ミラノを半日観光して、午後からは、ベローナへ。
カヴィ家の門
この門を過ぎると、ベローナの街に入っていきます。
イタリア観光をしてると ガイドさんから、よく 「~家」 って言葉が出てくるのですが、
ローマ時代にベローナでは、このカヴィ家というのが、力を持っていたようです。
この門のところで、現地ガイドさんと交流。
その地域に住んでるガイドさんと約束ができてるらしく、 バスに乗り込んでこられます。
ガイドさんに連れられて、ベローナの街へ。
アディジェ川 (イタリアで2番目に長い川らしい)
とってもきれいな景色にまず 案内してくれました。
川沿いを歩き、 ベローナの街中へ。
そんなに大きくない街ですが、
素敵なところでした。
ロミオとジュリエットのお話の舞台となっていることでも
有名なベローナ。
これ、ジュリエットの家。
一番、観光客が多かったです。 ジュリエットの像がこの下にあって、そこはお写真スポット。
シェークスピアの悲劇「ロミオとジュリエット」の話はヴェローナの敵対する二名門の息子と娘の悲恋物語だが、シェークスピアはイタリアに来たことがなかった。シェークスピアは16世紀前半にルイジ・ダ・ポルトという作家が書いた「二貴族の恋人の物語」もしくはそれを種本にして書かれた、マッテーオ・バンデッロの短編集のいずれかをもとにこの悲劇を書いている。その種本のまたまたもとになっているのが、ダンテの「神曲」煉獄編の第6歌である。皇帝派のダンテは13世紀末のイタリアを荒廃させる皇帝派と教皇派の争いを嘆き、この責任はイタリアをおろそかにする神聖ローマ帝国皇帝にあるとしてこのように詠っている。
「アルプスの北ばかりに夢中になり、帝国の庭を放置して荒らしてしまった。思慮のない人よ、来て見るがよい。モンテッキ、カッペレッティ、モナルディ、フィリッペスキの各家を。」
ダンテは対立する多くの貴族や結社の中から、ヴェローナの皇帝派貴族モンテッキ家、クレモナ市の教皇党員の結社カッペレッティをその代表にあげ、中部イタリアを代表してオルヴィエートのモナルディ家とフィリッペスキ家を選んだ。カッペレッティは教皇派の結社で貴族ではなかった。ロミオの家も、ジュリエットの家もその墓ももちろん本物ではないが、「ロミオとジュリエット」の舞台となった町というイメージをこわさずにその気になって観光しよう。
ガイドさんの説明がありましたが、 きっちり頭に入っていないので、 抜粋しています。
ベローナのガイドさん。
もちろん、日本語でのガイド。
ベローナではスカーラ家がとても繁栄してたらしく、その名残の建物をたくさん紹介してくれました。
ガイドさんが、日本人にわかりやすくいうには、 「室町時代」のことだそうで・・・
なにかにつけて、「室町時代」に比較して、話をすすめてくれますが。
室町時代ねぇええ、、ワタシベンキョウタリマセン
最後、 アレーナの闘技場前で、ガイド終了。
イタリアは、日本と同じく地震大国らしく、 この闘技場も、かつての地震で、こんな感じに
なってしまったらしい。
そうそう、
イタリアは、トイレ使用にお金がかかる場所が多いです。
だいたい50セントくらい。
このアレーナ闘技場でも、 バスに乗る前だったので、トイレ使用したけど、有料でした。
だいたい、トイレには、係りの人がいます。
バスの出発まで15分くらいしかないし、 男子トイレに入った息子は、なかなか出てこないし、
「○ちゃん、、、 早く出てね~! 」 っと
男子トイレに向かって、叫ぶ私に、
係りのおっちゃんが、
「マザー、 ドラスティック 」と、言ったし
まぁ、、、 おっしゃる通りだから、 いいけど。 (笑)