引っ越していますのでよろしく
こちらのブログを訪ねてきて頂いている方。コメントなんかは見させて頂いていますが、新たなブログは以下を見てください。よろしくお願い致します。
http://hnmotani.blog91.fc2.com/
ブログの引っ越し案内
いつもブログを覗いて頂いてありがとうございます。
少々突然の感は否めませんが、社員の提案で僕のブログの引っ越しをすることになりました。しばらくはいろいろ画面の設定をいじると思いますが、引き続きよろしくお願い致します。サイトは:
ヒューマニーズ社長ブログ
です。
僕のブログも420回続きました。いろいろ苦言も頂きますが、長く 見て頂いている方がほとんどです。本当に感謝しています。インターバルが何日も続くことがありますが、これからも頑張りますので時々お付き合いください。読者登録をして頂いている方、申し訳ありませんが、新サイトのお気に入り登録をお願いできたら嬉しいです。
ではそっちでお待ちしています。よろしくお願い申し上げます。
花粉症から学ぶ自己愛と自己嫌悪
先週の金曜あたりから、本当に久しぶりに体が重くて、鼻がむずむずしていたら、どうも花粉症らしい。
医者いわく、”境界線付近ですね”と。いくらか反応が出ているけど、本物の花粉症というまでの数値ではないと言う事らしいです。去年もそう言われて「花粉症っぽい」症状がしばらく続きました。
アレルギーというのは太古の昔にはなかったらしいです。自分の免疫システムが過剰反応して自分を攻撃しているということで、劇症肝炎とかと同じメカニズムらしいです。
自分が自分を攻撃するタイプの病は厄介です。自分自身の中に敵が居る訳だからややこしい。ガンなんかもその類の話です。
”悪魔は元々天使だった”と習ったとき、とても深淵な話だと感じた記憶がありますが、その感覚がよみがえってきます。”そりゃ大層強力だ”っていう感じがします。
”ブルータスお前もか”現象というか、 ”キリストを裏切ったユダ”みたいな存在と言うか、社員に情報漏えいされた会社(?)と言うか・・・ とにかく味方と思って安心していたら敵だった、というタチの悪い話です。
やはり一番怖いのは自分自身なんですね。安心の裏に存在する恐怖と言うか・・・
良いものと悪いものは元々同じものから生まれる。表裏一体言っても良いかも知れません。食べ物や自然の物もそういう性質を本来持っているように思います。
上手く出来ていると言うか、人生奥が深いですね。自然も奥が深い。何せ人類700万年の歴史を持っているのです。
自己愛と自己嫌悪の狭間に身を置いて、鼻水に哲学を感じていた今日一日でした。
一周遅れで現れた本物の歌手
彼の招待で、先日新宿のピット・インであった「ギラ・ジルカ」という歌手のコンサートに行ってきました。感動しました。お父さんがイスラエル人でお母さんが日本人のバークリーでジャズを勉強した神戸生まれの女性。「JUMP WORLD」という彼のレーベルに所属する歌手です。
女性のJazz歌手は大勢いますが、本当に久しぶりの大物シンガーだと思いました。大きなエンジンを持った車であるが故にできる、繊細で大胆で突き破る疾走感、とでも言いますか。このCDはライブとは少し違いますが、CDとして本当に良く出来ています。今井美樹のカバーから本格的なJazzまでまったく手抜きのない洗練された音の連続です。
ライブでは、チックコリアの「スペイン」をスキャットも交えて完全なインストルメンタルなヴォイスに昇華していました。本当に久しぶりにシンプルに感動できる音楽パフォーマンスの爽快感・・・
今僕が一押しのギターリスト、竹中俊二がサポートして抜群の音を作り上げていました。
10年前の日本では受けなかったタイプだと思います。飾りのない身近で等身大の力をそのまま受け入れさせてくれるようなミュージシャンですかね・・そう、一周遅れの大物歌手。
忘れていたプリミティブな原風景に触れたときの、あの”しなやか”な感性の飛翔とでも言いますか。是非、聴いてみてください。友人だから推薦するのではありません。きっと本当に大物歌手になります。
ギターの竹中俊二とのデュオの動画があったので掲載させてもらいます。飾っていない生の音です。
ギラ・ジルカの情報は、下記サイトで見られます。ちょっと宣伝させてください。
http://www.superboy.co.jp/jumpworld/
無縁社会という言葉に思う
無縁という言葉に非常に大げさに何かを表現する嫌らしさを感じます。そしてどこか”何もしてくれない”という受け身の贅沢さを連想します。
本当に無縁というような存在があるでしょうか?ロビンソンクルーソーですら動物と対話したりしていたと思います。本当に一人になるにはレベルの高い意思が必要だと思うのです。「孤高」と言えばまた大げさになりますが、無縁になるには修行が必要かもしれないと思うほどです。
誰か、何かによって生まれた自分です。意思を持たない、受け身なのは生まれた時だけかもしれませんが、それゆえにそこにも縁があります。
何事も単純に言い切るものには必ず嘘が含まれていると思っています。そんな種類の言葉の浅薄な暴力を感じました。
メンタルヘルスのビジネスをしていると、「人」を深く考えます。自己存在の偽善とプリミティブな力の大切さを思います。”社会的動物”である人間の弱さと、そして強さを感じます。自殺によって表現される”したたか”な存在を思います。だから不毛感を感じるのです。
あまり誇張すること自体何かを誤摩化そうとしている自分を感じるので、この文章自体が矛盾していますが、でも、最近、こう言った分かりやすそうで多くをショートカットしてしまう危険な風潮がないですか?
