司法臨床の傾聴に、ロジャースの三原則、すなわち、共感的理解、無条件の肯定的関心、自己一致は当てはまらない。こう言い切ると語弊があろう。要は、話の内容次第で、疑問があれば、じゃんじゃん質問しますよと言うことである。

 

 新採用の家裁調査官を見ていると少年、当事者のストーリーをただ聞かされている者がいる。相手は用意してきた話を滔々と述べる。それをノートにメモを取らされている。それで良いのか。それは、ロジャースの三原則にも当たらないであろう。共感も肯定も自己一致もありはしない。ただ受け身でご意見を拝聴しているだけである。

 

 これでは、調査事項という家裁裁判官が調査で聴取してほしいという事項が明らかにならない。したがって、報告できず、適切な審判ができない。法律判断をするには、ここは調査で明らかにし、報告してほしいという要調査事項が各事件ごとに決まっている。少年家事事件、両方の事件でそれはある。自ら話してくれないのであれば、質問するしかない。

 

 私は、少年事件であれば、「送致された非行事実に間違いはないか。」「捜査で自分の意向を言えない部分はなかったか」を問う。そして、ひたすら傾聴にしばし徹する。家事事件であれば、「申立書に書いている主張は今も変わっていませんか。揺れ動くこともありますか。」「ここに書いたことはあなたの本音ですか。誰かの助言によって少し変わったところがありますか。」と問う。そして、ひたすら傾聴にしばし徹する

 

 その後は、話の流れによるが、疑問はどんどん質問する。矛盾があれば、指摘し、アンビバレントな気持ち(両価的=ああもしたいが、したくない気持ちもあるという相克のある気持ち)を解き明かし、共有していく。万引きはしたくなかったが、小心者と思われる、仲間外れにされるのが怖かった。そんな話は、受け身で聞いているだけではなかなか出て来ない。出てくるとしても相当の時間を要する。とても、一回や二回の面接調査では自発的に語られない。だから、厳しくも温かい質問をずばずばすることが必要となる。

 

 疑い深いから質問するのではない。君のあなたの本当の気持ち、状態を知って、問題を解決したい。幸せになってほしい。だから、そこに至るためにあなたに近づきたいので質問をさせてもらっているのです。そうはっきり言う。

 

 少年事件ならば、私は「君が不処分になろうと少年院送致になろうと俺の給料は変わらない。ただ、せっかく、君にここで出会ったのだから、うわべの話だけをするのではなく、がちんこで話をして、君の問題だけでなく、君の長所も知って、丸ごと裁判官に報告して、ここから君の人生を逆転ホームランにしてほしい。それしか面接調査の目的はない。」と話す。鑑別所の初回面接では、必ず、この話をどこかでする。「もし、話したくないなら話さないで良い。しかし、警察が作った調書だけで審判は進むよ。それで良いのか。丸ごと話して、馬鹿にしてきた奴を見返さないか。再出発したいのならば、ここでその方法を見つけようじゃないか。」と語りかける。

 

 傾聴は傾聴なのだが、問題を解き明かすために質問を駆使する。相手の急所にボールを投げることを恐れない。死球になったら、「ごめん」と謝る。それだけのことである。相手に打ちやすい球だけを投げていては、打者がどこを待っているのかは(本心)わからない。あっちこっちに球を投げる、あれやこれや球種を混ぜる。くそボールがあっても良いのだ。そこに笑いが生まれたりし、思わぬ展開になることもある。

 

 司法臨床の「傾聴」は、ロジャースの傾聴三原則とは方法論に於いて違う。そういうことはごまんとあるし、そうでなければならない。

 

 

 

  

 

 心理臨床・司法臨床の中核は、ケース独自の事柄をどれだけ見つけられるかにある。私はそう信じている。例えば、窃盗、万引き事案があるとしよう。初犯ならば審判不開始、不処分を想定するのが大方の家裁裁判官、家裁調査官であろう。それはそれで良い。事案の重大さからすれば、そうであろう。

 

