昨日は、
音を意味として理解する前に
体のほうが先に反応していた、
そんな感覚が昔からあった、という話を書きました。

 

 

今日はもう少しだけ踏み込んで、
私が大切にしている
「ひふみよ」という音の並びについて、
今感じていることを書いてみようと思います。

 

 

 

 

「ひふみよ」って
意味として説明しようとすると、
考えれば考えるほど
かえって掴めなくなってしまうんですよね。

 

 

数のことなのか、
思想なのか、
それとも、昔から伝わってきた
おまじないのようなものなのか。

 

でも

私の中では、
そうやって意味を整理するより前に、
まず音としての感覚がありました。

 

 

ひ、ふ、み、よ。

 

 

声に出してみると、
身体の奥が
順番にほどけていくような感じがあって。

 

 

何かを頑張って変える、というより、
「あ、整ってきたな」
そんな感覚に近いんですよね。

 

 

 

 

私はこれを
判断したり、結論を出したり、
そういう話にしたいわけじゃありません。

 

 

ただ、
音を辿っていくと
今の自分の状態が
なんとなく見えてくる。

 

 

力が入りすぎているな、とか。
少し抜けすぎているな、とか。

 

 

「ひふみよ」は、
そうやって自分の現在地を確かめるための音として、
自然に残ってきたものなんじゃないかな


そんなふうに感じています。

 

 

 

 

そして、ここから先の話は
また少しずつ触れていくことになると思います。

 

 

長い間、私が考え続けてきた
日本の神話や祝詞の中にある
音の感覚。

 

 

その中心に、
どうしても無視できない神様が在ります。

 

子供のころから、
なぜか縁が切れなかった名前。


怖いとも、荒いとも言われるけれど、
他人事とは思えなかった神様です。

 

 

今日は、詳しい話はしません。

 

ただ、
音を辿っていくと
ここに戻ってくる。


私には、そんな原点のような場所がある、
ということだけ
今は書いておこうと思います。

 

 

 

 

このブログでは、
「ひふみよ」の流れを手がかりにしながら、
名前を音として聴く
「お名前音読」の実践と気づきを記録していきます。

 

占ったり、意味づけたり、
何かを断定することはしません。

 

 

ただ
音をほどき、
音をむすび、
音をめぐらせてみる。

 

 

そうすることで
名前の音が、いまの自分や日常に
どんなふうに響いているのかを
静かに観察していきます。

 

 

 

 

ここは、
答えをもらう場所ではありません。

 

少し立ち止まって、
自分の名前の音を
もう一度、聴き直してみる場所です。

 

 

この記録が、
そのきっかけになれば嬉しいです。