自分に優しくしてあげないといけない。

責めてばかりで落ち込むのではなくて。


今の自分は

ほっぽりだして投げ捨ててる感じ


自分にも子供達にも優しくない。

だれにも、優しくない。

心ここに在らずで接してる自分が苦しい。

誰の言葉もはいる隙がない、

そんな自分のこりかたまった思い込みが悲しい。


勝手に自分ひとりしんどくなっているけれど、

本当は、もっと世界は優しい。

目を開ければ、そこに人はいる。

手を伸ばせば、繋がる手がある。


それなのに、頑なに目を閉じて

真っ暗闇のなかにいる気分で

右往左往している。

なにをしているのだろうか。

とんだ茶番だと、わかっているのに、

いまだ右往左往している。


どこからかけ違えておかしくなったんだったか、

もはや、わからなくなっているけど。

今いまのわたしの思いを見て、

受け止めてあげないと、このままでは苦しい。


どこから手をつけていいのかすら

わからなくなっているけど、

初心にかえるしかない。



初心がわからないから、困ってるんだ!と

そう言う自分がいるけれど、


じゃあ、探すしかないでしょう。

初心をあらためて定めるしかないでしょう。

そう言う自分もいる。




現実に目を向けると、不安だらけ。

お金、時間、子供との関係、将来のこと

いろいろな都合について考えるばかり。


でもこの不安は自分がつくりだしてるもの。


きちんと、目を開けて、

きちんと、ひとつひとつ解決すれば、

なにひとつ不安はない。ということに、

気がつくのに。


頭でっかちになって、あれやこれやと
問題をこねくり回して、ひん曲がっていく
そんな自分が苦しすぎて、ますます逃げたくなる。

いつからこんな癖をつけたんだろう。
もう辞めたいのにな。
もう辞めたつもりだったのにな。



外に働きに出ることによって減る
子どもたちとの時間が惜しい。

惜しい惜しいと不安がって残念がっている

けど…

この心のあり方で子供達と過ごしたところで

はたして彼女たちは幸せなのだろうか。


この心のあり方が、1番もったいなく惜しい。



どんなに現実的に忙しく

お金も時間もそう余裕がなかったとしても、

心の姿勢をピッとのばして

心の方向をグッと決めて

懸命に生きる親ならば、

子供達の心は守られると思う。

そんな親ならば、どんな現実があろうとて

安心だと思う。


逆に

どんなに時間やお金が有り余っていても、

いつも不安がっていてどこか焦っていて

大変さばかりに目を向けるような

心ここに在らずの親ならば、

子供達の居場所はどこにあるんだろう。

親自身の居場所も危ういのに。

子供達はどこに安心すればいいんだろう。



もう一度、

自分の生き方を見直さなくてはいけない。

このままじゃ、やりようがない。


自分のクセが

ここまで酷いものとは思わなかった。

こんなにあっという間に

他に落ちるように酷くなるとは思わなかった。


油断していた


どこか自分を見放したんだろうか


大変であるほうがいいことのように、

考えこねて悩んでいることのほうが

頑張っているかのように、勘違いしていた。


認識違いをおこして誤った自分を

徹底的に責めて目くそ鼻くそのように

投げ捨てようとしていたけど、


ちがうよな。


苦しいからこそ、諦めちゃダメなんだよ。

苦しいから、逃げたいけど。

苦しいからこそ、諦めちゃダメなんだって。

これがチャンスと思えなければ、

わたしは変われない。




社会は怖い。

社会を前にすると自分の弱さが噴き出てくるから。

私の夫は社会を怖がってない。

自分のあり方を決してぶらさないから。


本当は、社会が怖いのではない。


油断すると、あっという間に自分の悪い癖におちこんでしまう、自分の弱さが見れないから、怖いんよ。


自分の弱さ、未熟さ、それらを認めて、

それでも向き合って生きていこうとするならば、

もういちど、すこしずつ強くなれるはず。



本当は世界は優しいに溢れてる。

自分のあり方、捉え方ひとつで。

世界は変わる。

必ず。



素直になれなくてごめん。

まっすぐ楽しく生きたい、と。

幸せをただ願い、ただ楽しむ。

そんな素直さにひがんで、ねじ曲がっていた。


かつての自分の優しさ

