いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった
友達が太田を訪ねてきたので、家内と三人で草木湖にある”富弘美術館”にいってきた。
私はこの詩を読むと、いつも肩の力が抜けて安堵を感じる。
何回読んでも、実にいい。
作者である星野富弘さんの気持ちがわかるような気がする。
しばらく静まって、”おだまき”の絵とこの詩をながめていた。
いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが 苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが
嬉しかった
友達が太田を訪ねてきたので、家内と三人で草木湖にある”富弘美術館”にいってきた。
私はこの詩を読むと、いつも肩の力が抜けて安堵を感じる。
何回読んでも、実にいい。
作者である星野富弘さんの気持ちがわかるような気がする。
しばらく静まって、”おだまき”の絵とこの詩をながめていた。
(タイで孤児院を開いている日本人、名取 和美さんを高橋 和己先生が訪問した時の話です・・・)
スコールが降って、屋根から水滴が落ちてきます。それを子供たちが「わあー、雨が降ってる!」と言って、じーっと眺めている。それを見ていて、名取さんはとても幸せだと思うんですって。
苦労をたくさんしている人なのですが、苦労が不幸なのではないんですね。
苦労がないから幸せなのではなくて、彼女は自分のやっていることに満足しているから、幸せなんですね。
ですから、雨だれを見ているだけで、幸福を感じてしまうのです。
(高橋 和己先生、「楽しく生きる」TCS友の会 から抜粋)
・肩の力を抜く、これも大切な力なのです。ものをあまり堅苦しく考えないということなのです。(「聖書力」中野雄一郎 から抜粋)
・右が良いか左がよいかと真剣に迷っている時に、肩の力を抜いて、より大きな視点と豊かな知恵を借りて見直すと、第三の道が見えてきたりします。
・恐怖心で身も心も固まってしまった時に、肩の力を抜いて、しっかりと前を観ると、本物が見えてきたりします。
肩の力を抜くと、心に平安が訪れる。
我力と意固地を捨てると、許しと寛容の心豊かな世界に入る。
自分を許し相手を許すと、そこに愛が生まれる。
廻りの人たちが私に示してくれた愛、これが心に大きな豊かな平安を与えてくれる。
(メーメー記)
つらい時に、落ち込むのは簡単。そういう時に胸を張って、顔を上げて、力を生み出せるかどうか。逆境に立った時、何ができるか。乗り越えられない壁を神様は与えない。試練を楽しめるようになって、ゆうやくプロ選手になれた気がする。
楽しいことをするのではなく、今していることを楽しむ。「遊戯三昧」という禅の言葉を、球児のみんなに贈ります。
元プロテニスプレーヤー 杉山 愛さん 朝日新聞8月14日 より抜粋
新聞を読んでいたら出会った言葉です。やっぱり、試練を乗り越えてきた人の境地はすばらしいですね。
少し解説を加えてみます。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(聖書 コリントの信徒への手紙一 10章 13節)
禅の道場では、洗濯、料理、裁縫といった自分の日常生活に関わることはすべて自分で行います。そのとき、これらを「仕事」と思っていてはいけないんですね。「遊び」にならなきゃだめだ、と。遊びにならなきゃというのは、そのときその場で行うことに最大限没入して楽しみなさい、ということです。
先回upしたときから大分時間がたってしまいました。
実は、カナダ・アルバータ州シルバンレイク・サニーサイドで開かれたキャンプに10日間ほど参加していました。このキャンプのすばらしさは別の機会に紹介しようと思います。
一昨年、私が病気で入院し心細くなっていたときに、ある友人が次のような詩を送ってくれました。ほんとに弱っていた心を慰めてくれました。
『病気になったら』
病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう
恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
じぶんの弱さをそのまま受けいれるチャンスを
◇
病気になったら おもいきり甘えよう
あれが食べたいといい
こうしてほしいと頼み
もうすこしそばにいてとお願いしよう
遠慮も気づかいもいらない
正直に わがままに自分をさらけだし
赤ん坊のようにみんなに甘えよう
またとないチャンスをもらったのだ
思いやりと まごころに触れるチャンスを
◇
病気になったら 心ゆくまで感動しよう
食べられることがどれほどありがたいことか
歩けることがどんなにすばらしいことか
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか
忘れていた感謝のこころを取り戻し
この瞬間自分が存在している神秘
見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
またとないチャンスをもらったのだ
いのちの不思議を味わうチャンスを
◇
2
病気になったら すてきな友達をつくろう
同じ病を背負った仲間
日夜看病してくれる人