 「しかし」である。調査するうちに、不登校がわかる。表情がやたらに暗い。保護者の不就労がわかると言った事実が判明してきたら、どうであろうか。成績不振、ハンディキャップ(特性)、うつ状態、不適切な養育と言ったワードが連想される。

 

 ここを解き明かすのが家裁調査官の調査である。学校関係者に調査する。家庭訪問調査する。そういう選択肢が上がる。とりあえず、審判不開始や不処分で終局させるにしても、どこが問題であるかは少年調査票に書き残す。問題点に見合った保護的措置を講じ、その内容を少年調査票に書き残す。これが最低限の家裁調査官の良心というものであろう。次の担当者に引き継ぐためにするのである。

 

 ケース独自の事柄、すなわち、ケース性を見つけるのが臨床家の仕事である。窃盗、万引きという罪名に惑わされてケースの独自性を見落とさない。これは極めて大切だ。

 

 人間の錠前に合うカギは一つしかない。どのカギならばその子が心を開いていくれるのか。そこをいつも考えたい。難しいことを言っているのではない。異性を口説くとして、万能の方法があるわけではない。お相手お相手の心の錠前の穴を知ることに尽きる。それと同じである。同じ窃盗、万引きでも一人一人鍵穴は違うのだ。

 

 流行のインテーク、処理基準、マニュアルは、ケース性が抜け落ちていることが多い。その限界を知った上で、調査に当たること、先を見通した措置をすること、少年調査票に書き残すこと。これを励行したい。マニュアル全盛時代だけに、そこから漏れる大切な命、すなわち、ケース性を忘れないようにしたい。

 

 JR九州ホテルブロッサム大分

 

 

 日本一の温泉地は大分県別府温泉。別府駅から電車で10分の大分市が負けず劣らず温泉が凄い。これは知られていない。

 

 とにかく、日帰り温泉が充実している。

 

 JR九州ホテルブロッサム大分。大分駅直結のホテル。屋上露天風呂が最高。日帰り客に開放されている。夕陽に輝く別府市の山並み、国東半島、別府湾が一望できる。

 

 天海の湯。大分駅からタクシーで15分の高台にある。入浴料は格安の600円。サウナ、露天風呂からの別府湾。源泉かけ流し、リンスインシャンプー、ボディシャンプーまである。全面ガラス張りの休憩室が別途ある。別府温泉を凌ぐと断言しよう。

 

 大分出張の方は、一度騙されてほしい。大分駅付近のビジネスホテルに泊まって足を延ばす。JR九州ホテルも天海の湯も昼間からやっている。天気の良い日は別府湾が目の前に迫り、国東半島、運が良ければ四国まで見える。筆舌に尽くしがたい眺望である。

 

 大分市の温泉を侮るなかれ。信じた人だけが得をする

 

神崎温泉「天海の湯」-天然かけ流し温泉 (tenkainoyu.com)

 

【公式】JR九州ホテル ブラッサム大分|JR大分駅隣接徒歩0分 (jrk-hotels.co.jp)

 

 

 九州の山デビューに由布岳を選ぼう。たぶん、九州の名だたる山で一番アクセスが良い。

 

 大分県大分空港からレンタカーで正面登山口まで80分。大分県別府市街地からなら車で30分である。別府湯布院の間は路線バスが利用できる。由布岳正面登山口から徒歩で登り約2時間で東峰の頂上に立てる。初めての山はとかく時間が掛るものである。余裕を見て登りに3時間は見ておこう。360度の眺望がある。西峰は頂上直前に垂直に近い岩場がある。初めてならば避けたが良い。ついでに言えば、夏は暑い。春か秋に登りたい。

 

 登山口周辺は爽快な草原である。時間がないならば、そこでお弁当を広げるだけで来て良かったと思える。由布岳の雄姿が望める。その後、7合目までは樹林帯。その後は、岩場である。頂上は広くはないが、十分にお弁当を広げて寛げる場所はある。

 

