私は小さい頃から古い家に住んでいました。

 

古い家というか完全にぼろ家で家には隙間風が吹きぼっとんトイレでした。

 

ぼろ家は母親の生まれた生家でした。家の中に井戸があり、ふろ場は居間から離れた所にあり薪で炊くお風呂でした。

 

なぜこの家に住んでいるのか、その理由は母親曰く「父親が甲斐性無しで家が買えないからここに住んでいるんだ」

 

と吊り上がった眼で言われた事を覚えています。

 

毎日の喧嘩は父親がパチンコでお金を使った、お酒を飲んできた、仕事を辞めてきた。

 

父親が帰る頃から母親がイライラし始め、家の空気が緊迫していました。

 

そして帰ってくるとお決まりの喧嘩が始まりました。

 

父親が仕事から帰ってきてご飯を食べていると、母親が喧嘩を仕掛け怒鳴りあう、母親が包丁を振り回す、叫ぶ。

 

この異常な光景が毎日でした。

 

私の日常は怒鳴り声と叫び声でした。

 

どうして私の家はこうなのか。不思議でした。

 

そしてとても怖かった事を覚えています。

小さいころから

 

家に帰るたび怒涛の如く聞こえる母親の罵声と父親の怒鳴り声

 

毎日、毎日、母親の叫び声が家に近づく度に聞こえてきました。

 

私が一番古い記憶で5歳頃です。

 

朝5時頃から父親と母親が怒鳴りあい耐えきれなかった私が外に出て近くに倉庫に避難しました。

 

その後、妹、兄の順番で逃げるように倉庫に逃げて来ました。

 

まだ鶏が鳴き始めたばかりで寒かった事を覚えています。

 

私の心の中はまたか・・・

 

その気持ちでいっぱいでした。隣には幼い妹と兄が無力に座っていました。絶望に近い気持ちだったのかもしれません。

 

家の中では母親が怒鳴り泣き叫び時々父親が時々怒鳴り返す。母親も父親も子供がどんな状況なのか気にも留めていません。

 

そんな時間が続きました。

 

私はそんな怒鳴り声を聞きながら空をみていました。

 

どうしてこんな絶望の中で生きないといけないのか不思議でした。

 

絶望と苦しみと悲しみと

 

何も出来ない無力感に打ちひしがれていました。

 

その後朝から子供が外に出ている異様な光景を近くに住んでいた叔父が見つけてくれました。

 

叔父は両親に喧嘩を止め子供が外に出ている事を何とも思わないのかと諫めてくれました。

 

叔父には本当に感謝しました。

 

唯一まともな叔父に私は助けられました。

 

こんな絶望しかない世の中に生きていくしかないのはなぜなのか。

 

この問いが私のずっと解き明かしたいと思っていました。

 

続く

 

 

 

 

 

どんなに隠しても

 

どんなに周りに気付かれない様にしていても

 

自分の押し殺した感情は

 

必ず、必ず湧きあがってくる

 

どんなにどんなに理性で言いくるめても

 

必ず必ず浮かんでくる

 

それがどんなにばれたくなくても

 

自分の感情は出てくる

 

我慢していてると逆に身体を悪くする

 

感情は我慢せずに

 

出来たら出したほうがいい

 

 

皆さんお久しぶりです。

 

ずっとブログを放置していました。すみません(;^_^A

 

忙しさにかまけてブログ更新出来ていませんでしたがこれからは随時更新していきます。

 

去年のブログからおよそ2年も経っているとは。時の流れは早いですね。

 

さてさて私の方は新たに心理療法を学びこの度カウンセラーとして再登場です。

 

医療従事者としてだけでは太刀打ち出来ない事も多く一から心理療法を学び直しました。

 

自分自身を見つめ直す事で、向き合いたくない感情や事実とじっくり向き合ってきました。

 

忘れていた事や事実に驚愕する事ばかりでした。時には辛い気持ちも続きました。

 

本当に辛かったです。なんでこんな事しなくちゃいけないのかなと思う事もありました。

 

でも今はそんな自分丸ごと受け入れやっと自分自身を受け入れる事が出来ました。

 

自分の生きずらさに気づいて30年以上(-_-;)時間経ちすぎですね。

 

でもお陰様で子供たちはとても元気です。

 

私自身も以前と比べて体調もすこぶるいいです。

 

こんな楽な人生になるとは思わなかった。

 

小学生の時の自分に言ってあげたいです。

 

「大丈夫だよ。大人になったら原因が分かって楽になるから楽しみに待ってて」

 

今過去の自分に話してあげたいくらいです。

 

続きはまた明日。

 

 

あまりにも毎日生きずらいため

 

この苦しさの原因を突き止めたくて心理学の勉強をしたいと親に懇願

 

しかし、毒親は心理学の勉強をしても就職が不安定だとかで認めず

 

結局毒親が進める専門学校へ

 

私は毒親が望む看護師となるため県外に出る。

 

やっと親から解放される。

 

安堵した気持ちもあったがまだ不安に思う自分がいることにも驚いた。

 

親から離れたほうが楽になれると思っていたのに

 

気持ちが常におびえていて

 

すれ違う人が親に似ているとびくっとしていた。いるはずないのに

 

とにかく私はこの道で心理の勉強をしよう

 

そしてこの苦しさの原因を探る道を探そう

 

そうしてシフトチェンジしていった。