推定17
昌代嬢からの手紙

美奈子さんと同じクラスで楽しかったです。」

私の高校は3年間クラス換えがあったので、
離れてしまう、さよならの手紙のようだ。


昌代とは2年になってから同じクラスになったが、
大人しくて目立たない子だった。
特に頭がいいわけでも、悪いわけでもなく、
お笑い芸人の“ドランクドラゴンの太った方
”が髪を伸ばして、
メガネをかけたようなコントっぽい外見をしており、
同じクラスになるまで昌代の存在を知ることはなかった。


ある日私は、お昼休みに抱えきれないほどの
ジュースとお弁当を買っている昌代を見た。


昌代と1年の時同じクラスだった友達に聞くと、
昌代は1年の時からずっと買い出し担当のパシリにされていたのだ。

昌代は毎日、お昼休みになると購買部へ走っていた。
走らないと、言いつけられたものが売り切れて買えなくなるからだ。

言われたものを買ってくると、昌代はいつも教室で、
親が作ってくれたお弁当を、もくもくと食べていた。


昌代はいつも、言われるままに言うことを聞いていた。
私はその様子を、いつもだまって見ていた。


休み時間、昌代は何かをノートにしきりに書き続けているのが
いつも気になっていたので、

何書いているの?」と話しかけた。
それが私と昌代が交わした始めての言葉であることは、
昌代からの手紙に書いてある。


私が学校で話したのは、
あの時の美奈子さんとの会話が久しぶりだったんです
。」

昌代はノートを両手で隠すようにして
恥ずかしそうにしていたが、そっと表紙を見せてくれた。


光GENJI みきおと昌代のラブストーリー

ぶっ
!!!

昌代は大沢みきおとのラブストーリーを小説にしており、
それを毎日、
一生懸命ノートに書いていたのだ。
昌代は、
誰とも一言も口を聞かない暗い毎日の中で、
めくるめく妄想を繰り広げていたのだ。


もれなく私も、さんざん笑ってしまったが、
そんな恥ずかしいノートを、学校で書くなんてすごい度胸だ。

それを友達に恥ずかしがりながらも見せるなんて
ある意味、露出狂である。


普通そんな恥ずかしいものを学校で書けば、
いじめっ子達に取り上げられて、
さんざん馬鹿にされたあげく笑われ、

さらしものにされるのが普通だ。
いじめっ子達に見つからなかった昌代の運の良さに感心する。


当時、光GENJIは押しも押されぬスーパースターで、
スマップはその後ろで踊るクソガキだった。


笑っておいてなんだが、昌代の文章はとても上手だった。
忙しい芸能人と付き合う一般人の苦悩や、

お忍びデートで宝塚の舞台を見に行ったり、
部屋で料理をして食事したり、
初めてのキスまで細かく恋のドキドキが描かれていた。
それは純粋なラブストーリーであり、
乙女心にメガヒットする出来栄えだった。

ただ残念ながら、登場人物が大沢みきおと昌代なため、
ムードたっぷりの盛り上がりのシーンで、
いちいち、ドランクドラゴンの太ったほうが
出てくるものだから
いまいち感情移入できない難点を除けば、それは素晴らしい小説だった。


しかし、昌代に普通に芸能人と一般人の恋物語として、
別の登場人物で書いてくれとは言えなかった。


昌代は話してみると意外と面白く、テレビの話題に詳しかった。
見逃したドラマの内容を、脚本のように文章にしてくれたり、
私が好きだと言った芸能人の切抜きを持ってきてくれたりして
テレビと宝塚の話になると、目がキラキラしていたのを思い出す。


ある日の
3時間目の休み時間に、
いつものように、お金と買い物メモが昌代に渡された現場に居合わせた。

いい加減、そのパシリを昌代にさせるのをやめてもらいたかった私は
私の友達だから、そういうこと頼むのやめてくれる?

その子達は、私の友達と仲良かった子だったから
私も会えば挨拶ぐらいはしていた。
それでもいじめっ子に「いじめるな」というのは勇気がいった。
多分すごいドキドキしてたはずだ。
だからこんなによく覚えている。
昌代にも、自分で断る勇気を持って欲しかった。


学校に来て、誰とも話さないことが、
どれほど長い
1日であるか、私には想像がつかない。

子供は、明日も明後日も学校に行かなくてはいけないから我慢をする。
親に言ったら親が悲しむからといって我慢する。
愛されてきた娘は、その愛情がわかるから親には余計言えないのだ。


昌代は、母親が持たせてくれる
手作りのキレイなお弁当をいつも持ってきていた。
なのに、毎日他人のために、
ジュースやお弁当を買いに行かされているとわかったら
親がどんなに悲しむか、親に愛されてきた子供だからこそ、
親には言えないのだ。

嫌といえない昌代の気持ちも少しはわかる。
でも断る勇気は必要だ。
イジメは学校だけにあるものじゃない。

自分の気持ちを主張できなければ、社会に出ても同じだからだ。

嫌だと言える強さを与えられるのは、親だけだ。
子供の世界を、学校という狭い世界だけにしてはいけない。


大人になってみれば、高校や中学の3年間は、
あっという間の短いことだった。
あれほど意地悪だった恐怖のヤンキー先輩も
今ではスーパーのレジ係をして細々と暮らしていたり、
あれほど美人で威張っていたスケバン友達が、

ただのおばさんになっていたりする。
そして、教師はただの教師であり、
必ずしも素晴らしい大人ではないのだ。


世界は広い、そして生きる道もひとつではない。
たとえその当時は、長くつらい時間であっても、

その時間は、絶対に一生続くことはない。

世界が狭ければ狭いほど、
壊すことは、何も怖くない。
壊せば広い世界が見えてくる。
親にはその勇気と選択肢を与えて欲しいのだ。


現実の世界では、あれほどまでに消極的なのにもかかわらず、
昌代は小説の中では積極的だった。

たしか、大沢みきおを誘ったのは昌代だった気がする。

現実を離れると、まったく別人になるなんて、
まるで、ガラスの仮面の北島マヤのようだ。


私は、美奈子さんが好きです。
本当に1年間、仲良くしてくれてありがとう


いじめられた人の心の傷が癒えることはない。
学生時代の思い出に、いじめられた経験が存在し、

深く心に残る。

人の人生に傷をつけるということの重みを、
もっと大人が教えてあげなければいけない。

あの頃の昌代を思い出して、あらためて思う。
私のほうこそ、勇気をくれてありがとう。
今は幸せになっているといいな。