人生百年時代に入ったと昨今言われるが、医療の発達した現代でも120歳まで生きられる人は少ない筈である。いわんや、昔の人で120まで生きた人など、ほぼ絶無の筈だ。ところが、日本語にはこの120歳を祝う言葉があると知って驚いた。その名も大還暦というらしい。或いは昔寿(せきじゅ)というのだそうだ。そんな人、殆どいない筈なのに、それを表す言葉があるというのは不思議な気もする。縄文人の平均寿命は十五歳だったという説も驚いた。人間、十五年も生きればすべてを全うしているということになる。オリジナルの設計上はそれで構わないということなのだ。いずれにせよ、縄文人(の平均寿命)が二十歳を越えることはまずなかったという。これは確たる資料があるようだが、十七世紀半ばのロンドン市民の平均寿命は18.2歳だったらしい。確か十七世紀という時代は戦争をしなかった時期がわずか四年しかなかったと言われる時代ではなかったか。そうなると戦死者が多かったのか(とはいえ、当時は国民総動員戦ではなかった筈だが。しかし、ペストは流行っていたようだ)。

しかし、とにかく平均寿命が十八歳だったということは、今で言えば高校生で「御寿命」ということであり、信じられない気がする。

人生百年時代が本当だとすると、

おれですら後、まだ五十年近く余生がある。その分、本が読めるから有難いが、本を読みこなせるだけの頭の明晰は保ちたいと思う。


   なんにせよ、おれたちが生まれた年のアポロ計画による月面着陸もそのうち昔話になるわけだ。そういう歌もあったが、実感は沸かない。最近の社会はある年齢に達しても昔のようには実感が沸かないのである。ファミレスというものが世に出回りだした頃から、世の中に正月というものがなくなった。ついでに言うと、それからしばらくして雪もなくなった。物理的な雪しか降らなくなったのである。所謂、雪を見るためには、例えばおれの場合はウォークマンでポップスバンドのELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)などを聴いて、冬の気分を盛り上げ、補充してやる必要があった。ある年齢に達しても実感が沸かないという問題もそれらの延長線上の問題だろう。残念なことに、この問題はたぶん、社会的には解決できない。昔のような正月の復活を現代社会に求めても恐らく無駄である。それはSDGSといったことでは解決できない。関連性はあると思うが、恐らく無理である。となると、救済は自力でやるか、せいぜい小乗仏教的な救済しかないのだ。さらに言えば、それは宗教のレベルでは成し得ず、哲学のレベルに移行してしまっている。老人にはずいぶんキツイ話と言えるだろう。


(9日)ファミレスのことを書いてしまったが、ぼくが言っているのはあくまでもその頃の話ということ。ファミレスは二十四時間営業を標榜し、表面上「世の中に正月というものがなくなった。」原因のように思われるかも知れないが、決してそれだけが原因ではない。もし、マルクスの用語を使うとすれば、当時の生産関係の変質を言っているのだ。要するにLSI(大規模集積回路)の登場である。つまり八十年代という時代の変化を言っている。誰がやり始めたのかわからない産業革命というものを短兵急にあれが悪いこれが悪いとは言えない。だから、ぼくは社会的改革は無理だろうと書いた。誤解なきよう、お願いする。


(15時30分)─


(12日)がんばれ!!ロボコンが好きだと言っただけだけどな。社会の「お役立ちシステム」に隷従しない「役立たず」「無用の用」の遊びのロボットも一方にいる社会がいいんじゃないかと言っただけだけなんだけど、そんなに過激な発言なのか。江戸のからくり人形のような粋と贅沢は全く絶滅してしまったのか。悲しいなあ。