めちゃくちゃ久しぶりの更新となってしまいました。
蛞蝓の歩みのような更新スピードで申し訳ないです。
社会人っていろいろ忙しいんですね。
不器用なんで、中々同時に作業を進められてなかったです。
まぁ冨樫義博先生の連載だと思ってくれれば早い方ですよ。
思えないか。
今回は僕の1年生の後半に起きた、3つの大きな出来事を書こうかと思います。
それではどうぞ。
まず1つ目は学祭が終わってすぐ、僕の大学お笑い生活の中で一番のキーポイントが来た。
僕の本コンビ(僕はそう思っている)である「1500m」が結成された。
ここでまず、「1500m」というコンビについて軽く紹介します。
「1500m」の相方である土田は、僕の小中の幼馴染みで、中学時代には同じ部活に所属していた。
そのあと高校で別々になったが、大学でそれぞれ別のお笑いサークルに所属していたことが発覚し、コンビを組もうと決めたのがキッカケです。
お互いにそれぞれのお笑いサークルに兼サーすることで、出られるライブが増えるというメリットもあったためでもある。
因みに「1500m」というコンビ名は、二人が中学時代に所属していた陸上部の専門種目で、当時の大学お笑い界で数字やアルファベットが入ったコンビ名が少なく、読み間違えにくいし覚えやすい、略しやすい(せんご、とか)などの理由で付けました。
この年、近所の大学の学祭から僕の大学の数サークルをゲストとして招かれて、その中の一つに落研もあった。
その他大学の学祭が「1500m」のデビューライブになった。
初めて僕のサークルに来た土田は、結構緊張していたと思う。
あいつ人見知りだから。
そうはいっても僕も緊張してた。
わざわざ別のサークルの人連れてきて、ネタ見せもしないでの本番だったから、正直ウケるか不安だった。
僕は土田のことをずっと面白いとマジで思っていたから自信はあったけど、いざ本番となるといろんな要素があるから絶対は無い。
だからこの日は、デビューライブよりも緊張したかもしれない。
結果はかなり上々で先輩方からも褒められ、土田に至ってはお客さんから面白かったよと声をかけられていた。
しかも二人に。
僕は声をかけられませんでしたけども。
そんなことで、「1500m」のデビューライブはそれなりに良い滑り出しでいくことが出来ました。
この時しくじってたら僕の大学お笑い人生はだいぶ変わっていたと思いますね。
今思うと凄い大事な日でした。
その後はしばらく何もなかったんですが、12月になるといろんな事が起きました。
まず土田の所属している文理落研に初めてネタ見せしに行ったときはめちゃくちゃ緊張した。
特にたまたま4年生の人がいてその前でやるのはめっちゃビビった。
僕の所属している落研のネタ見せとは違い、あんまり笑わない雰囲気だったから尚更緊張した。
最初のイメージがその為か、僕が文理落研に馴染むまで結構時間かかりました(最終的に馴染めたかはさておき)。
一方で、僕が所属する落研の12月ライブではいろいろな事が起きました。
これが2つ目の大きな出来事。
まずあったのが、それまで学内でずっとやっていた暫定的な本コンビだった「ふたりボッち」が12月ライブを出演キャンセルしたことかな。
岡田と結構揉めて(殆ど俺が一方的に怒っていたかな)、俺が出たくねーわって言ってキャンセルになった。
香盤も決まってたのにキャンセルしたから、いろいろ周りの人に迷惑かけたなぁ。
本当にあの時はごめんなさい。
でも当時はこれがベストを尽くさないと意味がないと思ってたから、中途半端なものは全部切り捨てた。
その結果が後のストイックと呼ばれる俺の性格になっていったんだろうなぁ。
でもダメな事ばかりじゃなくて、良いこともあった。
僕の同期の大介(マイケルと言った方が分かりやすいかも)と「リトるタワー」というコンビを組んだ。
当時はなんとなく暇そうにしていたし、ちょっとトガってたから組んでみようと思ったんだけど、後にこの大介に助けられる事が多々あるんですよ。
その話は追々することにして。
「リトるタワー」は基本僕がネタを考えていて、自分が考えたネタを好きなようにやらせてくれるから楽しかったなぁ。
本番も終わった後に先輩が、ネタの発想良かったよと言ってくれて、初めて自分を褒められた感じがしたし。
あと学内ライブでも「1500m」がウケて、ちゃんとしたコンビとして認識されたのは大きかったかな。
正式に落研として活動し始めたって感じがした。
でも土田はネタ終わってすぐ用事で帰ったから、エンディングにも出なくてトガったヤツだと思われもしたけどね。
とまぁそんないろんなことが起こった12月ライブでした。
そして3つ目の大きな出来事は、NOROSHI2016のことです。
この時から会場が方南会館に変わって、数々の思い出が出来る場所になるんだよなぁ。