平和な一日でした
連休は人の営みが静かになるせいか、空気が奇麗で遠くまで見えました。
富士山が久しぶりに見えたので写真を撮りました。
でも今日は外に出ずに、一日机について仕事をしていました。でもあまりはかどらなかった。
モーツアルトの交響曲40番をJazzに編曲していて、先に行きたくてムズムズしているのに、今日は我慢でした。にも拘らずあまり成果が上がらなかった。自宅で仕事をするのは、やはりモードが違うのか、いつもこうです。こういう日は何か損したような気がします。
夕方にサックスのレッスンに行ってきました。今習っている先生は山田拓児というアルトサックスのプロです。バスクラリリネットも上手です。アドリブのやり方を習っています。理屈も大切ですが、センスの問題でもあります。でも非常に気の合ういい先生です。いろいろ教えてもらっていますが、アドリブのための新しいスケールを覚えるのは年齢のせいもあり大変です。難しいです。
最近はなかなか時間が取れず休みがちです。練習しないとレッスンに行っても上達しません。コルトレーンは一日最低6時間練習したと言います。プロでもないのに上達しないとストレスが溜まります。人間が出来ていないですね。
明日からまた忙しい一週間が始まります。
エジプトの無血クーデター 〜 加工できない情報のすごさ〜
エジプトで無血革命(?)が起こりましたね。民主主義ではない政権交代としては最近では珍しいように思います。Twitterの力と言われていますが、携帯の力でもありますね。携帯の普及がここまで進んでいることを改めて思い知らされました。ムバラク大統領もここまでは読めなかったのでしょうが、深い部分で単純に世代の違いによる発想の差なのかもしれません。
エジプト政府(というよりムバラク大統領)は油断していたのでしょう。そういう意味では中国政府は、こういう世代の差を感じさせない防止方法をかなり前からとっていますよね。エジプトの政権は長期過ぎて、こういう処置を助言できる雰囲気すら政権の中にはなかったのかもしれません。中国はもっと政権内の権力闘争もありそうだし、そういう安定性がない分、インターネットの怖さに敏感になり得たとも言えるかもしれません。国内問題の多様性やマグニチュードの大きさの違いもあるのでしょう。まあ危機感の差とも言えるでしょう。
ドミノ倒しという言葉があるように、アラブという言葉と文化を同じくする隣国は、同じ事が起こる可能性が高そうです。防止策をとるのはとても難しい。国民の豊かさとか満足感などの差でしかこの動きは遮断されないかもしれませんね。あのイランでも同じことが起きそうだというので驚いています。まあイラン革命を起こした国ですから何でも起こせる底力はあるでしょうが。
情報というのはとても大きな力を持っています。そしてその伝達方法が直接的で加工できないものであるほど訴求力が大きいと思います。映像とか庶民個々の生の声とか。数量が凄ければそもそも加工のしようもない。一人ひとりが安価な伝達方法を獲得した「今」の怖さを思います。政治も教育も・・いろんなものが恐ろしく変わって行く可能性があります。得るものも失うものもともにすごく多そうです。
但し、成熟して行くのはこれからだと思います。ツールをどう使うのか、おそらく多くのマイナスイベントが起こる中で収斂していくものかもしれません。
エジプトのクーデターは、身の回りに起こることへの想像力を磨く必要を今一度感じた事件です。でも軍部がどうでるか・・ このイベントの方向性はまだ見えませんね。日本は少し遠いかもしれませんね。気持ちの上でも地理の上でも。
雪と八ッ場ダム
今、我が社では”オーガニック”なものの考え方という事で、理念の再表現をしようとしていますが、自分自身がオーガニックであると考えると前向きになれます。それって正しいオーガニック解釈なんでしょうか?
