あのですね、僕3日坊主って以前言ったと思うんですけど、もうやる気がゼロです。ブログを書く必要性が見当たらない。じゃあなんでブログなんかやってんだよってなるわけですけど、それはね日々面白い出来事があれば楽しくかけるんですよ。僕なんてね、朝起きて仕事行って帰って(オナニーして)お風呂入って寝るっていうコピー&ペーストのような人生を歩んでいるわけですよ。
なのでブログも人生のように以前のブログをコピー&ペーストをして楽をしてやろうと考えたわけですよ。そしてたまたま去年の今日のブログをコピー&ペーストしておきます。
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2013/2/22
共通認識と比喩表現の関係性 比喩表現には相手に事象を伝えやすくする比喩表現と、文章を美しく飾る比喩表現の二種類があります。
たとえば前者に関してですが、「まるで生まれたての仔鹿のように、足を震わせて怯えている」というのが事象を伝えやすくする比喩表現です。怯えているといってもどの程度怯えているのか、どんな風に怯えているのかわかりませんよね?そこで共通認識である「まるで生まれたての仔鹿のように」という一文を付け加える事で、さらに詳しく、またわかりやすく伝えているわけです。
後者に関してですが、「まるで世界につけられた目盛りかのように、等間隔に街路樹が立ち並んでいる」というのが文章を美しく飾る比喩表現です。等間隔に街路樹が立ち並んでいるという一文だけで事象は伝わります。ですが、「まるで世界につけられた目盛りかのように」という一文を付け加える事で、文章をさらに美しく飾っているのがわかりますね?
どうして僕が急にこんな哲学的かつ文学的な話を持ち出したかというと、このブログを書き始めて2日目にして、女の子からメッセージを頂きました。女の子から。
もうウハウハじゃないですか。ち●ことかお●ぱいとか連発してるブログを読んでメッセージをくれるわけですから、それはもう「おテラさん私を抱いて」とか「私をめちゃくちゃにして」とかそんなメッセージだと思うじゃないですか、先日のシェリルの一件ではないですけど、もうこの時点で果てる寸前です、射精の二文字が頭を飛び交ってるわけですよ。
それは言いすぎなんじゃないかって思う方も多いでしょうが考えても見て下さい。この何年間僕は女性の肌に触れていないのか、あまつさえ何年間女性と親しく話していないのか。例えば、貧乏暮らしでここ1ヶ月豆しか口にしていないというところに、たくあんとほかほかの白ご飯を出されたらどうですか?それだけでも即座に食いつくでしょう?まさにその状況なのです。
となると、僕は完全にエクスタシー全開でメッセージを開くじゃないですか、もう左手を股間にあてがってティッシュも用意してるじゃないですか。ちょっと本番を想定してゴムなんかも装着してみるじゃないですか。準備万端でメッセージを開いちゃったりして、そこにかかれていたものを見て唖然ですよ。
「例えがわかりにくいです」
ち●こにかけた青春返せ。
ここで話は比喩表現の話に戻るのですが、どうやら僕の例えはわかりにくいようで、その原因は共通認識をもたない事で生まれる語弊であったりします。どんなにわかりにくい話でも比喩表現を用いれば簡単に伝わるのですが、時にはその比喩表現が余計に文書の意味を伝わりにくくしている場合もありうるという事です。
先日起こった話なのですが、僕の部署で早番と遅番で会議をするという事で、誰が会議に出るかという事になりました。あまり大事な会議でもなかったので誰が出てもよかったのですが、もしも討論にでもなったらそれこそ辞める辞めないの話になるかもしれない、そうならなくても気まずい雰囲気になってしまうだろう、という事を考えた場合、必ず気まずくなっても辞められても問題ないような人が選ばれるわけで、遅番からはアルバイトの子を参加させました。早番も同じ考えだったようでアルバイトの子が参加するみたいだったので下っ端同士だから大丈夫だろうと思っていた矢先、見事に言いくるめられて帰ってきた、という事がありました。こんなに長々と話していたら、何がなんやらわからないですよね?でもこの出来事も、比喩表現を使えば簡単に伝わるわけです。
「ヤムチャと栽培マン」
ほらね?なんともわかりやすい比喩表現でしょうか。ドラゴンボールの事を知らない人なんてまずいないだろうし、共通認識をもつ比喩表現としては申し分ない言葉だと思います。ですが、やっぱり中にはドラゴンボールを知らない人もいるわけで、これでは伝わらない事もある。それが僕のブログ上で気づかずに使ってしまっていた共通認識をもたない比喩表現です。
