推定14歳

つっちーからのメモ

 

 

授業中、離れた席に座っている私に回ってきた

つっちーからの小さなメモ。

ノートをちぎって書いたものだ。

 

先生に見つからないように、

小さく小さくたたんである。

 

今夜、また電話で話そう。

9時頃なら大丈夫? 」

 

 

私たちが学生だった頃は

メールもポケベルもなかったので、

会って話す以外の私たちのコミュニケーションの手段は、
電話か手紙だった。

 

電話は自分の部屋になく、コードレスホンもなかったので

電話を使う時はたいてい、玄関先とか、茶の間とか、

親や兄弟がそばにいたり、寒かったり

環境の悪い中で話すしかなく、

当然甘い会話が出来るはずはなかった。

 

親世代にとっての電話は

長電話するためのものでも、

コミュニケーションの道具でもなかった。

 

連絡、報告が主な使用目的で、長く話すことは有り得なかったので

玄関などという、決して快適とは言えない場所に親機を設置しても

不都合ではなかったのだ。

 

 

当時NTTは、なんのサービスも考えておらず

電話料金は使ったら使った分反映され、

我が家で長電話は禁止だった。

 

子供のコミュニケーションのことも少しは考えて欲しいが、

子供にそんな発言権はない。

 

今のように各部屋に電話があり、コードレスでどこででも話が出来、

自分の携帯も持ち、メールも出来て

自分の気持ちをリアルに交換できるということは

あの頃の自分から見たら非常に羨ましく、すごいことだ。

TV電話は、空想の世界のものだった。

 

 

好きな男の子と話す時は

親の目を盗んで家を抜け出し、

近所の電話ボックスに行って話をした。

テレホンカードが無くなるまで話し、

真夜中まで電話ボックスにいたこともあった。

 

 

公衆電話は、

夜中に電話ボックスを掃除しにくる事がある。

ピンクチラシをはがしたり、電話を拭いたりしていくのだ。

 

本来普通の使用目的であれば、

きっとその掃除の人を見ることはないだろうが

私の公衆電話での長電話は、半端じゃない長さだったので

私はなかなか会うことの出来ない掃除のおじさんに遭遇することができた。

レアキャラである。

 

しかし、いくらおじさんが仕事でも、

燃え上がった恋人たちの会話を止められることはできず、

あきらめたおじさんは掃除を始め、私は話を続けた。

 

自分の図々しさを申し訳なく思う。

 

電話ボックスに、おじさんと私。

おじさんはもくもくと掃除を進め、

最後に、受話器をちょっと貸してくれと手で合図し

受話器を拭いて掃除を終えて去っていった。

 

今考えれば本当に危ない。

年頃の娘が、夜中に公衆電話に入り浸っているのだ。

 

私の父も、娘の貞操を守るべく、

部屋に電話を設置してくれるべきだ。

 

というか、

自分の好きな女の子が、

夜中に出歩いているのだ。

つっちーは心配じゃないのか?

 

その辺を自分にはよく見極めて欲しい。

 

そして今更ながら、

田舎の治安の良さに感謝しなくてはならない。