忙しいと言いつつ、絶景の写真を紹介します。先週ある仕事で群馬の山奥に行ったのですが、そのついでに草津の本白根山の山頂まで上がってきてしまいました。天気が良くて、僕の好きな雪景色が奇麗に撮れるだろうと。
右手奥が苗場です。雪質は抜群。でも氷点下8度。風が弱かったのでラッキーでした。
雪を見ていると昔から幸せな気持ちになったものです。でも雪国に住むとなると「最小不幸」を考えるかも知れませんね。
ところで草津は例の八ッ場ダムのすぐ北です。もうダム以外のほとんどの工事が出来ていました。
政治の理屈は、雪が好きとばかりは言えない雪国の住人にとって何の意味もないでしょう。この現場を見てしまうと、原理主義の政治に幼稚さを感じてなりません。
アジアカップ優勝おめでとうー希望は意思で作られる
悲観は気分・楽観は意思という言葉があるそうです。負けたときのこころの準備をしながら観戦する癖がある自分を少し詰りました。
良い試合をしました。ミスもあったけどチームがネガティブではなかった。韓国に勝った時点である種のトラウマを感じさせないチームになっていたのかもしれません。誰がヒーローというスポットライトを当てる必要のないさわやかな勝利でした。
監督も日本チームの背景にあったいろんな湿り気を知らない。川島はいい顔をしていた。代わりばんこに選手が活躍。結構サポートに回った本田がMVP。最後の得点が李忠成。すばらしいシュートだった。
あんなに苦しい試合の連続だったから喜びも大きかったのでしょう。
希望は意思で作るものなのですね。
痺れた日韓戦のPK戦
昨夜のサッカー、手に汗握る熱戦でしたね。結果が良かったから言える話でしょうが、PK戦まで行ってより深く試合を味わうことができたと思います。
日本チームは強くなりましたね。良く個の力とかチームとしての力とか言いますが、今の日本チームはその両方が備わっていたように様に思います。日本が豊になったと10年前に言っていたのに最近は貧しくなったと皆言いますね。でもサッカーのチームを見ていると、やはり「豊になった」から実現した国際級のレベルを感じます。
お金で豊になったのとは違う豊かさと誇らしさを感じていました。スポーツは教育と同じように、効果が表れるのに時間がかかるのかもしれません。
それにしても、PK戦というのはかなり心理学的に興味深いイベントだと思います。あの「静止」した状態からのキックがまず問題です。ピッチの上での戦いはほとんどが動きの中でのキックです。普段の練習通り体が反応してボールをける。
でもPKは、自分がその”全ての時間”の主人公なんです。あの静寂を破るのはキッカー自身です。選手がナーバスになる舞台が完全に整っています。そして自分の結果だけで試合の結果が決まることがある。
もうそれは選手ではなく”ひとりの人間”になっている世界です。
韓国のキックがひとつも入らなかった(と言うか、”川島が防いだ”というべきだろうが)ああ言う情景は記憶にありません。なぜそれが起こったのか少し考えてみました。
1.負けた試合だと一回思った試合を同点にした。それによってPKで落とすとせっかくの成果を棒に振る、という無
言の空気が自分を支配していた。つまりあまり健全ではない「勝利への執着」があった。
2.後攻になったことで、この圧力がより強調されやすいシチュエーションが作られた。
3.試合の中のPKで止められた本田(結局細貝が押し込んだので救われたが)が最初に志願(?)して、見事に
その少し前のネガティブな成果を帳消しにした。その迫力とテンションが残像として残ったまま最初のキックを
して、そして止められた。
4.一旦劣性に立つと、次のキッカーの責任は2乗に重くなる。より動物的ではなく”人間的”になり、失敗の映像
が浮かんでくる確率が高くなり、結果も”引き寄せの法則”が適用されてしまって失敗につながる。
そしてああ言うことが起こった!
あの120分の中に人生の全てを感じられるような濃密な時間を選手は持っていた。
次の決勝戦はどういういう時間が彼らに流れ、そして僕たちに流れるのだろうか・・・





