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   ​スピリチュアル×看護の視点👀

スピの恩恵が薄いスピ好き、実践者の願望成就/お悩み解決に向けて発信中!

オーラ、ご先祖様、手相をみる前に
目の前の個人を看るがモットーのGOCCO
(ごっこ)です!





    

今日のお題
スピリチュアルの定義​

 

 こんにちは😃

ブログを開いてくださりありがとうございます!



お題に答えていくにあたり

スピリチュアル×看護の視点を主張しているので

看護の話をしていきます。




まず、看護学を学んだ人間として

忘れてはならないのが

ナイチンゲールさんの存在です。






ナイチンゲールさんは

誰しもがスピリチュアル的側面を持った

人間である。」と提唱しています。




スピリチュアルを信じていない人、
スピリチュアルの存在を認知していない人、
スピリチュアルが好きな人、
年齢、性別、国籍、宗教の有無、
全て関係なく、
人間というのはスピリチュアルな側面を
持ち合わせているものだと確信しています。


なぜなら…
約120人へのインタビューと自身の経験から
私もみんなも「スピリチュアル的側面をもっている」
と確信に至る経験があるのです。


スピリチュアルの定義は彼女の提唱したことが
裏付けています。




看護にはスピリチュアルペインという

言葉があります。

彼女は患者にはスピリチュアルケアが

必要であり、スピリチュアルケアは

看護であると提唱しました。



スピリチュアルペインとは…

死に直面して深い絶望感や虚しさを感じたり、

信仰や宗教的な問題に悩んだりすることから

生じる「人生の意味や目的」、「自己の存在価値に対する苦しみ」のこと。(レバウェル看護さんより参照)




わたしのブログ(スピ看)では、

スピリチュアルペインを"人生の迷い"に対する

痛みとして扱っていきます。

また、病気や信仰や宗教は扱わずに

誰もがもつ"人生の迷い"を解決できるような

知識、経験・体験談を綴っていきます😊




おわりに、スピリチュアルの定義について。
なぜ私は私なのかを追求していくこと


例えば、なぜ女なのか。男なのか。

なぜこの名前で、言語で、見た目なのか。

健康なのか、不自由なのか。

なぜ、その夢/願望/目標を持ったのか。


なぜという問いに答えられる納得感こそ

スピリチュアル的側面の充足

(満足、折り合い、受容)。


「スピ看」では

自分が自分として生きてきた

軌跡そのものがスピリチュアルである

という考え方をしていきます。




それでは、また次回のブログで😊