結局、朝日新聞と旧統一教会の関係性はどうなったのか、間接的にも情報を知るところがないので、わからないままだが、おれの全く客観性のない、全くの妄想かも知れない地獄耳によると有効で正当性のある反論も二、三あったようだ。一方、今日(昨日だったかな)文春オンラインだったか、92年に産経新聞が旧統一教会の合同結婚式の広告を掲載していたという記事も読んだ。これについて産経新聞は特にコメントはないらしい。別にフェイスブックが産経新聞と特に昵懇とか、傘下企業に軒を連ねているとか、そういった事実はない筈だから、フェイスブックに書き続けていけばいいのであるが、ちょっと気になる番組を見てしまったのだ。テレ朝「ニンチド調査ショー」という番組で、フット後藤、ホラン千秋MC、「ザワつく」メンバー、サバンナ高橋、長嶋一茂、石原良純の他、みちょぱ、ミキティ、大久保佳代子、あばれる君が解答者という構成で昭和・平成・令和の世代間ギャップのある世の中の事象をクイズにする、以前はよくあった種類の番組だったが、この番組によると十代には「ブログ」はいささか古いものらしく、主流はツイッターやインスタグラムなどSNSに移ったという。その理由に長い文章を読むのがメンドい、といったものがあり、考えさせられた。つまり、それはちょっと困るなと。で、まあ、事実、SNSの場合、書いているおれも短い文章を投稿してしまうことが多い。このアメブロというブログ、テレビコードということなのか、CMを使って間接的にドシオをかけて来るので、苦手だが、どうしたらいいだろうなあ。迷ってます。


(22時30分)タイトルはドアーズの曲名だが、禅宗に汝、生まれたままの娘生(じょうしょう)たりか、というのがあった筈で、迷える娘生というつもりで付けた。


(30日13時46分)

十九世紀半ば、日本は太平洋にやって来た蒸気船に仰天し、薩英戦争で彼我の武力の違いに慄然とし、西南戦争で西郷は熊本城貫通の衝撃を身をもって知った(つまり、ただに江戸幕府が倒れただけではない)。それから追いつけ追い越せで釈迦力の奮闘をして、確かに日露戦争には幸か不幸か勝つことができた。が、その後に現れた、より新しいテクノロジーであるラジオがやって来た時、どうなっただろう?   果たして、この歴史は日本だけに特殊な現象なのだろうか。私見では、日本が真に現代技術に追いつき、洗礼を浴びて近代化したのはつい先頃の八十年代のことである。という事実を考えるとき、アジア版EUの構築が現在可能だろうか。ツイッターに書いたこともあるけど、おれは懐疑的だ。


(10月2日9時41分)

今朝の中日新聞に載っている田中優子法政大前総長のコラム(「視座」)、もしかして、おれに向けて発言したものなのか? おまえはファシストであるか、少なくともその気がある、と指摘している。


(7日23時15分)

同時代のスパランツァーニに代表される科学とは、最終的には(物理的な、あらゆる係累を断ち切った、個の)人間=自動人形になる、とE・T・A・ホフマンは言っているのだろう。そしてホフマンもまた、認識できない人間はなるほど魔性の力に様々に操られる人形に過ぎなくなってしまうだろうと考え、確かにわたしも別種の一人のスパランツァーニなのだと宣言した、ということだろう。