江戸の世というのはいろいろな仕事があったようで御座居ますが、現代に一脈通ずるような職業もあったようで御座居まして、損料屋というのがあった。これは布団やら着物やらを人様にお貸しするんですが、人がそうやって使いますと、どんなものでも多少は目減りする、貸す方は少し損をするから損料をいただく。つまり、現代で言うところのレンタル業のようなものというわけで御座居ます。布団は特に損料布団なんて申しました。その損料布団を煎餅布団になるまで使い切った場合、これはいくらぐらいかかったかと申しますと、当方計算に滅法弱いのでよくわかりませんが、江戸時代にいちばん借りられたのはものの本によると褌だったとか。因みに褌一回のレンタル料がだいたい六十文だったそうで御座居ます。さて、その褌をきつく締め直してやって来たか、或いはノーパンでやって来たかどうかはわかりません、ずいぶん気合いを入れてひとりの客がフラリとこの損料屋の暖簾をくぐります。この男、旗本のお侍で御座居まして、名を南山熊五郎孝盛という。損料屋に来るぐらいですからお金がありません。と申しますのもオギャーとマザーシップから切り離された途端に四百石を食みましたが、その後の出世に苦しみまして、いろいろ猟官活動やなんかを致しますとお金がない。ないものは仕方ないから、出世を諦めるかとなるとなかなかそういうわけにも参りませんから、伊勢屋という蔵宿にお金を借りる。借りたものは返さなきゃならないが、これが年利にして18パーセント。即ふらふらになっちゃう。いやいや待ってくれ。今度こそ組頭になるから、そこをなんとか貸してくれと百両が二百両、二百両が三百両と増えまして、あっという間に三千両。年収の軽く二倍をオーバー致しましたから、熊五郎たちまち江戸ルイスに睨まれたモアイ像みたいになって首から下が自転するようになっちゃった。伊勢屋の方では熊五郎を値踏みして居りまして、この侍たいした出世はできないだろうなんて思い至って居りましたから、もうこれ以上はお貸しするわけには参りませんってんで、連日のように浅草から借金取りに屋敷へやって来る。うぬ。これは困ったと熊五郎、お家存続の一大事。必死の形相で三日三晩一睡もすることなく考えまして、あの鬼のような伊勢屋の奴も世に怖いものがないわけでもなかろう。ここはひとつ、曰く因縁つきの怖い怖い掛け軸を買って床の間にでも吊るしておけば、薄気味悪がってもうわしの家には寄りつかないのではないかと閃いた。熊「そういうわけでな、掛け軸を買おうと思ったが金がないのだ。なにかひとつ怖い因縁つきのものを貸してくれんか。主「妙な熊さんが来ちまったよ。弱ったね、どうも。損料屋の亭主も昼の日中に息急き切ってやって来たこの変な客人に面食らいましたが、そこは商いですから、じゃあ、ちょっとお待ちをと、店の奥にいったん入りまして、ひとつ軸を持って参りますとスルスルと紐解いて壁に掛けました。熊「これは何者の絵か。主「目下売り出し中の絵師円山応挙の筆になります幽霊画、反魂香之図で御座居ます。熊「おお傾城反魂香じゃな。聞いたことがあるぞ。熊五郎そう言って、うむと唸ったきり何も言わなくなった。亭主の方がしびれを切らせまして、どうですかと促しますと、熊「どうも怖い。これを拙者に家に持って帰れと申すか。どうにも困った人が居たもんで御座居ます。なにか他にないのかと言う熊五郎に亭主はまた店の奥に引っ込みますと、二つ目の軸を持って参りましてスルスルと紐解き壁に掛けます。ところが今度は侍の絵が描いて御座居ましたので、熊「これは武士ではないか、何者か。主「天下の奇才曾我蕭白が浄福寺に仮寓しました折泊まり賃と酒代のかわりに一夜一気呵成に描いたと伝わります中村八丁堀左ヱ門主水之介の絵にて御座居ます。熊「この絵のどこが怖い。主「ここに描いてあるお侍、稼業は廻り同心で一見なんの変哲も御座居ませんが、それは人の目を忍ぶ表稼業。