 但し、またえ(九合目にある西峰との分岐)から東峰頂上までは岩場が続くので、気を引き締めて登ろう。冬は雪が凍って滑るので、登山は避けたが良い。

 

 登山後の宿は別府温泉、湯布院温泉と日本一の湧出量を誇る温泉地があるので、選び放題である。湯布院の御三家と呼ばれる旅館、亀の井別荘、玉の湯、無量塔(むらた)は滅多に予約が取れない。料金もぴか一である。

 

 アウトドアが好きで、レンタカー利用者に勧めたい隠れたキャンプ場、コテージがある。登山口から車で20分である。「きのこの里」という温泉施設がある。サイトのアドレスを貼るので、興味がある方は見てほしい。決して豪華なところではない。バイクの通たちが連休には宿にすることもある。山小屋が好きである。こういう人に勧めたい。

 

奥別府 かいがけ温泉 きのこの里【 大分県由布市のキャンプ場・温泉・宿泊施設 】 (kinokonosato.net)

 

 

 

 

 

石破茂総理は、真面目な方だと思います。

 

それは、足跡や総理就任後の表情を見ていればわかります。

 

しかし、就任早々、裏金議員を自民党非公認にする→公認し、比例復活できる道を開く。

         日銀の自主性を尊重する→「金利を上げるな」と発言し、日銀の独立を侵す。

         党利党略の衆議院の解散はおかしい→総理就任前から解散を明言する。

                          金融所得課税を行う→うやむやにする。

         選択的夫婦別姓制度に賛同する→うやむやにする。

         アジア版NATOを作る→うやむやにする。

         日米地位協定の改定を行う→うやむやにする。

 

これ、おかしくないですか。

なんのための自民党総裁選の歯切れのよい演説だったのですか。

真逆になっていませんか。

だんまりを決め込む方が先に希望が持てます。

 

党内基盤が弱い。

お友達が少ないから後ろから鉄砲を撃たれないようにする。

そういうことらしいです。

 

正論、苦言を非主流派に居続けて、言い続けたことは立派です。

 

一方で、お仲間が離れていったことは信頼できないからですか。

包容力がないからですか。

 

いずれにせよ、好かれなかったということですよね。

 

友達がいる。

アイツのためならば命を賭けても良い。

そういう仲間がいないと戦はできません。

 

もしくは、しゃにむに前に進む。

「敵百万人なれども我行かん。」です。

 

石破さんが変節しなかったら、世論は石破さんについていきます。

 

小泉純一郎総理の郵政解散の時、世論はついていきました。

小泉純一郎総理は「変人」と言われました。

しかし、「変人」として意志を貫いたので、山崎拓さん、加藤紘一さんが最後まで付いてきた。

無二の親友がいました。

 

意志を貫くと不思議と意気に感じて、無二の「お友達」ができるみたいです。

 

「友達百人できるかな。」

子どもが小学校に上がる際、思うそうです。

友達がいるというのはありがたいことです。

今回、それがよくわかりました。

 

お友達が少ないないならば、いっそ「変人」、「頑固」に徹してみませんか。

 

「頑固」に徹しつつ、自民党総裁と言えども独裁者ではないので、党内を導いていく。

 

党内の大方の納得を得つつ、石破総理の持論を実現される。

 

それでよろしいのではないかと思います。

 

石破茂総理、今からでも遅くありません。

 

ご健闘をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

親ガチャの親なのに、生まれてくれてありがとう。

 

 

 

立ち会い出産の日は、産室で妻より先に貧血でダウンした。

 

運動会で、勢い余って玉転がしで客席に突っ込んだ。

 

休日も仕事に出て、家事も育児も妻に任せっきり。

 

料理が下手で、お惣菜だけを食べさせた。

 

長距離通勤でうつ病を発症し、稼げなかった。

 

金がなくて、地元の学校へ進学しろと言い、頭の良かった子を絶望させた。

 

大した訳もなく、「家から出ていけ」と子どもに怒鳴った。

 

親を選べないのに、生まれてくれてありがとう。

 

 

 

でも、父さんは、幸せだった。

 

