1915年10月1日は何の日?
渋澤倉庫出張所が開設された日
新紙幣の顔となる澁澤榮一が創業した澁澤倉庫の出張所は、運河が完成するよりも早く小樽に誕生した。ある文献によると、当時の小樽には複数の倉庫業者がおり、競争が激しくなって労働時間が増える一方で値引き競争によって労働者の収入が減少。
乱雑を極めた荷役形態では弊害が続出していたところ、第一銀行小樽支店以下地元銀行団の懇願と「損得を度外視して小樽業界に倉庫営業の模範を示せ」という澁澤の意向により、小樽に進出したと書かれている。これが澁澤倉庫による初の地方進出だった。旧第一銀行の建物も現存しており、小樽では澁澤の痕跡を目で確認する事ができる。
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■雑記。
上記の文章を紡ぐまでに、たっくさんの調べものをしました。削った部分や意図も伝え残すため、こぼれ話や苦労話を記しておきます。
小樽商科大学の図書館で「渋沢倉庫の80年 / 渋沢倉庫株式会社社史編纂委員会編」を読むことが出来る。そこでは、上記に引用している言葉よりももう少し強い口調で書かれているが、100年史発行時にはトーンが下がったようです。
市立図書館で確認できる博物館紀要などで小樽の倉庫業について調べると、HEROは別にいる。または居ないように読み解けます。立場によって真実が変わるからこそ、事実から妄想するのが楽しいです。
また、小樽の倉庫について語る上で、小樽倉庫が営業倉庫認定を受けたことも重要な物語です。