産経新聞を応援する会 さんのブログより
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中川昭一先生の葬儀にて
弔辞 ・麻生太郎 安倍晋三 両総理
中川昭一先生の葬儀にて
弔辞 麻生太郎
昭ちゃん、まさか貴方の弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは全く思ってもみませんでした。
自由民主党は真に得難い人材を失ったと悔やまれてなりません。
100年に1度と言われた先の大戦後最大の世界同時不況に財務大臣と金融担当大臣という要職を兼務して戴いたこと、また今回の総選挙で自民党が政権与党の座を失ったこと、それらが今回の悲劇を生んだ一端なのではないかと大変心苦しく誠に申し訳なく思っております。
平成17年でしたか、米国のサブプライムローン問題が出始めた頃、本会議場で議席が隣だったこともあり、幾度となく意見を交換し対応策を練ってきました。
日本興業銀行出身だけあってマクロ経済、国際金融の複雑な話に理解力がある数少ない政治家だと思っていました。
昨年(2008年)11月にワシントンで緊急のG20金融サミットが行われました。
世界的に急激な金融の信用収縮発生が予想された状況下です。そこで日本がIMF・国際通貨基金に10兆円を融資する事によって、開発途上国の財政破錠を防ぐと提案しました。
財政状況の厳しい日本が10兆円の資金を出すと言ったので、霞が関では当然反対の声が挙がりました。
しかし、「これは融資であって増資ではない」という私の主旨を一言で理解して、直ちに財務省に話をつけたのが中川財務大臣でした。
後にIMFのストロスカーン専務理事をして「あの日本の決意が米国、欧州を動かし、結果として世界を金融恐慌から救ってくれた」との弁を語り、感謝状も戴きました。
日本でその意味を理解している人が今もって極めて少ないのは、甚だ残念の極みです。
しかし、国際的な金融機関における評価が極めて高いのは事実であり、後世の歴史家が評価してくれると確信しています。
政治家は我身無念と思えども
国の為なら本懐なり
貴方にこの言葉を贈りたいと思います。
私は中川昭一先生の政策能力の一端をぜひご理解戴ければと存じ、このお話をさせて戴きました。しかしここにお集まりの多くの方々は、中川昭一先生の保守政治家としての気概に共感しておられたのだと思います。
自民党は保守理念の再構築をしなければなりません。その時にその中核を担うと期待していた中川昭一先生を失い、我々の気力が萎えたことも事実です。
しかし我々は貴方の遺志に応える義務と責任があると存じます。
死せる中川
生ける保守を走らす
それが貴方が最も望んでいることでしょう。残された我々は歯を食いしばって頑張ります。
どうぞ安らかにお休みください。
政治家・中川昭一に改めて感謝の気持ちを申し上げ、お別れの言葉と致します。
平成21年10月16日
弔辞
故中川昭一 元自由民主党政調会長の御魂に見える為、ここに哀悼の誠を捧げます。
昭一さん、今日はいつもと同じように昭一さんと呼ばせて下さい。
私と昭一さんはお互い父親が政治家同士という関係もあり家族ぐるみのお付き合いをさせていただきました。
政治の世界に足を踏み入れてから今日まで永く親交を深める事が出来たことは、私の喜びとするところであります。
先般の総選挙直後御目にかかった時は流石にお疲れの様子でしたが、2週間程前お電話で話した際は非常に元気で「安倍ちゃん、保守再生の為に頑張ろうよ」と語りかけてくれました。
その矢先の突然の訃報に私は愕然とし、言葉を失いました。
再起を目指していた昭一さんの意欲に多くの人達が期待していただけに無念でなりません。
返す返すも残念であり、本人もさぞかし悔しい思いであったことでしょう。
私が初めて選挙戦に臨んだ際、昭一さんは当選3回でした。
まだご自分の選挙に集中しなければいけない中で、貴方は私の選挙区まで脚を運び、心に沁みる応援演説をして下さいました。