 

 

「ごめんね」

 

 

 

今も心で思ってる。

 

 

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 私は夏山がメインである。冬山は寒くて危険との意識があり、挑戦したことがない。そこで、冬は夏に備えたトレーニング期間となる。

 

 とにかく、何かしていることの方が重要で、量は問題外と思っている。夢がある。憧れがある。したいことがあることで毎日が変わる。

 

 通勤で地下鉄の駅を昇り降り、歩きまくっている人は何もしなくたって良いだろう。空席に座らず、吊革にぶら下がっているだけで十分と思う。

 

 プラスのお勧めが、神奈川県の小田急線沿線渋沢駅最寄りにある塔ノ岳(標高1491m)である。そのコース上にある大倉尾根(おおくらおね)である。3時間30分程の直登で、これが結構きつい。通称バカ尾根と言うらしい。良くぞつけたりである。大した標高の山でないのに、良い訓練になる。以前は山道が崩れて何度も修復していた。首都圏の登山者の人気のコースなので、適宜工事が入り支障がないと思う。塔ノ岳の頂上にある山小屋、尊仏山荘のリンクを下に貼っている。大倉尾根の現状はそこで確認してほしい。

 

 難しい説明は不要である。危険個所は全くない。ひたすら登るだけ。ここを登れるようになる。または、ぺース配分を考えて登れる、眺望を楽しむ余裕ができるようになれば、北アルプスの一般コースは大概行ける。自信を持って良い。北アルプスはかなり山奥まで交通機関で行けるところが増えているからである。

 

 一に通勤、二に大倉尾根。首都圏にいる方にはぜひお薦めしたい。私はこれで北アルプスの白馬大雪渓、燕岳の合戦尾根に挑戦できた。

 

 夏山に備えて、それ以外のシーズンは大倉尾根で楽しもう。塔ノ岳の頂上には、尊仏山荘という山小屋があり、泊まるに食事に不自由はない。ビールが待っている。週末の気分転換に最高である。

 

 

塔ノ岳 尊仏山荘 (amebaownd.com)

 

 

 

 

 

 

 ある理想を実現する。それによって社会的なコストが膨大に掛かったり、仕組みが理解不可能なくらい複雑になる。結構多いと思いませんか。理想を実現したい。それはわかる。しかし、理想を叶える土台があるかどうか。それが大切である。例えば、直接民主主義が理想だと言っても、仕事を休んで市民全員が議会に集まると社会が回らなくなる。したがって、選挙を行うことで間接的な民主主義を取っている。これが、まあまあの落としどころであるまいか。

 

 完璧な国防システムを作ろうをすればどうなるか。陸海空軍はもちろん整備する。加えて、攻撃ミサイル防衛システム、核シェルターを持つ。シェルターで助かっても、食料や水がなければ生き残ることはできない。食料自給率を100%にする。石油の備蓄をどうするか。シーレーン防衛に原子力潜水艦を配備する。このようにしていけば、理想の国防システムかもしれない。しかし、こんなことを止めどもなくやれるだろうか。どこかで線引きして、諦める。ミサイルを打たれた場合は、命を諦める位に腹を括らないと国家予算を国防費に全て使うことになりかねない。自分だけでなく、政府や何かの相手に、完璧を全てを求めるのはよそう。それが無理だと承知し、むしろ軍拡競争になると知っているから、専守防衛、非核三原則、防衛費はGDP1%以内などの線引きの知恵があったのではないか。すなわち、現実解を解としたのではないか。軍事の専門家ではないが、家計を考えればわかる。

 

 国連の子どもの権利条約に批准したからと言ってそれを前にして、子の最善の利益を求めようとして、共同親権、面会交流(親子交流)を際限なく実現しようとすれば、無理が生じる。高葛藤、DV被害、虐待などが生じる。裁判にコスト、生活にストレスが掛かる。掛かるだけでなく、実現すれば幸福になれるという保証はない。裁判で解決できるかもはっきりしない。裁判で決まった通りに当事者が動かなければ絵に描いた餅になるからだ。支援システムや団体は必要だが、それに完全を求められようか。

