オタク夫婦の日常・互いの趣味・子育てなど、楽しい日々を書き綴っていく予定でしたが、2011年の原発事故で事態は一変。
子供たちの将来を考え、2014年にフィリピン・バギオで約八か月家族で語学留学後、2015年よりフィリピン・セブに移住しました。
主人と私、そして2007年生まれの息子と、2010年に生まれた娘との四人家族です。
現在はTwitterをメインに活動しております。moriken (@moriken2311)
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あなたの近所でパレードがあるかも?
4年ぶりに漫画を描きました。
読んで頂けると嬉しいです。
転載自由
http://ameblo.jp/otaku-2/entry-10957224482.html?frm_src=thumb_module
フィリピンでの運転免許証
運転はしませんが2年前、身分証明書としてフィリピンの運転免許証を取得しにLTOへ出向いた時の事です。
身体検査(すっごい簡易ではありますが)で内診の先生に
「福島の原発事故時は何処にいた?」とイキナリ質問されました。
そんな質問が来るとは思わなかったので、驚きつつ愛知県にいたことを伝えると次に「その場所は福島からどれだけ離れているの?」とまたも質問が。
英語が話せなかったので、出来る友人を同伴して通訳してもらったのですが、その友人もこの質問には驚いていました。
答えるまで先生は真面目な顔でじっと私達を見ていました。
約450km離れていることを伝えたらその後は何も聞かれませんでしたが。
知っている人はいるんだ、と思った出来事でした。
またもやお久しぶりです!
2019年現在も何とかセブにしがみついて生活しております。
子供達も現地の学校に通い、順調に英語を習得しておりますが、
代わりに日本語の継続が厳しいなと考える日々です。
学校から帰宅した後は日本語の勉強を続けておりますが、学年水準の語学力には遠く及ばず( ;∀;)
致し方無いとは思っておりますが、時折焦ることもあります。
最終的には元気で生きててくれれば良いか、と開き直りますが(苦笑)
それよりも親の英語力の方が致命的だしね(爆)
原発事故から8年になりましたが、そんな事故が無かったように日々は過ぎていきます。毎日働いて生きていくのが精一杯。
でも、時折海外移住を目指す原発避難者様から相談を頂くと、やはりまだまだ正念場は続いているんだな、と思い出させていただきます。
私達も海外に出たからといっても食材には気を付けていますし、(日本料理店、日本食材は買わないし、魚介類やきのこなどは避けています)常に風向きはチェックしています。また、放射能関連のニュースも確認しています。
何処で生きていようが、私達の中では原発事故は継続中なんですよね。だって、それが理由で日本から出てきたんですもの。一生、忘れることはありません。
日本がこの先どうなっていくか不安ばかり募りますが、それでも頑張って生きていくしかないですね。
本当にお久しぶりです!
皆さん、お久しぶりです、オタク妻です。
携帯からの書き込みにて勝手がよくわからないのですが、私達家族はまだフィリピンのセブで暮らしています。
こちらの生活も四年目に突入し、四苦八苦(特に夫婦の語学力)しながらも何とか生活しております。
色々書きたい事はあるのですが、夫婦共働きで日々慌ただしく中々時間が取れない状況です。
ただ、Twitterの方ではマメにRT(自分で発信しましょう)などで生存報告をしておりますので良かったら覗いてみてください(笑)
久しぶり過ぎてアメバの使い方を忘れている(と、いうか仕様が変わりすぎて分からない)妻でございます(苦笑)
セブへ来て一年
今年の2月4日でセブ島生活一周年になりました。
まずは家族全員無事に一年を過ごせた事に感謝です。
思い返すと学校が始まった6月から二ヵ月毎に知恵熱を出していた子供達。
いつの間にか知恵熱も出なくなり、軽い風邪はひいたことがあるものの、大きな病気や怪我もなく初めての学校生活一年目を終えようとしています。
引っ込み思案で親の後ろに隠れがちだった8歳の息子は大声が出るようになり、自分から発言するようになってきました。
まだ、テレなどがでるようですが、それでもこれは大きな成長です。
主人とも話していましたが、日本の学校教育で一番の心配が実は息子でした。
