、初めて出会ったのです。5月半ば頃。

キリストや釈迦みたいに、後光が差しているわけではもちろんなく。

ジーンズはいて、シャツを着て、メガネをかけている、70台の男性なのですが、どうも透明に見える。

幽霊ではありません。実在しているけど、現実感がない。質感が感じられない。

日本語で喋っているし、靴下で畳の上に立っている。上から下まで、オーソドックスな人間男性です。

ちょっと高い声。圧のないトーン。ものすごくしなやかな姿勢。

もしアンパンマンが人間化して、70歳まで生きていたら、こんなふうになるかな?

 

博識で偏らない意識。誤魔化しのない言葉。どこまでもタイトで無駄のない動き美。武闘家?舞踏家?

目の前で楽しく喋っているこの人は、光の粒子に過ぎなくて、ものすごい速さで次元を移動し続けてるのではないか。

もし触れたら、私の手は、その体をすう〜っと抜けてしまうのではないか。

 

どこにも自在に瞬間移動できそうな、それでいてこの世のどこにも居場所がないような、圧倒的な孤独も感じる。

2時間近く喋って、もっと喋っていたかったけど、用事があるからサヨナラしました。

 

神様は、ジョニーと名乗ったのだった。ニポンジンですよ。

名前は記号みたいなもの。と軽やかに笑っておられた。

私もそう思います、ハイ。人間1匹、それ以上でも以下でもないです。

誠実で、清潔感のある、風のような人だった。

 

連絡先交換は、しなかった。そういうのじゃない気がした。風なら、いつでもそこにいるもんね。

 

色々あったけど、風に恥じない生き方をしてきた、私の人生おっけいやん。と思った。

 

ジョニーさんはちょっともう常人ではなく別格だけど、そこまで透明じゃなくても、身近にそんな美しさを持ち合わせている人と接する機会が、最近多い。

というか、ジョニーさんとの邂逅以降、そういう傾向が急速になった感がある。ちょっとオカルト?スピリチュアル?みたいで恐縮なんだけど。

 

人の美しさに触れると、それまでの色々が、一斉に無色化していく。あれもこれも、どうでもええなあ、みたいになる。

心の中に虹色の竜の赤ん坊が揺れてるような気持ちになる。

近所の人たちとのやりとりも、音楽教室の生徒さんとのやりとりも、家族も、友人も、初めていく場所の人たちも。

みんなみんな透明無色化されて、煌めく。

 

くらぽろ同盟のクラリネット奏者、田中さんも身近な神様の1人だ。

彼女が掘り起こしてくれた、私の心の瓦礫は、さらに身近な神様たちの力を借りて、形を探し続ける。

 

 

クラシックのクラリネット奏者とデュオを組むことになりまちた。

その名も「くらぽろ同盟」。

クラリネットとピアノ(ぽろん)の同盟です。

 

<同盟(どうめい)>Wikipediaより

なんらかの利害・目的・思想の一致により個人どうし・勢力どうしが協力を約束すること。

 

 

クラシックでは、菅楽器とピアノといえば、管が主で、ピアノは伴奏。が定型なんだけど、くらぽろの場合は、対等。

クラリネットがメインボーカル担当で、ピアノが楽器とコーラス担当。二人でバンド。って感じ。

 

クラリネット奏者の方(以下くらさん)は、私より10年先輩のクラシッカー。

遊び心のあるサバサバした方で、音楽面でも人格面でも、勉強になる。

彼女は譜面を見て吹くのだけど、アドリブ演奏のように、いつも新鮮な音がする。

聞いていると、自分が森の小動物になった気持ちになる。

 

私は、譜面があれば参考程度に、なければまるっと、思いついたことを弾く。

技術はおいおい取り戻すとして、グルーヴ第一。

くらさんは、「よっちゃん、弾くこと毎回違って面白い!」って言って下さるので、心強し。ありがたいでつ。

 

くらさんにはクラシックのノリがあり、私にはクラシック+他ジャンルのテイストがあり、お互いのノリの重なるところで演奏するように心がけている。

そうすると、ジャズやロックやラテンが、典型的なノリとは違う仕上がりになる。

クラシック寄りのベタな感じとも違う。

どこにも属さない感じがオモチロイのです。

正統派な奏法でありつつ、「こうじゃなきゃいけない」という決まりからずうっとはみ出していられるという、ヘンテコな開放感が、私にとって、セラピー効果になるみたい。

ただしお手本がないので、うまくいかないと不安になる。形になり始めると、すごく幸せになれる。

 

手始めに、6/1に地元の地域自主組織企画のライブに出ることにした♪

演奏できそうな場所を少しずつ探っていくのダ♪