裏稼業は請け料をいただいて悪い奴を殺し回る殺し屋です。顔はいかつく精悍だが、根は至って気の小さい熊五郎「そんなおっかないものに巻き込まれては大変だ。いかんいかん。他にないのか。損料屋の亭主、いささか呆れましたが、また軸を持って参ります。スルスル紐解きますと今度は薄く濃く墨を刷いた山水画のようで御座居ます。熊「これはどの者に御座る。洞穴が描いてあるようだが。主「これはかの狩野派の絵師、狩野三太夫の筆になります虎子の図です。熊「なに虎の絵と申すか。はて面妖な、虎などどこにも居らぬではないか。主「虎穴に入らずんば虎子を得ずと申しましょう。即ちあの虎穴がここにある洞穴で御座居ます。熊「これをどうするというのだ。何か因縁めいた話でもあるのか。主「この絵を床の間に飾りますと伊勢屋がやって参りますので、こう言います。おい、伊勢屋。わしの大事な虎の子はこの虎穴の中じゃ。悔しかったらこの虎穴から見事虎の子を誘びき出してみせよ。熊五郎呆れ返りまして、「そのような頓知の判じ物ではあの伊勢屋は浅草に帰らんぞ。どうするのだ。主「実はこの軸は洞穴の白いところが透かしになって居りまして、そこに故事来歴が書いてあるという趣向でして。熊「なんと書いてある。主「三人虎を成せば張り子の虎の口に手を入れても何もない。損料屋も何を言ってるんだかわからなくなっちゃった。次じゃ次じゃと熊五郎がうるさく言いますので、亭主はまた軸を店の奥から持って来る。熊「今度は何の絵だ。主「これはどなたの筆になりますものかわかりません。熊「犬が描いてあるな。花咲かの翁の絵のようじゃが違うか。何か下に能書きがある。主「かの足利義満公が京北山に普請しましたる臨済の寺鹿苑寺、通り名で金閣寺に御座居ますが、あのきらびやかなお寺の金はすべて金箔で御座居まして、金の延べ棒のほんの少しを薄く薄く引き伸ばしたものにて御座居ます。それで宮大工の棟梁は義満公から贅を尽くして築くように厳命を受け、延べ棒をたくさん拝領致しましたが、実はずいぶんと余りました。ですが、余った金の延べ棒を幕府にそのままお返し奉ればいいかというと、そうは参りません。贅を尽くして作れと厳かに命じられているので御座居ます。といって盗めば一族郎党死罪を問われます。困り抜いた棟梁はとうとう穴を掘って庭に埋めました。熊「うむ。室町の隠し財と申すのだな。主「この下にあります文書はその隠した庭の在り処で御座居ます。熊五郎いささか怪しんで、「おぬし、これを拙者に掘れと申すのではあるまいな。主「それは少々お話が違いまして、この室町の什物を探す株仲間を作りまして、伊勢屋の奴におまえも一口乗らんかと。熊「悪い奴だな、おまえは。そんな糸井重里みたいな真似はできないと熊五郎が断りますと、損料屋の亭主、ではこれがうちの店では最後の品になりますがと店の奥から一幅の掛け軸を持って参ります。例によってスルスルと巻物を解きますと、余程古い物らしく絹布の表具も多少傷んではいるが、それだけに却って高価な物とわかりまして、彩色などもまだはっきり致して居ります。描かれているのはどうやらシナの鎧兜を着飾る武将のようで御座居ます。その凛々しさ勇ましさに熊五郎も思わず息を飲み、「これは何者の絵か、と言う。そこで、ここぞとばかり亭主、源平の戦で名乗りでも挙げるように声色をつくって、「明が国の北宋の代に狄青という名将あり。この武将、ただの足軽から将軍に登りつめたるの逸話ありけり。越南の李朝、儂智高の乱を平らげんとしたる際に自軍の兵、士気阻喪す。馬上の狄青、懐中より袋に包み入れたる百一枚の銅銭を頭上に高く掲げ、今よりこれを地に投げ、百一枚すべて悉く表を向けると宣言せし。麾下の兵これを疑いしが、構わず狄青投げつけると地に落ちたる銅貨、見事に一枚残らず表を向く、兵の士気大いに上がり、儂智高を鎮撫せしめる。その狄青がこの絵の武将で御座居ます。熊「気に入った。足軽から将軍に登ったなどなかなかできることではない。