【師のブログより】
経済的にお金がない物質的な苦しみ。
人間関係などの精神的な苦しみ。
病などによる、肉体的な苦しみ。
仏様の教えには三毒が説かれている。
この三毒(貪、瞋、痴)「むさぼり」・「いかり」・「まよい」から我々は苦しむとされている。
我々は智慧がない為に、思い通りにならないから怒る。その怒りから冷静な判断が出来ず、相手のことを許すことが出来なくなったり、無茶なことをしてしまったり、そして、自身の業という穴にはまり込み、抜け出せなくなり、さらには、自責の念から迷い苦しむことでグルグルと輪廻を繰り返す。
親や兄弟といったような身内からの裏切り、友達といった大切な人からの裏切り、上司からの裏切り、様々な人による裏切り、いじめ、虐待などを受けて、我々は憎しみ、怒りが生まれていく。
人を憎しみ生きていくのは、本当に苦しく辛い。
自分自身のことを苦しめる人が憎い、憎い、憎い、といって、いつか見返してやる‼︎っと思いながら、懲らしめてやろうと必死に生きていけば生きていくほど......。
何故なんだろう........。
最後は自分自身が苦しんでいることに誰もが気づかされるように思う。
怒りにより、苦しみの因縁の連鎖を作ってしまい、そして、その連鎖は自分のまわりにさえも浸透していき、まわりにさえも迷惑をかけてしまい、最後は破滅、孤独の道を歩かされてしまいかねます。
それを、自分で.....自分で気がつかなければ.......。
苦しみからの解脱は難しいのかもしれない。
自分で気づくことが出来ないのならば、苦しみたくないのならば、仏様に一生懸命に祈り、気付かさせてもらうことも大切なことのように思う。
何故、我々は仏様や神様を尊厳して手を合わせて祈らなくてはいけないんだろうか........
考えてみればみるほど......
自身の幸せの為にも、苦しみの因縁を断つ為に、とても大切なことのように思う。
人様、神様、先祖様、仏様.......繋がる命に。
自身が生かされていることに。
手を合わせて感謝やありがとう‼︎っと.......
心から、心からそう思えた時から.....。
苦しみの世界にいく因縁が消えて......。
幸せの物語がはじまっていくからなのかもしれない...。