1915年10月1日は何の日? 


渋澤倉庫出張所が開設された日

 

 新紙幣の顔となる澁澤榮一が創業した澁澤倉庫の出張所は、運河が完成するよりも早く小樽に誕生した。ある文献によると、当時の小樽には複数の倉庫業者がおり、競争が激しくなって労働時間が増える一方で値引き競争によって労働者の収入が減少。
乱雑を極めた荷役形態では弊害が続出していたところ、第一銀行小樽支店以下地元銀行団の懇願と「損得を度外視して小樽業界に倉庫営業の模範を示せ」という澁澤の意向により、小樽に進出したと書かれている。これが澁澤倉庫による初の地方進出だった。旧第一銀行の建物も現存しており、小樽では澁澤の痕跡を目で確認する事ができる。

 

 

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■雑記。

上記の文章を紡ぐまでに、たっくさんの調べものをしました。削った部分や意図も伝え残すため、こぼれ話や苦労話を記しておきます。

 

 小樽商科大学の図書館で「渋沢倉庫の80年 / 渋沢倉庫株式会社社史編纂委員会編」を読むことが出来る。そこでは、上記に引用している言葉よりももう少し強い口調で書かれているが、100年史発行時にはトーンが下がったようです。

 市立図書館で確認できる博物館紀要などで小樽の倉庫業について調べると、HEROは別にいる。または居ないように読み解けます。立場によって真実が変わるからこそ、事実から妄想するのが楽しいです。

 

 また、小樽の倉庫について語る上で、小樽倉庫が営業倉庫認定を受けたことも重要な物語です。

1914年9月30日は何の日? 


奥沢ダムを含めた工事が完成した日


 奥沢水源地にある階段式溢流路、通称「水すだれ」は、貯水池から流れてくる水の勢いを階段で和らげている。高さも幅も均等に整った10段の水ため階段、その隙間から不規則に流れ落ちる水の粒。荒々しい水の音は最後の階段をおりると白い線を水面に描きながら海に向かって流れていく。豪快から静寂に向けて流れ落ちる水の旋律に乗せた鳥たちの歌声を、森で覆われた空間が包み込む。その中心で圧倒的な土木遺産が君臨する情景はまるで、オペラを見ているようである。

 

 

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■雑記。

上記の文章を紡ぐまでに、たっくさんの調べものをしました。削った部分や意図も伝え残すため、こぼれ話や苦労話を記しておきます。

 

社団法人土木学会から平成20年度推奨土木遺産に認定された。
選奨土木遺産とは、平成12年に創設された制度で、小樽では「小樽港北防波堤」「張碓橋」が認定されており、「奥沢水源地水道施設」は3番目の認定だった。

1906年8月20日は何の日? 

日本銀行小樽支店に昇格した日

 

 日本銀行は明治26年に道内で3つ(札幌・函館・根室)の出張所と、小樽を含む16の派出所を開設した。その2年後に函館出張所は北海道支店となり、北海道経済の中心が函館にあったことを感じさせる。その間、小樽派出所は小樽出張所に昇格し、明治39年になると北海道支店は一時的に函館出張所という名称に戻り、小樽出張所が日本銀行小樽支店に昇格した。

 これは、函館と小樽の経済力が逆転した事を暗示させる。日本銀行の支店が小樽にあった事を、市民はもっと自慢しても良いだろう。

 

 

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■雑記。

上記の文章を紡ぐまでに、たっくさんの調べものをしました。削った部分や意図も伝え残すため、こぼれ話や苦労話を記しておきます。

 

某市の職員の方とお話をしていて、「日本銀行小樽支店があったって、凄いですよね!」という問いに「え、何が? それより、歴史的建造物としてPRした方が凄さが伝わるのでは?」と返答があって驚きました。

 

また、小樽の歴史的建造物はその構造や建築技法にスポットが当たりがち。関わる人間のドラマなども、調査を続けようと思っています。