当選後は国家の基本問題で大きな議論が起きた時、私は昭一さんと行動を共にしてきました。
常に昭一さんはリーダーで、颯爽とした若武者ぶりは、当時の私達若手議員を奮い立たせる魅力と力に溢れていました。
今でも忘れません。
自由民主党の党綱領から、憲法改正の柱が削除されそうになった時、昭一さんは当時の重鎮を向こうに回し、堂々と立派に戦い、、、。
時は村山政権時代「このままでは日本が危ない」という危機感の中で、教科書問題にも取り組みました。
中学校の歴史教科書全てに従軍慰安婦・強制連行の記述が載ることになり、「このような自虐的な歴史観を何とか正し、子供達が日本に、我が国に誇りを持てる教育に変えたい」と、その一心でした。
当時の政治状況・マスコミの報道ぶりから考えれば圧倒的に不利な情勢であり、まさに多勢に無勢でした。
その中で私達は『日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会』を立ち上げ、メンバーの総意で昭一さんに会長をお願いしました。
批判の矢面に立たされる危険がある中、俗に言えば票にも繋がらない、政治キャリアにはマイナスかもしれない約束を、昭一さんは「俺がやらねば」という気持ちで引き受けてくれました。
拉致問題も全力でしたね。憲法改正問題も同様でした。
今から思えば全て困難な問題ばかりで、、、。
~略~
小泉内閣時代、昭一さんは経済産業大臣・農水大臣歴任されました。
その間、海外出張は何と43回にも上りました。
国会審議の合間を縫っての出張であり、激務でありました。
東シナ海の油田問題で、貴方の毅然とした外交姿勢は資源外交の重要性・国益を守るとは何なのか、ということを私達に身をもって示してくれました。
安倍内閣が誕生した時、私は迷わず貴方に政調会長就任をお願いしました。
平成19年1月通常国会で昭一さんは代表質問の檀上に立ちました。
奥様の話では、真面目な昭一さんは深夜まで何回も推敲を重ねたそうであります。
その冒頭、昭一さんは張りのある声でこう切り出しました。
「国家の骨格を成すものは、憲法・安全保障・教育であります。」
そして結びで、
「アインシュタインが称賛した日本人の謙虚・質素などの美徳を保ちつつ、誇りと自信を持った国民によって、見える部分、見えない部分も共に、真に『美しい国日本』が実現されるよう全力を挙げて努力することをお誓いします。」と述べられました。
私は代表質問に聞き入り、昭一さんと共に歩んできた道、戦ってきた道に思いを馳せました。
貴方の歩んできた道は国家の為、まさにその一筋で貫かれていました。
お別れの時がきました。
私は残されたご家族、参列の皆様に改めて申し上げたいと思います。
中川昭一は立派な政治家でした!!!
まだまだ国家の為に、一緒に戦って欲しかった。
私達は貴方を必要としていました。
~略~
そして私達は、貴方が目指した誇りある日本をつくるため、保守再生に向けて全力で取り組むことをお約束し、弔辞とさせていただきます。
昭一さん、さようなら。
安らかにお眠りください。
友人代表 衆議院議員 安倍晋三
【中川昭一先生の葬儀にて 弔辞・安倍晋三議員】
http://youtu.be/WHDxt10xMgg
---(転載ここまで)------------------------------------------------
動画説明
政治家が亡くなって動揺するのは初めてでした。政治家・中川昭一先生を追悼するとともに、自殺すればいいんだと発言した辛坊治郎と読売新聞記者には責任を取ってもらいたい。
読売新聞記者が中川氏の酩酊会見に深く関わっている・・・
そして、辛坊治郎は、元・読売テレビアナウンサー・報道局解説委員長などの出身で読売関係者。
読売のコリア系が中川氏の死に大きく関係しているのか?
辛坊治郎を許してはならない!!
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