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【忘れない~東日本大震災3年】津波で曾祖母、祖母、母を亡くした高校生「世界に伝えたい」

宮城県石巻市の追悼式であいさつする遺族代表の菅原彩加さん=11日午後3時すぎ

宮城県石巻市の追悼式であいさつする遺族代表の菅原彩加さん=11日午後3時すぎ

 「つらい経験があったからこそ今の自分がある。そう思えるように頑張って生きていきたい」。11日に行われた宮城県石巻市の追悼式で、遺族代表として追悼の言葉を語った高校3年、菅原彩加(さやか)さん(18)はかみしめるように話した。

 津波で母の理子(りこ)さん=当時(35)、祖母の則子さん=同(64)、曽祖母の文(ふみ)さん=同(83)=を亡くした。彩加さんも3人と一緒に自宅にいたが、がれきの上に逃れて助かった。右足ががれきに挟まった理子さんを助けようとしたとき、再び津波が襲って来た。

 このままでは自分も犠牲になる。「行かないで」。そう言う母に「大好きだよ、ありがとう」と泣きながら伝え、近くの小学校へ泳いだ。3年前の3月11日は中学校の卒業式だった。「いま思い出しても涙の止まらない選択」。つらい記憶だけが残った。

 高校に進学してもふさぎ込む日が多かったが、「地元の人が復興に向け頑張る姿を見て、自分も何かの役に立ちたい」と思った。支援団体の活動に加わり、国内外で自らの震災体験を話すようになった,rmtssp。語り部がきっかけで「世界の人たちがどんなことを考えているのか知りたい」と思うようになり、本格的に英語を学ぶため1年で高校を中退。スイスにあるアメリカンスクールに留学した。

 今年9月に卒業した後は日本の大学でジャーナリズムを学びたいという。「震災で親を亡くしたことで、親のいない子がたくさんいることを知った。そうした現実を伝えたい」と話す。

 小学生のころ、祖父を書いた作文を理子さんに褒めてもらった。そんな思い出も夢に向かう力になる。

 9日に石巻に戻り、墓前に語りかけた。「いつも見守ってくれていて、ありがとう」。恩返しのため、亡くなった3人の分も頑張って生きようと誓った。