自己肯定感低い幼少期から癌罹患まで/人生ストーリー(1話)
こんにちは。昭和メイクから令和メイクへ時代と年齢に合ったメイクの専門家青谷亞希(あおたにあき)です^^ modelbank■メイクコンサルタント実績 🌸看護師M様・コスメ選びがわかるようになった・骨格メイクにより 眉の描き方を変えることで、 印象が変わった。・気になっていたくすみが カバーできて、肌が明るくなった🌸作家A様・人生再出発のきっかけになった・肌質、予算に合った化粧品を購入できた・自分でも気づかない長所を引き出してもらった・精神面での共感力と、サポート力が目からウロコだった🌸整理収納アドバイザーT様・自分に合うコスメや使い方がわかった・写真撮られるのが苦手だったけど、 リラックスできて、素敵なプロフィール写真が撮れた(プロフィール撮影会参加)🌸ヨガ講師Y様・子供の卒業式・入学式で着物に合わせて自分で メイクができるようになった・友人や娘にメイクを褒められた・メイクが楽しくなった🌸研究者K様・間違いだらけの自己流メイクから自信が持てるようになった・深夜まで仕事をしても化粧の崩れ方が全然違った・メイクで綺麗になったら、素肌も綺麗にしたいと思うようになった はじめましての方にも改めましての方にもちょっと恥ずかしいのですが、私のこれまでの壮絶人生ストーリーを書いてみたので、少しでもお役に立てれば嬉しいです💕まずは、自己肯定感が低い幼少期から癌罹患までの人生ストーリー生まれは沖縄、育ちは横浜学校では大人しくクラスでも目立たない子でした。特別に優秀なわけでも、運動神経がいいわけでもなく自分には何の価値もない。だから、他の人より努力しなきゃダメなんだ。。。そんな風に考えるとにかく自己肯定感の低い子供でした【がんばらない自分は価値がない】学校を卒業して派遣コーディネーターの仕事に就きました。そこでは、毎日朝から終電まで働いて、(終電に間に合わないこともそっちゅう)たまの休みもトラブルで呼び出されたり、、、クライアント、上司、スタッフからのプレッシャー。やってもやっても終わらない仕事に、ミスの連続の負のループ体力的にも精神的にも限界に達していました。離職率も高く、鬱になったり、突然会社に来なくなる人も多い職場だったのに、ここで逃げたらダメだ。そんな自分には価値がないと、心も体もボロボロにしながら、働き続けました。それは、がんばらない自分=価値がないという自分の思い込みに縛られていたんですね「状況を変えられない。」「ミスをしてしまうのは自分のせいだ。」と、自分を責め、酷使し続けました【大病をして、生きる意味がわからなくなる】その結果、取り返しのつかないことになってしまいました。私は自己免疫疾患の難病をこじらせ、病院に行った時には、倒れる寸前で、即入院。仕事は辞めざるをえませんでした。病状はどんどん悪くなって、自分の体が思うように動かなくなってしまいました。仕事も恋人も失い、大好きだったダンスも出来なくなってしまいました。人と会うのも嫌になって、自分の情けない姿を家族にすら見せたくなくて、都内で孤独に一人暮らしを続けていました。病院と治療院を往復する日々。貯金も底をつき、生きている意味もわからなくなって、このまま消えたい。そんな気持ちで日々を過ごしていました。その後、再就職するも今度は癌を発症。ステージⅢb。5年生存率は40%以下。大きな手術を4回繰り返して、抗がん剤治療もしました。辛い治療が続いて、髪はボサボサ、肌はガサガサと劣化していきました。自分の姿を見るのも嫌で引きこもりがちになりました。【家族や友人の愛情に触れ、生きることの価値を再認識する】死を身近に感じながらも、「なんとかして回復して欲しい」「ただ、生きてて欲しい」と願う家族や友達の愛に触れて、自分には生きているだけで価値があることを実感しました。そして、「このままでは終わらない。」「絶対に生き抜こう!」そう心に誓いました。次回につづく↓↓↓人生どん底からメイクコンサルタントになるまで/人生ストーリー(2話)ここまで読んでくださってありがとうございました💕タップしても表示されない方はID検索してね@777hizah