もうすぐ夏休みだな~。
私が子供だった頃は、夏休み前は本当に嬉しかった。
なんでワクワクしたかって、
いつまでも寝ていられて、邪魔されることなく1日中ダラダラしていられたから。
うちの親は共働きで、昼間は家にいなかった。
夏休みの間家にいたのは姉と祖父母で、
私は祖父母に甘やかされて育ったので、うるさいことは一切言われることなく、
休みになれば坂を転がるように、目に見えて生活は堕落して行った。
両親は仕事で忙しく、私の生活態度が堕落しようが、
夏休みの宿題に一切手を付けていなかろうが気がつかなかった。
それをいい事に、私は夏休みの間中、好きな時に起きて、寝て、食べて、遊び
動物園の飼育されている動物のような日々を過ごしていた。
今気がついたが、私の今の生活は、この夏休みの毎日とあまり変わっていない。
向上心のかけらもない発言のように思われるかもしれないが、
私の子供の頃からの夢は、「毎日が夏休み。」だった。
だから私は、あの頃の夢を手に入れたと言ってもいいだろう。
”Dreams Come True”。未来予想図はここにあったのだ。
ダラダラとしか生きてこなかったわりには、夢を現実にしたのだから
あの頃、心の片隅でいつも感じていた、
「不規則で目標のない生活を続けていたら、立派な大人になれない」
という、教育目標の刷り込みなど気にしないで、
もっとダラダラしていれば良かったとも思う。
あの頃の自分に教えてあげたい。
私が子供の頃、毎朝ラジオ体操があり、
それは毎日お盆過ぎまで続いた。
朝から子供を集めて体操をさせるなんて
ものすごい迷惑な企画。
続けて行ってもとくに良いことはなかったので、
私は小学生高学年になってから行くことはなかった。
更新とか、全員での体操とか、私がもっとも苦手なことだ。
当然宿題は2学期が始まってから製作を開始。
友達の夏休みの友を写させてもらい、
自由研究も、絵も工作も日記も友達と作った。
私の友達はなぜか世話好きな人が多いので、
喜んで手伝ってくれていた。
ありがたい話しだ。
今自分の夏休みを振り返り、
これが自分の子供だったら、絶対私は許さない。
思うに、あきらめない我慢強い子供を育てるには、
親も我慢強くなければならないのではないかと思う。
私は子供を育てたことはないが、
姪と一緒にいて感じるのは、子供と一緒にいると「待つ」ことが多くなるということ。
でも、自分でやらせてみるには、
自分で考え、理解させるには待つ作業が必要なのだと思う。
うちの親は忙しくて、子供を待つより自分でやってしまった方が早かったし、
子供がやらない、出来ないのを待つより、我慢する方が母には生活効率が良かったのだ。
だから私も、うるさいことを言われても、ちょっとそれのを我慢していれば
結局母親がやってくれるという甘えから、聞き流すという技を身に付けて行った。
だからといって私は、その母の育て方に不満は持っていない。
母はいつも優しかったし、今でも世界で一番愛情を感じるのは母だけだ。
どんなわがままを言っても、絶対に母は私を嫌わないでくれるという安心感があるし、
一番信頼できる唯一の味方だ。
まもなく夏休みだが、最近の学校は宿題が少ない。
自由研究や工作はなく、絵日記も1日分だけでいい。
「夏休みの友」の存在などは過去の産物となり、
プリントが数枚あるだけ。
私の姉は、姪の学校の少なすぎる宿題に不安さえ感じ、
さっそく「チャレンジ」などのドリルを検討中。
羨ましい。
なんて羨ましい。
あの頃の私なら、歯をギリギリさせて羨ましがっただろう。
でも待てよ?自分。
どうせ友達とやるんだから、多くても少なくても一緒だ。
夏になると、いつも思い出す。
あの堕落した日々を・・・。