すぐに駆けつけてくれる友人たち
義理のことばも 儀礼の品もいらない
黙って手を握るだけですべてを分かち合える
あたたかい友達をつくろう
またとないチャンスをもらったのだ
試練がみんなを結ぶチャンスを
◇
病気になったら 安心して祈ろう
天に向かって思いのすべてをぶちまけ
どうか助けてくださいと必死にすがり
深夜 ことばを失ってひざまずこう
この私を愛して生み 慈しんで育て
わが子として抱き上げるほほえみに
すべてをゆだねて手を合わせよう
またとないチャンスをもらったのだ
まことの親に出会えるチャンスを
◇
そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受けいれて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
天の親に抱きしめられて
自分は神の子だと知るだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき
出展(「恵みのとき 病気になったら」 詩:晴佐久 昌英 サンマーク出版)
相手が「イエス」か「ノー」のどちらかの反応をする可能性は半分半分です。
そのどちらが返ってきても「私はOK」で、どちらにも対応しようという気持ちになっていることが大切です。
平木典子(出典:「言いたいことがきちんと伝わるレッスン」大和出版)
私は”その人にはその人なりの事情があり、考え方がある”というあまりにも当然なことを忘れてしまうことがあります。
自分のことだけに夢中になって、話し相手のことをよく忘れてしまうんですね。
そのような時に、自分の意見に反対されたりすると驚きます。
最近、人と話をするときは、いつも「ノー」と言われることを念頭において話すようにしてます。
良く知った人であれ知らない人であれ、自分とは独立した人々ですからね。
そのように考えるようにしてると、自分の意見に反対されてもあまり動揺しないようになりました。
想定外の出来ごとではなく想定内であることで、心に余裕ができるんだと思います。
「人の思いは、その人の雰囲気となり。
人の思いは、その人の行動となり。
人の思いは、その人の人となりをなす。」
(フォレスト・C・シャクリー)
この文章は、更に次のように続く。
”思い”とは何か。
誰も思いを見たことはありません。
見ることができるのは、思いが私たちや他の人々に与えた効果だけです。
しかしなだら、ひとつ明らかなことは、思いは肉体と密接な関係があるということです。・・・
・シャクリー先生の著書「我が生涯の哲学」から抜粋した一文です。
”常日頃、人が心の中に何を思い描いているか”ということが非常に大切なことである、と気付かされました。
すばらしい著書ですネ。
・余談ですが、私はある人に勧められて、シャクリー社(米国のサプリメント販売会社)の”VIVIX”を食べています。
先日、NHKスペシャル「あなたの寿命は延ばせる~発見!長寿命遺伝子~」が放映されました。
その中で”レスベラトール”という物質が長寿のポイントである、と紹介されていました。
”VIVIX”は”レスベラトール”が主成分であることに驚かされました。
一言でいうと”私は既に長寿の秘薬を食べ続けている”ということです。
あくまでも、余談でした。
「今日『6日』は一年間に12回ある。『7月6日』は毎年巡ってくる。
しかし、『2011年7月6日』は、永遠の時の中で今日一回のみ。
貴重な今日を感謝して大切に生きよう」
”毎朝、目が覚めたときに声に出して呪文のように唱えると落ち着くよ”と田中信生先生(この先生のことは後で述べますネ!)が教えてくれた。
BLOGを造る目的もこのようなところにあるのかもしれない。
同じような日が流れてゆくけど、一日一日皆違う。
その真珠のような一日を書き留めておきたくて造っている。
自分がこの世に生きているという証を感じたくて造っている。
「ひと粒、ひと粒の一瞬がつながってできた真珠の首飾りが、私たちの人生」(金子由紀子)
線は点のつながり。ひとつの点を”ひとつぶの真珠”と考えてみる。
その真珠の首飾りが私たちの人生。
一瞬イッシュンを大切にして生きたい。
「ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず 」(鴨長明)
同じような日々が続いていますが、一瞬イッシュン違うんですよね。
確実に何かが違ってゆく。
近くの小川の流れを観ていてもあきないよね。
夕方に散歩したときなんか、ジーッと観ていると”良くここまで生きて来たもんだ、否、生かされてきたもんだ”と、もの思いにふけります。
昔の人が同じような感慨をもって造った言葉だと気がつくと、急に昔の人々にも親しみが湧いてきます。
言葉の力ってすごいよね。
時空を簡単に超えてしまう。
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」(吉田兼好)
この言葉でハット気付かされた。
みなさんがBLOGをやっているのも、私がやおらBLOGを始めたのも、この言葉と同じような動機じゃないのかな!
BLOGに書き付くれば心がおどり、ドキドキし、そして落ち着いてゆく。
だんだん私もBLOGが続けられそうな雰囲気になってきた。