2015年、33歳の冬、
自分がADHDであると診断を受けました。


地元から遠く離れた雪国に嫁ぎ、
7歳と2歳の兄妹を育てている中で、
いつも自分の周り全てを壁に囲まれているような、
抜け出せない迷路の中にいるような、
楽しいことや希望なんて見出せない、
鬱々とした暗い毎日でした。


他のお母さん達が当たり前にできることができない自分への自己嫌悪、
子供達への苛立ち、八つ当たり、
そしてまた自己嫌悪の波。

いうなれば、育児ノイローゼ、うつ、
そう例えられるような状況でした。


自分は周りの人と違うんじゃないかという違和感を感じながら育ってきてはいたものの、

発達障害
ADHD

という言葉自体を知ったのはここ何年かのこと。


もしかすると自分はそうなんじゃないかという疑念はずっとありました。

下の子が2歳になり、俗に言うイヤイヤ期が始まり、私のイライラ、モヤモヤ、パニックは頻度を増しました。
そしてヒステリックに子供達を叱りつけ、子供達の悲しそうな顔を見ては後悔する。
寝顔を見ながら毎晩泣きながら謝っていました。


こんな母親に育てられたら、子供達はきっとダメになってしまう。

子供達のために、変わりたい。
少しでも、何かこの私の今の最悪な状況を変えることができるのなら、病院で診断を受けたい。

その思いだけで心療内科の戸を叩きました。


そして、結果はやはり不注意優勢型のADHDでした。


子供の頃から忘れ物が多く、片付けが苦手で、とにかくうっかりだらけでした。

あんたはどんくさい、
平気で言いつけを忘れる、
全然片付けない、
と叱られ続けてきました。

ああ、なぜ私はこんなにもダメ人間だったのか、
やっと、合点がいったのでした。

そして、それと同時に、すごく安心しました。

なぜ大事な局面でミスをしてしまったり、
頑張れなかったり、忘れてしまったり、
自分は本当に社会人失格だと思ったことは何度もありました。

専業主婦の今は、妻失格、母親失格だという思いしかありませんでした。

ADHDであると診断を受けたことで、
それを少しでも改善できるのかもしれない、何か方法があるのかもしれない、という希望が湧きました。

大げさかもしれませんが、私の人生に光が差したのです。


それでもやっぱり色々なことに未だぶつかる毎日です。

得意の自己嫌悪も、全く無くなったわけではありません。

そんな私のその日その日の思いを、
ここに書き留めていきたいと思い、このブログを始めることにしました。

本当に自己満足の日記になりますが、続けていきたいと思います。