推定15歳
国語・漢文テストの自分の回答より


中学3年生2学期の中間テスト、
国語の答案用紙だ。

答案用紙なので問題はわからないが、
問題は漢文のようである。

1番最後は作文になっており、
答えから想像すると、
「この漢文の意味を、考えて答えよ」
とかいう問題だと思われる。

私はこの言葉の意味を考えたけれど
わかりませんでした
。」

わかりませんでした。じゃない!
あまりにも正直すぎて工夫がない
だろ!
ちょっとは悩んだ風な文章を書け!
しかもそれは答えではなく感想だぞ!

今までの作文の問題とは違うし、
一昨年の3年生の受験のときに
このような難しい問題が出て問題になったことがあります
。」

だいぶ偉そうな上に、
回答を書くことをきっぱり拒否して、
問題まで否定してしまったじゃないか!

第一に、意味を自分で考えろと言われても
意味を問い違えたらこの作文は駄目になる。


第一にって、おまえは評論家か!
先生だって、生徒のバカ過ぎる批評は読みたくない。
どうせ書くならもっと頭良さそうな事を書いて欲しい。

意味を問い違えるも何も、
そこが回答すべき場所なのだから
駄目にしているのは自分である。

それに、現代仮名遣いにしてくれなくては
余計にわからない


どう見ても漢文の答案用紙に書く答えでない。
漢文のテストを受けている自覚がないことが
バレバレである。

もうちょっとわかりやすいものなら、
私はこの作文を無駄にしなかったと思う
。」

自分のバカを棚に上げて、
答えられないのは問題のせいだと
答案用紙に書く馬鹿がどこにいるだろう。

まったく恥ずかしい。
土に埋めて90年くらい放置してやりたいくらい恥ずかしい。

他にもバカな答案はたくさんある。
化学の答案の余白には

テストを受けている間中、
外の工事の音がうるさくて集中出来ませんでした。
なのでこの点数です
。」

と、点数のところに矢印をし
採点もされないうちから
点数が低いことの言い訳をしている。
誰に言い訳したいのかよくわからない。

教師は生徒が0点でも
100点でも痛くも痒くもないのだ。
痛いのも痒いのも結局自分だ。

うるさくても静かでも点数は変わらないくせに
言い訳だけは一人前だ。

この化学の教師と私はとても仲がよかった。
若かったので生徒とも仲良く、
友達みたいだったので
私もこんなふざけた回答をしたのだろう。

このふざけた書き込みに対しこの教師は

集中すれば音は聞こえなくなるものだよ。
集中力を鍛えるチャンスだと思って、
今度のテストは頑張ってみよう!


と、チャレンジの赤ペン先生みたいな口調で
コメントが書かれている。
なかなか許容量の大きな先生である。

案の定、先ほどの漢文の答案用紙はというと
ふざけた回答に対し、
バツ印が冷ややかに書かれているだけで、
なんのコメントも書かれていない。
ユーモアも許容量も乏しい教師である。

また別の歴史のテストでは

フランス革命はなぜ起こったか考えなさい

という問いに対し、

アントワネットのわがまま

と書き、先生に三角をもらっている。


歴史を教える教師には、

このぐらいのユーモアがあって欲しいと思うが、
いい加減、答案には答えだけを書いて欲しいと、
今更ながら10代の自分に願う。

無知とは無敵なり。