前の前の家に住んでいた頃は、駅近だったこともあり毎日2、3回は書店を覗いていた。3年くらい前の話だ。別に暇って訳ではなく、むしろかなりアクティブに仕事で動いていた時期だった。書店そのものが好きってこともあるが、仕事の合間にちょっと覗き、仕事帰りにちょっと覗くことで、無意識に息抜きしようとしていたんだと思う。


 その後、同区内で2回引っ越し。書店からやや離れた場所に移り、病気したこともあって行きたくても行けず、一時期はぐーんと頻度が落ちた。が、最近はまた復活して、でもその分やることも増えてきたので毎日行くのはやめようと思い、今は週2,3回のペースで落ち着いている。


 そんな訳で、行く度に何冊かまとめ買いする。買ったら喫茶店までお茶しに行って、コーヒー飲みながら手に入れた本をちょっと読む。で、その後食材買って家に帰るのがおきまりのパターン。


 私にとっては、そういった時間が最高の贅沢。洋服やアクセサリーや雑貨なんかもあれば嬉しいけど、好きな本を好きなだけ買うために働いている、といっても過言ではない。あとは、原稿書いて、家でコトコト料理つくって、家事して、合間の時間、良質な映画や舞台に触れることができれば。病気やその他もろもろ、ここ1,2年、嵐の真っ直中のような生活だったので、こういう何気ない時間が嬉しいのだ。


 この間、文藝春秋買って、第136回芥川賞受賞作、青山七恵さんの『ひとり日和』読んだ。いいなと思ったのは、この小説の中に、より日常に近い空気が感じられたから。


 じつは、受賞発表のニュースで、選考委員の石原慎太郎さんが、あまりにべた褒めしてたのを観て、それでかえって引いてしまっていたのだが、書店でちょっと立ち読みし、なんとなくいい予感がしたので買ってみた。


 選考理由も全部読んだ。淡々としたところがどうも、という評価の選考委員も一部にはいたようだが、みなさん好意的だったように思う。


 最近、ドラマティックにしようとするあまり、病的な領域に踏み込んでいくタッチの作品が多く、エグさがあっても納得できるところまで書ききってくれるならいいのだが、ただ、目立つ場面を書きたかっただけじゃん、と思うものが多々あって、食傷気味だった。突飛過ぎて感情移入できないというか。もちろん、突飛でも入り込める小説はたくさんあるのだが。


 主人公は、仕事の都合で中国に行くことになった母親にはついて行かず、遠縁にあたるおばあさんの家で暮らすことを選ぶ。彼女は、おばさんの家からアルバイトに通い、恋をし、別れを経験する。でも、感情の波はさほど目立たず静かな日常が繰り返される。同居してるおばあさんの方がアクティブで、社交ダンスに行ったり、彼氏を招いたりで、何だか楽しそうにしていてその対比が何となく面白かったし、主人公がそんなおばあさんに嫉妬に似た感情を抱くところや、中国に行った母親が現地の人と再婚するかもしれず、彼らと自分との関係について考える場面などが印象に残った。