 

 令和6年改正民法に流れる精神、すなわち離婚しても父母共同で親の責務を果たす。その志は素晴らしい。しかし、夫婦として共同してやれなかった男女が、父母として共同してやる。そこに無理がある。その無理から肝心の子に被害が出ないか。妻子が混乱の渦に巻き込まれないだろうか。そう考えると単独親権のわかりやすさ、事前に問題を防ぐ機能も見捨てたものではない。単独親権ゆえに諦めなければならないこともある。離婚後も父母が共同して親の責務を果たすと言う理想を捨てなければならない。しかし、単独親権でも実質的に共同親権に近い親の立ち居振る舞いはできる。共同親権を真っ当に実現できる位の父母ならばである。

 

 一方で、いろいろな考え方があることも事実である。例えば、「面会交流がされないことは、子どもの精神発達に悪影響を与える最大の危険因子である。」「両親間の葛藤のレベルに関わらず、単独監護の子どもと比較して、共同監護の子どもでは、感情面、行動面、学業において好成績である。(ウォーシャック)」「共同養育は、親の葛藤による有害な影響を増大するのではなく、両親の紛争の影響から子どもを守ることが明らかになっている。(ニールセン)」「片親疎外は親権が一人の親しか与えられない法制度のもとで生じやすい。(クルック)」などの発言や研究を引用しての主張がある。(3)

 

 子どもと親が「安定」した状況下で「継続」した交流をすることは有意義である。この点は、いずれの説の方も肯定できるようである。この共通の土台を見い出し、ほっとした。しかし、幅の広い主張があり、現状維持型、理想追及型、社会調査的研究、実験室ベースの研究まで諸々の主張がある模様である。私は、あちらを調べればあちらに傾き、こちらを調べればこちらに傾いた。勉強を進め、過去の自説に固執せず、これからも自分の実務経験や感覚を大切にしつつ、ブログに書いていきたい。

 

 それにしても、令和6年改正民法は調べる程にどのように運用するのかが見えてこない不可思議な法である。父母間で問題が起きれば、とどのつまり最終的に家裁で決める。そのパターンのオンパレードである。審理の基準は、子の利益を最優先に考えるという趣旨のことが書かれている。しかし、何が子の利益になるか否かは霧の中である。DVのみだけでなく、父母の高葛藤なども当然考慮要素になると考えるが、その文言はない。親のいずれか一方、又は双方に良識が欠け、相手の人格を尊重できない。決めたことを守れない場合は問題が起きそうである。

 

 こういう法案が提起されたのに驚くが、短期に国会で可決されたのにも驚く。与野党とも雑だなあとため息が出る。親の権利として親権や面会交流は考えられていないはずである。「権利」という言葉を使わずに、「子の利益」のためだけを考えて、親権や面会交流は考慮されるはずである。ところが、問題の解決が図れなかった場合、「大人」が家裁に申し立て、「大人」が話し合い、子は参考程度に意見は聞かれても、「大人」の裁判官が最終判断する。このどこが、子の利益最優先なのか。私には理解できない。お偉い先生の頭はわからない。

 

 私ならば共同親権と単独親権のどちらを選ぶかを考えた。私ならば、単独親権を選ぶかなと思う。私は仕事中心の人間で、土日だけの父親である。今の子どもの在り様を作ったのは、好き嫌いはあるにしても配偶者の力と思っている。だから、私の現状が急に変えられない以上、配偶者を単独親権者に指定する。かと言って、自分が父親失格だとは思わない。申し訳ないと思うところはあるが、精一杯やって来た。監護実績では、配偶者にかなわない。私の希望が言えるならば、子どもと会え、SNSができるならば、それで良い。共同親権になって配偶者に無用な手間とストレスを与えたくはない。請われればいつでも監護や決定に関わりたい。しかし、共同親権者になるのは面倒くさい。そう感じる自分を情けないと思うが、相手もそうだろう。単独親権でやってみて、問題が生じればその時にまた考えたい。(考えられるのであればであるが、)それが現実的かなあと思う。