この頃のNOROSHIは2つのサークル間であれば何回出場してもよかったから(それでも2次募集にならないとエントリー数が埋まらなかったくらいだけど)、僕は3チームに出ることにした。
1つ目は「ひなたキネティクス」のお二方と組んだ『コケカキイキイ』で「ふたりボッち」(M)
2つ目は同期の森山、大介、代さん、角やんと組んだ『一年生代表タカアシガニ』で「リトるタワー」(M)と「わがままbody」(C)
3つ目は先輩である堀川さんや小松さん、山田さん、小島さん、同期の代さんと組んだ『チーム金字塔ズ』で「金字塔ズ」(C)
結構忙しかったけど、この時はとりあえずたくさん出たくて4ネタ分やることになった。
特にそれまで1度もちゃんとしたコントをやったことがないのに、集団コントが2つもあるのは結構大変だった。
この時同期の森山は先輩とのコンビで、「山田クマ男」と「スポーツ(元山田直樹)」がいる落研の1軍チームに出場していた。
実力的には分かってはいたが、正直力の差を如実に感じてすんごい悔しかった。
俺には全く声かかんなかったからね。
それでもやるからにはやろうと意気込み、1つ目の『コケカキイキイ』は初めて僕の書いたネタで「ふたりボッち」をやった。
今まで岡田のネタしかやったことがなかったから新鮮な気持ちだったなー。
正直そこまでウケてはなかったが、先輩達のお力もありチームの得票率25%とまずまずの結果に。
2つ目の『一年生代表タカアシガニ』は、集団コントのネタ合わせがもうめちゃめちゃ楽しくてね。
正直ネタ合わせであんなに笑ったのは初めてで、同期(演者)との距離が近くなったキッカケにもなった。
本番では僕が出た漫才が爆死し、集団コントはまずまずの結果に。
でも集団コントは狙ったところじゃない、メンバーの同士の身長差でウケて、これが後に動きと表情という見た目で笑いを取る生物資源スタイルの先駆けになったようにも感じますね。
ちなみにチームとしては、「シャワーカーテニスト」がバチバチにウケて得票率22%程になった。
やっぱり僕の同期はバケモンだなと改めて感じた日になった。
そして3つ目の『チーム金字塔ズ』、これが僕の運命を変えたと言っても過言ではない事だった。
そもそも僕が「金字塔ズ」に入ったのは、学祭で人手が足りなくて顔も出さないエキストラ役で参加したことがキッカケだった。
後は外のライブや大会に出たがる同期が少なかったから、僕に白羽の矢が立った。
そういう縁もあり、NOROSHIの「金字塔ズ」にも声もかけてもらったけど、正直ネタ作りに関しては何も力になれなかった。
この頃はまだ大会で通用するネタをよく理解していなくて、先輩達が話していることをひたすら聞いて、ネタを覚えるくらいしか出来なかったなぁ。
『一年生代表タカアシガニ』の「わがままbody」と違って、「金字塔ズ」は楽しいというよりも迷惑をかけないようにという気持ちが強かった。
そうした中で迎えた当日、なんと結果は敗者復活戦進出!?
「スタートボタン」さん、「堀川ランプ」さんのお力も借り、生物資源落研初のNOROSHI予選突破となり、もう頭が真っ白になった。
嬉しいというよりも、あり得ないという気持ちでいっぱいで、あの時に舞台上から見た景色は一生忘れられないと思う。
NOROSHIの数ヶ月前、僕が初めて他大学との同期会に参加した時に、他大学の人に「生物資源落研です!」って言ったら、「何大学?」と聞かれたことがあった。
あ、うちの落研ってそんなもんなのか。
そう心の中で思って、悔しい気持ちが燻り続けていた中でのこの結果。
過大ではなく、あり得ないような事だった。
その後の敗者復活戦では負けてしまったけど、初めて舞台上でウケる感覚、あの空気感を感じる事ができ、またあの感覚を味わいたい、そしてもっと僕のいる落研を有名に、強くしたいとより思うようになった。
あの結果がなかったら、どこかで心が折れていたと思う。
この時の想いを糧に、残りの3年間走り抜けることが出来た。
この経験を一年生のうちから体験出来たのは本当に幸運なことでしたね。
堀川さん、小松さん、山田さん、小島さん、代さん、あの時は本当にお世話になりました。
間違いなく僕が強くなる、そして強くなろうと思えたキッカケを与えてくれて本当にありがとうございました。
この一年生の後半に起きた3つの出来事は、外の大会やライブで結果を残したいと思うキッカケになり、また内部の人達に厳しくし過ぎてしまうキッカケにもなった。
大学お笑いの僕の基礎が出来上がった時期とも言えるかな。
ここらへんから先輩や後輩はもちろん、特に同期には多大な迷惑をかけてしまうことになってしまう。
今思うと申し訳ないが、こと時の俺がいなかったら4年生の時のあの結果は得られなかったと思うので、目を積むって貰えると嬉しいですね。
どんな迷惑をかけたかは、また次の機会に書こうかと思います。
今回はこの辺りで失礼します。