父が亡くなりました。

 

 母は10年前に亡くなり、その後1年半ほど介護サービスを利用しながら父は一人で暮らしておりました。

 しかし認知症が進み、やむなく私の家の近くの老人ホームに入居してもらうことに。

認知症の自覚のない父は「一人で何でもできる!」と持論を展開し、頑なに拒んでいましたが

やかんの空焚き、たばこの不始末、腐った食材の山積み、隣の家の人が金を盗んだなどと騒ぐ有様で、とても一人で暮らせる状況ではありませんでした。

 自転車で20分ほどの距離に住む私は毎日父の安否を訪ねてはいましたが、もう限界と感じ

あちこちの老人ホームを探し、歩いても行ける静かな住宅街に見つけたホームにお願いすることとなりました。

 私たちのような身分にはとても高い利用料のホームでしたが、幸い父の貯金があり、遺産なんかいらないから自分のためにすべて使い切ってほしいとそこに決めました。

 まだ自分でできると思っている父は烈火のごとく怒り、「勝手なことをして!家に帰る!」と私を責め続けました。それでも私は父の借家を整理し、家財道具を処分し退路を断ちました。

 鬼のような娘だと思われるかもしれませんが、一人っ子である私には頼るものもなく、仕事を辞めて父を引き取ることで私の収入はなくなり自分の老後も危うくなること、子供のいない私たち夫婦の中に認知症の父が来ることで今まで築いてきた夫婦の生活が崩壊してしまうんじゃないかという不安で、ホームに入ってもらうことにしたのです。

 それでも、環境の良いホームに次第に慣れ、「ここは飛行機がよく見えて眺めがいい」とホームでの生活を受け入れ始めた父に安堵しました。

 

 それから7年半、父は病気をすることもなくホームで穏やかに暮らしてくれました。

それでも90を超えた父はやはり徐々に衰え、昨年からは車いす生活となり、私や夫のことが分からなくなって行きました。ぼんやりとしたまなざしで、過ぎていく時間を見つめているだけの日々でした。「何の役にも立たないのに生きててもしょうがないんだよ」という言葉が哀しかった。

 時々食事介助に行くと燕のヒナのように口を大きく開けて食べる姿が、なんだか愛らしく感じました。

 

 5月の末になって、食事量がめっきり減り、寝たきりになりましたが、胃ろうや点滴などの延命処置はお断りしました。老いは病ではないというのが私の考え方です。命あるものは必ず死にます。食事をしなくなるというのは食べ物を栄養として取り込む機能も衰えているわけですから、延命という名で水分や栄養を無理やり押し込んでも、いたずらに時間を引き延ばすだけと考えた私は、自然な形の死を望みました。

 94年という長い年月を生きた父です。もうこの世から解放してやりたい。

 水すら一滴も飲めなくなり、その先が見え始めました。血圧もうまく測れなくなっていたけど、スタッフさんにお願いして一緒にお風呂に入れました。看護師さんも一緒についてくださり4人で声をかけ、冗談を言い、笑いながら、せっせと体を洗って父も血色がよくなり気持ちよさそうに微笑んでいました。これが最後と思い心を込めて父をお風呂に入れました。

 翌朝早くに父の呼吸は止まり、旅立ってゆきました。穏やかな顔で眠りについた父を看護師さんと一緒にエンゼルケアしました。看護師である私は母の時にもこうしてエンゼルケアをしました。死後の処置というと病院の看護師さんがするものととらえられがちですが、家族だってしていいのです。最後のケアこそ家族と一緒にというのが望ましいと思っています。

 

 明日は父の通夜です。父の実家は古い寺で、父は四男にあたります。葬儀には遠方から従兄弟が駆けつけてくれて父を帰浄させてくれます。これは父の生前の願いでもありました。

従兄弟といってももういい爺さんになりました。そしていい坊さんになりました。

 

 昨夜は風も強くて、マンションの屋上から地上の明るい星と大きな空に浮かぶ無数の星を眺めながら、その間を飛んでいく飛行機の灯りを見つけて「ああ、父もあの灯りに乗っていくのだろうな」と感じました。

 命のすべてを使い切って、穏やかに旅立った父。

悲しみはありません。後悔もありません。安堵の気持ちがじわじわ広がってきます。

 

ふと、アメリカのジョンアーヴィングという作家の作品の一説を思い出しました

愛している誰かが死ぬとき  一度にその人を失うわけではない

時間をかけて少しずつ失っていくのだ

次第に郵便物が少なくなり 枕や衣類から匂いが薄れてゆく

少しずつ失くなった部分 欠けた部分が積み重ねられてゆき

そしてその日がやってくる

ふと あの人が永久にいなくなってしまったことに気づかされ

痛切な思いに駆られる

そしてまた 一日すっかり忘れて何事もなく過ぎたと思っていると

ある日突然 失われた部分 欠けた部分にふたたび気づかされるのだ

 

 

私をいつくしんで育ててくれたおとうちゃま 

長いあいだありがとうございました

しばしのお別れです

私はもう少しこの世で頑張っていきます

 

 

 

 

                                  ……… ずっと誰かと一緒だったような気がする……星空