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SNS=LINE これねー
趣味=私(友人)になっちゃってる人は嫌われの要注意
友人の他愛もない(正直、超超どうでもいい)ロングロングのラインメッセージに対処する場合
既読スルー
まず、LINEメッセージ会話派とLINEは連絡ツール派の価値観にも似ている
【ワイの悩み】
まず言いたいのは、友人(私)はエンターテイナー・娯楽ツールではない
少々自分の今の悩みでもある
すごーーく興味のない ヤフーやスマートニュースのリンク記事を友人から送ってきて その感想を求められる
そんな長ったらしい記事を読んでLINEでメッセージを打って、感想を述べて差し上げる程、本当に暇じゃない
そして1度や2度のラリーでは終わらない
不毛でしかない
興味のない記事を、私がこの記事の話題に興味が大ありだと思い込んでいる友人の感覚についていくのは止めようとおもっている
悪いんだけど、こんなどうでもいい記事の感想を述べる為に時間を割きたくないと思った際、毅然と既読スルーはします
それと同時に、友人は暇なんだろうなー、と
価値観の共有、認識の共有を好んでしてくる友人
例えば記事の犯罪者についてdisることが好きな友人
自分は正直、犯罪者についてLINEメッセージで語らうことは全くもって興味がない
もし興味があれば、こういったブログに書き記し、自分の思うこと・感じることは記載することはある
それで十分なんだよね
あくまで友人にそれを情報共有としてする必要性も無いしね
友人と会ったときに話すならまだいいよ
だけどLINEは違うんだよね
自分にとってLINEは連絡ツール派だから。
本気で語りたいなら友人(私)ではなく、X(旧Twitter)で語らえる人は沢山いるのでそちらに行ったら?
今の時代、色んなコミュニティがある
もっと知識豊富で深い話ができる人が沢山いる
そういったものを自ら選んでいく時代だと思うんだよね
(気が合えば会うということもできるであろうけれどなかなかハードルは高いかもね)
友人は楽しい食事や楽しそうな場所に行ったりするのがいいと思う自分です
一旦、仲が良すぎる人や 必要以上に依存した親子関係はぬるま湯に浸かっていて.....。
このぬるま湯に"さようなら”をすることは大事だと気づいた若い頃
それは執着の関係性であるとも言えた
その居心地の良さのまま生きて行くことも人生の選択肢でもあった
けれど
関係が固定され続ければ自分の行動範囲もパターン化され、視野も狭くなり、そこでの価値観は生きていく上で本当に良いものであるのかは分からなくなった
自分に変化や柔軟性をもたらしたいなら無理にでも物理的距離を図れば心の距離も図ることができた
執着は葛藤に似たようなもの
物理的距離を1週間、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と時が経た時、以前の自分と3ヶ月後の自分は必ず変化が起こっているはず。
それは少し淋しく感じるも強くなった自分。
やっぱり離れて良かったと思う自分。
時が経ち 改めて至ったものは、モノ・コトの必要、不必要な判別、価値観やこれからの関係の在り方に相手にも変化が訪れることもあり、また悪い形のぬるま湯関係が明白になり、生活にもメリハリがつくようになる
ぬるま湯の期間が長ければ長いほど執着から剥がれることが難しくなってきます
けれど、勇気があれば誰でも変化できる