こうなると、いくら比喩表現を使っていても???が頭の上を飛び交うのも仕方がないという事です。ではどこをどう改善して行けばいいのかという部分を考えなければいけないのですが、僕にはどうも常識というものがないようで、みんながもっている共通認識というものがわからないんです。
今や日本の文化とも言えるロリコンだって共通認識ではないみたいだし、こんなんじゃいくら比喩表現を使ってもわかりません。僕に常識がないというか、まわりが変なんじゃないかって思えてくるほどです。いやきっとそうだ。日本は多数決社会だから、数少ない僕の方がおかしいと思われるだけだ。数が少なくても正しい事だってあります。
例えば、包茎についてお話しましょう。日本人男性の8割は包茎なのはご存知ですね?ズル剥けち●ぽの人は10人に2人しかいない計算です。という事は、多数決理論でいくと包茎じゃない男性の方が恥ずかしいはずですよね?でも不思議な事にそうじゃないんです。包茎男性は恥ずかしい、ズル剥けち●ぽかっけぇ~って事になってるんです。という事は、少数派でも正しいという事になりますよね?なら僕の性癖であったり例えであったりも僕の方が正しいという事もありうる、いや僕の方が正しい。お前らが間違ってるんだバカチンが。
(2013/2/22ブログ全文引用)
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我ながらひどいブログを書いていました。そして今もさほど変わらない事を書いているような気がしますね、なんといいますか成長していないと言うか、そのままの自分でいる事ができたといいますか、こうして考えるとブログって昔を振り返る事ができていいですね。
ちなみに隠語は伏せ字にしてコピー&ペーストさせて頂きました。アメブロは隠語に厳しいようですから。そしてふと昔のブログを読み返して思ったんですけど、最近でも共通認識の違いに腹を立てた事件がありまして、それはきっとみなさんも耳にした事がある言葉です。
去年のブログではお互いに知っている事なら比喩表現として使う事ができるとは言いました。しかしその認識しているものに対しての価値観がずれているとやはり伝わらない事が多いんですよ。とまあまだ何も話していないのにぐちぐちと長ったらしく書いても読むのが面倒だと思いますのでさくっと経緯をお話しますとね。
僕は色んなアプリやSNSで女の子に出会っているわけなんですけれど、ある自称ぽっちゃり系看護婦に出会ったわけなんですけどね、最近の女の子ってちょっとお腹つまめるだけで太っただのダイエットしなきゃだの言い出すじゃないですか。僕はそんな感じで思ってたんですよ。仮に本当にぽっちゃり系だったとしてもそれはそれで僕としては嬉しい事で、ぽっちゃり系看護婦って言ったらムチムチのえろえろボディな看護婦を想像しますわな、ぽっちゃり系の看護婦っつったらそれがみなさんの共通認識だと思うんですよ、女性はどうかしらないですけどち●ぽついてる男どもならみんな同じように思うはずなんですよね。
まあぽっちゃり系でもそうでなくても、どっちでも美味しいなあなんて事を思いながらセッ●スに期待をして会いに行くじゃないですか。待ち合わせは人がいっぱいいたらわかりにくいと思ってね、人の少ないわかり易い場所を待ち合わせに指定していたんですよ。でね、電車が遅れて僕遅刻しちゃうって連絡をいれたらもう着いているとの事だったので待たせて申し訳ないな~とか思いながら待ち合わせ場所に向かったわけなんですけどね。ぽっちゃり系の女の子いないんですよ。でね、あれ~おかしいな~待ち合わせ場所間違えたかな~とか考えてたんですけどね、僕の方に向かって笑顔で手をふってる人がいましてね。
あ~確かに言ってた服装と似てるわ~こいつだわ~とか思ったりもしたんですけどね、ぽっちゃり系どころかただのデブなわけですよそいつ。写メだと顔がしゅっとしてて細かったりしてたんですけどね、明らかに別人のデブがいるわけですよ。関取かよと言ってしまいそうな程でしたし、きっと21度の優勝63連勝の記録をもつ実質的初代横綱である谷風梶之助もきっとその女であろう物体に対して関取と勘違いしてしまう程の巨体でしたよええほんと。
その関取とのその後はまた後日書くとしまして共通認識の話に戻りますとね、ただのデブがぽっちゃり系って使うのは非常に腹立たしい!ぽっちゃり系というのはムチムチえろえろボディの事を言うのであって、決してデブを指すわけではないって事をデブの皆様にはわかって頂きたい。
