おはようございます☀️☀️☀️

私の担当医だった、僕ちゃんは
2年目の研修医で

9月末で、他科に移動となった。


まぁ、まさか 8月16日に入院した患者が
これ程長く 退院出来ない状態になると
想像出来きなくて、担当医になったのだろう。






私は、居酒屋をやっている時

全国の人の話しを聞く機会があったけど


何故か、関西圏の人が 多かった。



そして、僕ちゃんの言う


「どぉしたら いいんでしょうか?」

の、「どぉ」が どうにも 広島の言葉に聞こえて
(広島のお客さんもかなりいたので)


「先生は 何処 出身なの?」と聞くと


「訛ってますか?  自分、広島です!笑」




その日から


私とスキンヘッドの LINEの中では


僕ちゃんは 「広能」になる🤣🤣🤣



ま、皆さんは 知らないだろうけど

興味があったら 調べてね!


「仁義なき戦い」広島抗争  主演 菅原文太 
役名・広能昌三
  


ま、ちょっと 僕ちゃんも

若い頃の、菅原文太に 似ているかも😂🤣🤣🤣




僕ちゃんは 時々
他のドクターと一緒ではなく

1人で ふらりと部屋に入ってきては

私の話しを聞き出そうとするんだけど


ぶっちゃけ、私の方が 何十倍も
話しを聞き出す、プロなのに😂😂




僕ちゃんの父親は 地元では 有名な医師で
エリートで


けど、彼は 子供時代に 2年間 引きこもりを
してしまう。


そうなると、彼の父親には
彼は 透明人間になったようで、
そう扱われて、辛かった時の事
立ち上がる きっかけの話しをしている。


そして、その時 お世話になった
小児の心療内科のドクターになりたくて

一念発起、した訳だ。



けど、今回 内科
特に、難病、SLEや腎臓の患者さんを
目の当たりにして


迷いが生じていると


先輩のドクターからも 熱心に誘われていて

2年目の研修医は この時期に
進路を決めなくてはいけないのだけど

決めきれない自分がいる、と話していた。





9月30日、最後の日

広能こと、僕ちゃんは

かなり 早い時間に 私のところにきて


「進路、決めました。」


「小児心療内科に したんでしょ?」



言い当てられた 僕ちゃんは 驚いていたけど



まぁ、大人なら きっと 
誰でも わかる話しだろう。




私は 最後に、僕ちゃんに 言葉を贈った。



「最善の治療が、最高の治療と思うなよ!
それを忘れず、患者の生活を妄想しなよ!」





医師は とかく、最善の治療といい薬や
手術、処置を 当然のように 勧めるが


患者からすると

確かに そのお薬は 最善かも知れないが
もう2度と 通院出来ないような
高額なものなら、
それは 最高の治療とは 言えない。
 
 

僕ちゃんは
黙って 何度も何度も うなづいていた。




そのあと、先輩ドクターと一緒に来て

「最後まで、診られなくて すみませんでした」

と、別れの 挨拶をしたけど

僕ちゃんは それ以上の事は 言わなかった。




そして、
これまで 自分が処方した 外部薬、塗り薬等
黙って 追加して 処方して行ったあたりが
僕ちゃんらしいと 、嬉しかった。





昨日、10月1日。




いつもなら、朝 1番で
部屋に飛び込んで来る

僕ちゃんの姿がなくて



ちょっぴり、寂しい朝だったな😂😂😂




血小板ちゃんは、4万から 3万へ減少。




だから、余計に 寂しかったのかも😅😅😅😅





ではでは👋👋👋👋👋