 

 暴論を話したかもしれない。しかし、理想を求めて、かえって利益を損ない、社会や生活を複雑にし、時間と富を失う。欲求不満になる。理想を否定できないために、理想の沼に陥ることにならないようにしたい。そういうお話をしました。悲観論者だ。親としての自覚が足らないとお叱りを受けるでしょう。しかし、時間とお金、命、人の英知は無尽蔵ではない。現実から離れた理想の追求は問題であろう。程々の理想の追求こそが現実解ではないか。そう、思いました。頑なに真面目であったり、専門領域にハマり過ぎるのもどうかと思います。制度と人間に程々期待し、時に上手に諦められるのり代がある。そういう運用ができる法や制度が良いのではないかと思います。

 

 単独親権が万全の制度だとは思いません。共同親権でやれる父母もいると思います。しかし、令和6年改正民法の選択的共同親権制度は相当荒っぽい制度に思えてきました。以前のブログでは令和6年改正民法を一歩前進と書きました。しかし、三歩進んで五歩下がる。悪手になっていないかなと思います。3歩進んで2歩下がるくらいにしたいものです。

 

 外国が共同親権制度を導入しているからと言って、日本がそれに合わせる理由にはなりません。外国が核ミサイルを持ったら、それに合わせるのが日本の幸せですか。落ち着いて考えましょう。法の施行前です。今からでも遅くありません。慎重に丁寧に議論して進みたいですね。

 

 この論考は、「共同親権論その2」として書いたものである。「その1」時点よりも実際の運用に於いて共同親権に問題が多い。そう考えるようになってきた。共同親権積極派を演繹法的思考とすれば、共同親権消極派は帰納法的思考である。

 

 家裁調査官は、一つ一つの事案を扱う中で実務感覚が養われていくので、私は理念としての共同親権を民法上受け入れつつも、現実に於いては極めて消極的運用になるのではないかと思う。極論すれば、家裁に持ち込まれる事案は紛争性が高いので、共同親権不適格事案とする。それくらいの流れになるのではないかと思う。しかし、困ったこともある。頭でっかちな処理基準やマニュアルが最高裁のリードで作られて、家裁調査官が一種の洗礼を受けるとやっかいだなと思う。

 

 従前、家裁は面会交流事件でチェックリストを作成し、記録の末尾に閉じていた。虐待、DVなどがあれば、それにチェックする。それがなければ、原則面会交流を実施する方向で進める。その歩調を家裁内で揃えるためである。面会交流を阻害するいくつかの事由があれば面会交流は慎重にする。あるいは、消極とする。なければ原則面会交流という流れを作った工夫の一端がチェックリストである。高葛藤などのチェック欄は確かなく、チェックリストの運用が実務に影響を与えた。チェックリストがあるために、個々の家裁調査官の裁量が制限されたと考えてもそう大きな間違いではない。このチェックリスト作成は当局が主導したものである。共同親権と親子交流に於いて、どう当局は動くか。どのような運用上の工夫をしてくるかを注視し、見守る必要がある。

 

 私も勉強を続け、どこかのタイミングでまた文章を書いてみたい。

 

 

*参考文献

(1)「家庭の法と裁判」51号。特集:家族法改正。北村治樹ほか。2024.8。日本加除出版→かつての家庭裁判所月報(最高裁)の市中版。政府、最高裁などの公式的情報が載っている印象の論調か。

(2)「別居後の「共同親権」を考える」熊上崇ほか。2024.5。明石書店→共同監護、面会交流は慎重を要すと警鐘を鳴らす論調か。

(3)「離婚と面会交流」小田切紀子ほか。2020.4。金剛出版→共同監護、面会交流は積極的に実施し、支援のネットワークを張れば問題は克服でき、有効だとの論調か。

 

 

 

 