北宋が国の太閤殿じゃ。して、損料屋、その巾着はなんだ。主「これはその百一枚の宋銭にて御座居ます。この軸の前で銭を投げますと名将狄青の霊験あらたかな力によりすべて表を向くと伝えられて居ります。熊「おお、それは誠か。主「へい。この祥符元寶は長崎銭ですが、霊験はあくまで掛け軸に御座居ます。そこで伊勢屋に今からこれを振り百一枚すべて表が出たなら今日の払いは負けよと、こう言うわけで御座居ます。伊勢屋はきっとそのようなことができる筈はないと申しますから、お殿様の利子はみるみる、どんどん翼を授けられたブルース・リーの如く軽くなります。熊「うむ。でかしたぞ、損料屋。というんで、熊五郎、早速、軸と巾着とを両手それぞれに握り締めて屋敷に戻って参りました。それで床の間に謂れある狄青の掛け軸を掛けますと、もう居ても立っても居られない。今来んか、すぐ来んかというんで伊勢屋を待ちわびて居ります。半刻も過ぎようという頃、家来が襖をスッと引きまして、「伊勢屋が来ましたが、女中が門前に引き留めて居ります。帰らせましょうかと言う。熊五郎、血相を変えまして、「ならんならん、通せ通せ、通すのじゃ、とまあ、ずいぶん勝手な殿様も居たもんですが、やがて襖を開けて手を畳について深々と頭を下げた伊勢屋が正座のまま部屋へにじり入って参りますと、熊五郎「苦しうない。伊勢屋、中をあらためい、と言って、ポンと伊勢屋に巾着を投げて渡す。投げ渡された伊勢屋は金利の払いだと思いましたから、やけに今日はあっさり払ったもんだと腹のなかで毒づきつつ、それにしても小判にしては音色も妙だったし、肩透かしに会ったようでもあり不審げに巾着の中身を検めます。するとどれも銅銭ばかり、おまけに古い宋銭でしたから機嫌を損ねました。伊勢「孝盛様、これは御冗談が過ぎまするぞ。まさか、これが。熊「ア、イヤイヤ、そうではない、そうではない。伊勢屋、それをこちらに渡せ。時に伊勢屋、この銅銭は百一枚ある。拙者が今からこれを畳の上に放り投げ、そのすべてが面をこちらに向けたなら、そなたどう思う。伊勢「御言葉では御座居ますが、そのような技芸は決して無理かと存じ入ります。熊「絶対に出来ぬと申すのだな。伊勢「はい。骰子サイの目はたった六通りしか御座居ません。その六通りすら悉く当てるのは誠に至難にて御座居ます。それを百一枚すべてが表を向けるなどとうてい叶おう筈も御座居ません。熊「然らば、わしが今から床の間の前でこれを振り投げ、見事すべて面をこちらに向けたならば、そち、今日の金利二百五十両負けてくれるな。絶対に出来ぬと言った手前、伊勢屋にも面子が御座居ます、うぬと呻いた伊勢屋、熊五郎のただならぬ自信に満ちた表情を警戒する気持ちも働きまして、切羽つまってこちらも条件をつけました。伊勢「よう御座んしょう。尤も、こちらも言わせていただきますが、もしも、ただの一枚でも裏を向きましたならば、今日までの貸金三千両すべて耳を揃えて貰い請けたく存じまするが、よろしゅう御座居ますか。信仰心というのは恐ろしいもので御座居まして、熊五郎、掛け軸の霊験を信じ切って居りますから、伊勢屋の断り書きをふたつ返事で飲みました。熊「三千両が六千両でもくれてやるわ。よいか、伊勢屋。よく見よ。投げるぞ、でやーっ、という掛け声をもちまして熊五郎、巾着の宋銭百一枚を威勢よく投げましたから、家人の者は何事かと驚きましたが、ふたりともそれどころではない。熊五郎も伊勢屋も畳の上に這いつくばって落ちた銅銭を目を皿のようにして睨んでいる。そのうち熊五郎の息があがって参りまして、見ろ、見ろ、見ろ、とつぶやいている。その後を追って伊勢屋がやはり荒い息をして、このような、このような、とつぶやいている。まあ、ミラクルというやつは起きる時には起きるのか、霊験の話が本当だったのか、なんと、熊五郎の振った宋銭、すべて表を向いていた。伊勢屋は腰を抜かしちゃって腑抜けみたいな顔をしている。