友達の前で自己表現を控えてしまう息子、自分から声が出せない事、このままではいじめられっ子になるか、親以外の大人からの要求に「YES」しか言えない子になるだろうと心配していたんです。
かつての自分がそうだったように。(私は高校生活から変わりましたが、やはり小中学校は良い思い出があまりありません)
此方の教育現場は宗教上、皆で一緒にという場面は多々ありますが、子供を自由にしてくださり、教育現場内での変な縛りが少ないのです。
(皆と同じことが出来なくてはいけないとか、給食は全員完食しなくていけないとか、集団生活を優先しなくてはいけないなど。兎に角、個を消す教育は軍隊みたいだと思う時があります)
そして、上の学年の子供達がそれはもう良く低学年の面倒をみてくれるのです。
低学年の生徒が高学年のクラスに遊びに行くなんて日常茶飯事です。
キャンティーン(売店)で困ることがあった時、近くに居る生徒さんが助けてくれたりもしたそうです。
余談ですが、息子は高学年の女生徒にとても人気だそうで、時間があると女生徒が構っているそうです。
お迎えに行ってくれるお手伝いさんが教えてくださいました。
そして先日、学校の催事で学校に行きまして、その現場を直に目撃して夫婦で笑ってしまいました。
今は親の傍に居たいと泣く6歳になった娘も、入学直後から友達は多く、毎日友達のお話をしてくれます。
また一年生になることをとても楽しみにしています。
親から離れようとなったり、逆に甘えたり、と心の成長が激しいこの頃です。
語学だけでは無い成長が沢山見えた一年でもありました。
セブは比較的同じ原発避難者の移住が多いエリアだと思います。
マレーシアよりは小さいですが、避難者の方々同士、色々繋がって情報交換したり助け合ったりしてると思います。私達家族も本当にお世話になっております。
ただ、仕事が少ないし、給与が他のエリアに比べて低すぎるのが欠点だなぁ、と。
気候は良いと思います。湿気が少なくてカラリとしているし、今の季節は朝晩涼しくてとても過ごしやすいです。
人によってはビサヤ地方の人は陰気臭いと仰る方もいましたが(ルソン地方の方がサバサバした人が多いそうです)私は気になったことがありません。
デング熱の罹患率が高いと聞かされていましたが、良く聞くと生活エリアによって違うそうです。
どうも水辺の近くと大きな市場が要注意だそうです。
まだまだ分かるほど生活になじんだ訳ではありませんが、それでも日々穏やかに流れていると思います。
家族が居てくれること、健康でいてくれること。
毎日感謝の日々です。
3月から職場部署が変わることになり、10時ー19時から8時-17時になります。
少し朝が慌ただしくなりますが、また一年滞在を目標に頑張ろうと思います。
元気な事は良い事。でも程々に。
夫です。
3日坊主について考える事は止めました。これが 「ストレスの原因」 なんて考えたくありません。精神,肉体共に弱い私が、 「ブログが理由で自殺。」 にはなりたくありませんからね。
今回もフィリピンでの生活についてです。最近ではなく、かなり前からなのですが、家政婦さんが大事な娘と帰宅すると必ず娘に言われることがあります。
「パパは二階に行って!」
です。初めて言われた日には、ショックで倒れるかと思いました。これはもう愛する奥様に慰めてもらうしかないと考えていると、娘が更に追い打ちをかけます。
「二回から降りてこないでね。」
です。嫌われてはいけないので、諦めて二階に行き、のんびりとDVDを見ていると 悲しみに暮れていると、下での用事を思い出し娘にばれない様に下に降りると家政婦さんと遊んでおりました。でも、あろうことか内緒で余分におやつを食べているではありませんか!
さすがに、「これはいかん」と思い娘に声を掛けます。するとおやつを隠します。隠しても包装紙がごみ箱に捨ててありますから直ぐにばれます。
しょうがないのでダメだよと言い聞かせるを繰り返しておりましたが、ドンドン娘の内緒(と思っている)の行動がエスカレートするので、奥様と二人で娘に言い聞かせ、二階行くことを止めました。
息子と比較して娘の行動は横着で、ドンドン新しい悪戯をしでかしてくれるので奥様に聞きました。
「娘は何でこんなに横着なんだろうね。」と。
すると奥様から衝撃の一言。
「あなたの子供なんだから、しょうがないでしょ。」
でした。
確かに私は子供の頃に外出禁止になったことがありますが、娘程「やんちゃ」ではなかったと、私は思っております。私は。