   九州の山小屋なら法華院温泉山荘に尽きる。ここしかないでしょう。山小屋オタクにははずせない。他に山小屋と称する小屋や避難小屋はある。しかし、本州レベルの山小屋を求めるなら、ここで決まりです。温泉あり、食事あり、個室あり、大部屋あり。なんの不自由もない。なにより、安心がある。

 

 くじゅう山の案内は他にあるが、法華院温泉山荘(標高1303m)だけを目当てにした登山案内をしたい。

 

 大分空港や別府、湯布院でレンタカーを借りる。湯布院から牧ノ戸峠(まきのととうげ)へ向かいやまなみハイウェイを走る。長者原と牧ノ戸峠の中間地点に大曲(おおまがり)登山口(標高1230m)がある。駐車スペースが少ないが、長者原登山口から諏が守越(すがもりごえ。1505m)への登山道が痛んでいるので、2024年時点ではここから入山する。大曲からが一番近くて標高差がない。徒歩1時間で諏が守越という峠に出る。一部硫黄採取用の道路を歩くが、終盤は岩がごろごろした所を登る。

 

 諏が守越からは北千里浜という浜のようなところを歩く。山に囲まれたくぼ地でまるで砂のような土の上を歩く。私は月面を歩く気分になった。目印が少ないので、霧の時は注意したい。そこを30分程度歩くと、法華院温泉山荘へ下る谷となる。危ないところはない。岩のペンキを頼りにルートを間違えずに下りたい。下りると山荘の裏手に出る。大曲の登山口から徒歩2時間、諏が守越から徒歩1時間である。

 

 山荘に荷物を置き、徒歩10分の坊がづる湿原(広大な湿原)を楽しむと良い。夜、ライトをもって天体観測に行くのも良い。翌日は、来た道を戻る。山荘からは、久住山、中岳、大船山、平治岳に登れる。しかし、最初は山小屋往復だけで、小手調べ、山域の雰囲気を確かめ、余裕を残すことをお勧めする。秘湯の旅と言ったところである。

 

 諏が守越から三俣山(1744m)に登れる。頂上までなら徒歩1時間は見た方が良いが、ちょっとした高台に登るのであれば徒歩30分で十分である。展望がくじゅう本峰に負けず劣らず素晴らしいので、お弁当を開くのに持って来いである。おまけのコースである。

 

 九州の山というと九重連峰(大分県のくじゅう山を含む山群)、由布岳、祖母山、霧島、開門岳、宮之浦岳などが有名である。日帰りならば、由布岳(東峰に限る。西峰は切り立った岩場があり、初心者は止めたが良い)が良い。

 

 大曲から法華院温泉山荘を往復するこのコース。これならば、子どもや中高年でも比較的たやすく行ける。YouTubeでらくちんそうに歩く動画があるが、鵜吞みにしてはいけない。先ずは、初心者の初心者コースを、装備をしっかり整えて出掛けよう。

 

 気に入ったら、その次に足を延ばす。あわてない。あわてない。九州に行くだけで大変でしょ。

 

 九州に行ったら、法華院温泉山荘を訪ねてみる。いかがですか。

 

   法華院温泉山荘 (hokkein.co.jp)

 

 追記。 長者原登山口(ちょうじゃばる。標高1030m)から雨が池越経由(あまがいけごえ。1350m)で法華院温泉山荘(1303m)へ入る道もある。森が主の道で、坊がづる湿原の脇を通る。大曲登山口コースより、僅かに時間が掛るが魅力的なコースである。一般的にはこのコースがメインルートであり、こちらもお勧めである。駐車スペースを確保しやすい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて山に行くならば、らくちんで景色が良いのが一番である。それが、国立公園尾瀬がお勧めの一番の理由である。群馬県側からの交通の便が良い。各登山口から尾瀬ヶ原(標高1400mの広大な湿原)、尾瀬沼(標高1660m。尾瀬にある湖)に達するまで徒歩一時間程度は歩く。しかし、それ以後は平坦である。あとは登山というよりハイキングと言った方が良い。山小屋は徒歩1時間程、長くて2時間おきに多数あり、体力に合わせて山小屋を選び、コースを伸縮できるのが何より初心者、中高年にありがたい。もちろん、燧岳(ひうちだけ。2356m)、至仏山(しぶつさん。2228m)に登れば立派な山登りもできる。(物足りない向きには、長野県の八が岳を桜平登山口(1900m)あたりから入るコースも勧めたい。ブログを遡って見ていただきたい。)