熊「見たか、伊勢屋。この床の間の掛け軸はな、ただの掛け軸ではない。明が国の北宋の代と熊五郎、いい気分で狄青の軸の秘密を明かします。それを聞かされた伊勢屋の方はこれは大変な賭けをしてしまったと悔やみましたが、やや時も経ち冷静になってみますと、さしもの狄青も二度は奇蹟を起こせないだろうという気になって来た。伊勢「孝盛様、確かにわたしは負けました。御約束通り、今日の二百五十両は仰せの通りに致します。ただ、このわたしにも意気地が御座居ます。もう一度だけ先程と同じ条件で銅銭を投げては貰えませぬか。勝った熊五郎は軸の霊験をもはや確信して居りますから、「何度でもやってやるぞ。貴様の不信心は相当なものだ。わしが荒療治してやる。じゃが、伊勢屋。わしとてそれ程甘くはないぞ。先程の二百五十両は先程の但し書きじゃ。今度わしが勝ったなら三千両をただにして貰うが、それでもよいか。ここで伊勢屋も腹を括りました。伊勢「よう御座んしょう。あなた様が勝てば、わたしは三千二百五十両の損。わたしが勝てば、あなた様は即刻三千両をお返しいただく。よう御座んすね。熊「いいだろう、っていうんで、熊五郎、ぞりゃーっと、雷が落ちたみたいに家鳴りがするほど胴間声をあげて銅銭を振ったから、天井裏のネズミも忍者もすっ飛んで逃げた。二百五十両負けて、今や三千二百五十両負けるかも知れない伊勢屋はもう東大寺南大門の仁王の面貌、両手をついて腰を浮かし、電子顕微鏡でゾウリムシの心臓の毛の数を数える地獄の科学者みたいに眼を血走らせて落ちた宋銭を検めている。パッと見で表になった銭があきらかに多いものだから、伊勢屋の息はもうあがって来ている。神仏の御加護があるとはいえ、これは賭け事。熊五郎も興奮してだんだん息があがって来て御座居ます。こちらも上の句を読んだ歌留多取りみたいにして両手をついて腰を浮かし、例によって、見ろ、ほら見ろ、と夢中でつぶやいて居りましたが、そのうちに伊勢屋がたった一枚だけ裏を見つけることができまして、「アッターッ、って、とんだ博奕場もあったもので御座居ます。三千両を即刻支払うことになった熊五郎、サルトルが鵜飼いになったみたいに現実がなかなか飲み込めない。それも道理で、全部表裏バラバラになったならまだしも、裏を向いたのが伊勢屋の見つけたたった一枚だけというのがどうしても腑に落ちない。「待ってくれ、待ってくれ。これは何かの間違いだ。な、な、後生だ、頼む。後一回だけ勝負してくれ。たった一枚だけなんておかしい。わしが慢心したのがいけなかった。油断したのがいけなかった。もし、わしが負けたらもう後三千両払うと、伊勢屋が霊験あらたかな狄青なんだか狄青が霊験あらたかな伊勢屋なんだかわからなくなったかのように拝み倒しますから、伊勢「わかりました。後一回だけ勝負しましょう。されど、わたしも一介の札差。口約束だけじゃ、信じられません、っていうんで強引に証文まで熊五郎に書かせた。熊五郎ブルブル震える手で裸で新体操をする真冬の地ネズミみたいな字を一筆書き終わりますと、掛け軸に向かって泣き叫びながら何度も拝みまして、この天地も裂けよ嵐よ吹きまくれと裂帛の気合いをもって宋銭を振った。ところが今度は幾度見直してみても全部裏を向いた。熊「わーん、わーん、こんなの嘘だー。すべて裏ということはすべて表になったのと同じだー。あーん。伊勢「約束は約束。しめて六千両、今日中に払って貰いましょうぞ。熊「こんな馬鹿なことはないんだー。もう一回ヤレー。伊勢「おのれ。まだそのようなたわけたことを抜かすか。わたしは地獄の果てまでおまえの借金を貰いに行くぞ。熊「後一回ヤレー。後一回ヤレー。伊勢「今度は何を賭けるつもりだ、もう賭けるものは掛け軸以外この家にはないではないか。熊「わーん、賭けられないが、祥符元寶の祥の字が松になるんだー。伊勢「なってどうなる。

   

   熊五郎「エゝくそ。後は松平(定信)を待つばっかり(松ぼっくり)。