優子ママのこと ②はコチラ


数年後のある日、

優子さんから私宛に、
新規オープンする店の、案内状が届いた。

でも、私の中で優子さんは、もう過去の人だった。
友達と共同でお花を贈ったが、お店に行くことはなかった。

時々友達に話しを聞いても、相変わらず、
「ちょっとおかしい」という噂以外は聞くことなく、
やっぱり私にとって優子さんは他人だった。


11
月のとても寒かったある夜、
同じ店で働いていた友達からメールがきた。

優子さんが亡くなりました。自分からだそうです。
明日がお通夜、明後日が葬儀になります。

ショートメールだった。
私はメールアドレスを変更したことさえ、
その友達に連絡していなかったのだ。

私は手が震え、怖くなった。

その日、私は酷い風邪を引いていて、
喉が駄目になり、声が全く出なくなっていた。
電話をしても話しが出来ないため、
私は友達に手紙に書いてFAXで送った。

彼女は、深夜になってFAXで返事をくれた。

子供が産まれてから、本当忙しくて、
優子さん達とはこの2年、疎遠になってた。
子供が産まれた時にお見舞いに来てくれて、
それが最後に会った優子さんだよ。

2
年ぶりに、順子さん(優子さんの友達)と話したことがこんなことで・・・。


優子さん、ずっと何年も精神的にウツの状態が続いていたらしくて、
仕事もできなくなっちゃったらしい。
でも、3日前に順子さんと2時間くらい長電話で話して
”頑張る!”って言っていたんだって。
でも、
“お母さんと妹に迷惑かけて申し訳ない”
とも言っていたんだって。

順子さんね、
“もう休ませてあげたいと思っちゃったんかな”
って泣いているの。
もう聞いてられなかった。

優子さんもいろいろあって、
周りの人、どんどん離れちゃったでしょ。
一番輝いていた時のメンバーが
送ってあげたら嬉しいんじゃないかと思って。

私、迎えに行くから、一緒にママ送ってあげよう。


私は結局、仕事の代わりのスタッフ見つからず、
葬儀に出席することができず、お通夜に行くことになった。
私の住んでいるところからは少し離れた優子さんの実家。

私は彼に頼んで、夕方会場まで乗せていってもらった。
優子さんが亡くなったことの実感を、感じることができないまま
私は通夜会場に向かった。

受付で記帳していると、
優子さんの一番仲良かった順子さんが私に駆け寄り、
来てくれて、ありがとうね。
と声をかけてくれた。

順子さんも、優子さんと一緒に仕事をしていた憧れの女性だった。

順子さん、大丈夫ですか?
あの・・・順子さん優子さんと仲良かったから心配で・・・。

いつも美しかった順子さんが、
涙に溺れている姿を見て、
気の利いたセリフが何も見つからなかった。

大丈夫ですか?なんて、
そんなことしか言えなかった。


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