 

 何を隠そう。この尾瀬に先輩に連れて行ってもらったから、私の山好きが始まった。実に罪な山、湿原なのである。これほどの広い平原は見たことがなかった。地平線の向こうまで湿原が続き、木道という木でできた整備された道が通っている。初めて行った5月下旬は水芭蕉が咲き誇り、山はかすかに雪を被っていた。感動した。三平峠から尾瀬沼に下ると燧岳(ひうちだけ)が湖畔に映え、一瞬にして虜になったのを思い出す。夏はニッコウキスゲの黄色い花の群落が出迎えてくれる。八ヶ岳とアルプスは似ているが、尾瀬は唯一無二の魅力がある。子どもでも、歳を取っても行ける。一生に一度は行っておきたい。中田喜直に「夏が来れば思い出す。静かな尾瀬、遠い空」と歌われたのは伊達ではない。

 

 お勧めの最初に行くべきコースをご案内しよう。東京から上越新幹線で上毛高原まで約1時間強。または上越線で沼田駅。そこからバスで尾瀬戸倉まで2時間。尾瀬戸倉で旅館や民宿に前泊するのがお勧めである。翌朝ここからマイクロバスに乗り換え、約30分で鳩待峠(はとまちとうげ。1591m)登山口に行く。ここから徒歩1時間の下りで山の鼻という尾瀬ヶ原の端に出る。鳩待峠、山の鼻にも山小屋がある。山の鼻から徒歩2時間で下田代十字路(しもたしろじゅうじろ)という燧岳の麓に着く。下田代十字路と言わず、見晴(みはらし)という地名で呼ぶことも多い。同じ場所である。そこに昼には着く。数軒の山小屋が立ち並ぶ。スイートを売りにする山小屋もある。下田代十字路で泊まろう。(弥四郎小屋脇の湧水がピカ一美味しい。)

 

 翌日は来た道を戻る。または、木道が湿原に何本か通っているので、行きと異なる木道を通って山の鼻経由で鳩待峠登山口に戻る。後は、交通機関で帰宅するだけである。

 

 尾瀬ヶ原だけでは物足りないという向きには、下田代十字路に一泊した翌日に尾瀬沼に行き、長蔵小屋に泊まる。昼には着くのでゆっくり、大江湿原の花を楽しんだらよい。尾瀬沼に何軒が山小屋があるが、尾瀬を拓いた長蔵小屋さんの伝統と山小屋は味がある。泊まるならここを勧めたい。翌日は、三平峠(1760m)を経て大清水登山口(1200m)に下りる。昼前には着いているから、路線バスなどで沼田駅又は上毛高原駅に出て帰宅するだけである。尾瀬ヶ原と尾瀬沼を歩けば、ゴールデンコースである。尾瀬を満喫できる。登山道も木道が多く整備されており、ハイキング気分で歩ける実に良いコースである。

 

 尾瀬は首都圏から交通の便が良い。一方、関西、中京からだと遠いと思われている。実際距離は遠い。しかし、東海道・上越新幹線が通っているので、移動時間はほとんど変わらない。それらの地域から北アルプスの上高地に入るより早いくらいである。最寄駅からタクシーを使えば早い。そういう奥の手もある。

 

 さあ、山デビューに尾瀬はいかがですか。

 

  尾瀬戸倉観光協会 - 尾瀬の玄関口の観光協会 (oze-navi.com)

 

   山小屋尾瀬 | 長蔵小屋の公式ホームページ (chozogoya.com)

 

 尾瀬完全ガイド!アクセス方法からトレッキング、登山ルート、宿泊まで徹底解説! (youtube.com)