【師のブログより】
ある人は言う。
「こんな苦しい事だらけの人生に神仏なんていない。」
っと言う。
本当にそうだろうか.......
何処にもいないのだろうか.......
祈っても、拝んでも一緒のことなんだろうか。
今が苦しいのなら、今が上手くいかないなら、1度本気で祈ってすがってから考えてみたらいいのではないだろうか。
真言密教の加持祈祷は1200年経った現在も続いている。
素直に手をあわせられる人とあわせらない人には、明らかな差が出てくるように私は思う。
素直に手をあわせられる人は何事もおかげ様だと言える。
素直に手をあわせられない人は何でも無明から何かのせいにしてしまう。
これだけで大きな差が出てくるものです。
例え話しになりますが、
転んで軽い怪我をした時に日頃から手を素直にあわせられてない人は
「何で、自分だけ。何で、今日はついてないんだ‼︎この石のせいで‼︎」っと、このように考えてしまう傾向にあるように思います。
しかしながら、日頃から手を素直にあわせられる人は
「転んだけれども、何事もおかげ様です。これぐらいの怪我ですみました。ありがとうございます。」っと考えることができるようになっていきます。
運転をしている時、目の前で危ない運転をされたら、あの人はいつの日か大きな事故にあってしまったらいいんだ!っと思ってしまうものかと思います。
しかし、その心には、仏はいるのだろうか.......。
仏様の場合は「あんな乱暴な運転をしている方が、たとえ事故にあっても大難は小難になって、幸せでありますように。救われていきますように。」と祈ってあげられる。
その心には、仏様が宿る。
そのような心には仏様が一緒にいて。
自分自身の心を安らかに、安穏にしてくれる。
だってそのような人には、誰もがついていきたくなるものです。
愛される人の背中。大きな大きな心。