かつての自分の素直さ

かつての自分の痛み

ふんばって頑張って何くそ!って持ち堪えた

自分の思いを、

自ら踏みつけにしてしまったようだ。


そんな自分を徹底して責めて

ふん!と睨みつけて投げ捨てていたけど、


謙虚さをなくし、

ひたむきさを投げ捨て、

自暴自棄になっていく自分を止められないような

どうしようもない理由があるのかもしれないね、

優しく自分を見直さなきゃいけない。

その理由は、なにかな?と。


もう一度、やさしく自分に話しかけないといけない。



周りが優しくないのではない。

自分が自分に優しくない。


自分が1番ひどい。

自分に冷たくしてる。無視してる。


だから、人にも、同じことしちゃう。

子供にも、同じことしちゃう。

本当に、申し訳ない。


申し訳ない。

もう一度素直になりたい。

やり直したい。

今日ここからやり直そう、って

もう一度決めたい。


今日は必ず終わる

どんな1日を過ごしたとしても

また新しい朝がはじまる。



それと同時に、

「あぁ昨日の私も、ダメだった」

ではなくて、

「今日こそ私を生きてみよう」

って決める。


1日の終わりには、

ダメなことばかり振り返るんじゃなくて、

悪いことばかり気にするんじゃなくて、

“今日、よかったこと”

“今日、すこしでも心掛けれたこと”

“今日のステキポイント”

ひとつずつ、すこしでもいいから、

ほんの紙切れ一枚分でもいいから、

いいことに目を向けて、花丸して寝る。


そうやって生きるしかない。



1日2日で変わるものじゃない。

もう一度はいつくばって、必死になって、

食らいついて、「おい、どうすんだよ」って、

自分に声かけ続かなきゃいけない。

そうじゃなきゃ、重い心の扉は開かない。




もう一度もう一度って何回言うねんな。

あほくさい。ばかだな。


そういう自分の悪魔の声とは、距離を置く。



そんな声が聞こえても仕方ない。

だけど、気がついたら、その瞬間に

「そう?」「私は諦めない。」

「もっといい見方があるよ」

って、自分に言えばいい。


悪魔の声より、自信を持って。


“自分を、もう一度、信じたい”

そのひたむきさに向かって、声をかける。

その、小さな勇気に向かって、声をかける。



大丈夫。怖いけど、不安だけど、仕方ない。

自分を裏切った自分に

めちゃくちゃ腹立ててるのは、仕方ない。

でも、

信頼を取り戻すことを、諦めちゃいけない。

怖いからって逃げたらもっと苦しい。

もっと怖い。



怖いからこそ、

苦しいからこそ、肝心なんだ。

それだけ自分の重要なポイントって思えばいい。

だからこれを掴み取ればチャンスだぞ、って

応援し続けたほうがいい。



人は褒めなきゃしおれちゃう。

応援がないと倒れちゃう。

他人からの評価や応援ではなくて、

自分からの信頼や応援が何よりのガソリン。



外の人に求めてばかりいたから、

ガソリン切れになっちゃったんよ。


外の世界に甘美なご褒美があると勘違いしたから、

わけわからん世界に陥ってしまったんよ。



なんもないやん。

なんにも、ないよ。

外側に自分の幸せがあるの?

本当にあるの?何がほしいの?


他人からの評価なん?

チヤホヤされたいん?

なんで?



昔は寂しかった。だからだよね。

誰もに振り向いてもらえないから

だから外側に向かって必死になった。


あの子みたいにすれば見てもらえるかも

この子みたいにしてたら愛されるかも

って。人の真似事ばかりした。

そうすれば何も見えない。

何も得られない。さらに寂しい。当たり前に。


そこじゃない。


本当は自分のあり方を

自分で見つけてあげんといけんかった。


本当の生き方はなんだ?

本当の幸せはなんだ?って

問い続けてあげることが、幸せだった。



ましてや、今は家族がおる。

わたしが向くべき方向は、内側の家族でしょう。

見えなくなった原因は、自分の傷でしょう。



自分の傷に対して

イタイイタイと嘆いて憂う方向ではなく、


それは痛かったよね、と寄り添い

さあ、それでも立ちあがろう

一緒に頑張ろうよ、と、奮起させるような

そんな自分を育てなきゃならん。


ここで諦めちゃいけん。