小、中、高と当時の少年は「格闘技」が大人気だった。今はサッカーやゲームにかわっているが、、。力道山の「空手チョップ、ルーテーズの「脳天逆(さか)落とし」、グレート東郷の「頭突き」、「コブラツイスト」などの技にあこがれ、また反則技に怒って大声を上げたものだ。実際体育館の片隅でプロレスごっこをして女生徒が通りかかると突然「金的蹴り」をやる(やったふり)。相方が又上手に呻いていたがる(これも振り)。女生徒が顔をしかめ「バカネ」と笑わせたら喜んだ。かようにプロレスは「ショー」なのである。本当にやったら死んでしまうからだ。
高校時代体育は「柔道」を3年間専攻した。やってみて分かったのは、体が重い方が圧倒的に有利だということだ。試合場は広いし、相手が重ければ技が効かない。逆に体を浴びせられて寝技で押さえ込まれる。 柔道が体重別というのは正解だし、科学的にも沿うものということが身をもって実感できた。
柔道に比べて「相撲」は大きい方が有利だが必ず勝つとは限らない。なぜなら狭い円形の「土俵」の外に早く出たほうが負け、それと足以外が土俵についたら負けというルールにある。これなら小さいものにも「やりようがある」のだ。古代、相撲は神事だったが「蹴り殺し」とか相手が死ぬこともある恐ろしい勝負だった。長い「興業」の中で多くの「禁じ手」が決められ48手という技も定まった。安心して見れるスポーツになったのである。だから相撲は基本「ガチンコ」の格闘技になった。
相撲は奥が深い。俺は名手「北の洋」(きたのなだ)の「網打ち」が得意だった。相手の片手を極めたまま、もう片手を極めた手側の脇の下から掬い、相手を引いて俺の後ろに倒す、、という技で、相手は関節を極められて痛くてやられるしかない。本当は窮余の捨て身技なのだが俺は攻めて相手が堪える力を利用して打ったものだから百発百中決まった。ただ先生に危ないということで「禁じ手」にされた。 これだけでなく、状況、相手の体格、に応じて千変万化の技がある。
「小よく大を倒す」があり得る、意外性一杯の格闘技と言える。
と言っても、小兵と言われる小さな力士は「死ぬ覚悟」で取り組むものらしい。「舞の海」は小錦や武蔵丸、曙らのハワイ力士とやる時は、相手力士のあまりの大きさ、体力の違いを間近で見て、怖かったと言っている。「死ぬしかない」、目をつぶってぶつかっていったと述懐している。 二代目朝潮が近大で相撲を取っていた時、大学対抗戦で相手方に会社時代の後輩が、駆り出されて対戦したらしい。 その時も土俵に上がったら相手の大きさとオーラに圧倒され、「殺される」と思い、立ち上がったら自分から土俵を割ったそうだ。
俺たちは一番の相撲がわずか十秒前後で終わる事が多いから、あっという間に決まって内容がないなどと愚痴る。
しかし彼らは相手につぶされる恐怖心を抑えぶつかっていく。押し相撲は「逃げられるかも」という恐れを殺しぶつかっていく。そう戦うしか勝機がないからだ。 体を鍛え稽古で相撲を体で覚える。作戦を考え相手を研究し尽す。けがは仲間だと思って、稽古、勝負のなかで直すしかない。勝負の最中何かでも自分にチャンスが来ることを信じて戦うのみという覚悟が伝わってくる。
誰も舞台の裏を説明はしないけれど必ず秘話がある。そんなことを思いながら大相撲を見るとずっと面白くなり惹きつけられると思う。楽しんでほしい。
義理の弟は水産高校の相撲部で活躍した。 俺の学校には相撲部がなく競技生活を送ることはできなかった。ただ今の体型(肥満)や病気(糖尿病)を考えると相撲部で、もっと食べて体重を増やせ!とやっていると、今生きてはいないと思う。もっともその前に「しごき」や「顎での使い」にトンズラしていたかも。
「大相撲」、「相撲界」を毎号舐めるように読み、勝負の分解写真をみて勉強した。。皆がやってみる、遊んでみる相撲、それが原点だ。もう一度言いたい。
「相撲」よ!僕らの元へ戻ってこい! そのための仕掛けづくりを急げ!