梅雨明けは未だなのに、家の周りには蝉が飛び、鳴いている。もうすぐ夏休みが始まる。
北国の田舎育ちの俺にとって、都会の夏休みは、「憧れ」だった。 なにせ一月以上の長い夏休みなのだ! 一方田舎の俺達は、始まるのも遅く、終わりは早く来る。 理由はほかの休みが多く夏休みの期間がその為縮められたせいだ。 まず、「田植え休み」子供を手伝わせるためだ。農家でなかった俺は遊べると喜んでいたが、村の人に(労働力を)あてにされて馬や牛で田んぼの仕事をさせられた。妹も子守りだ。秋の「イナゴ取り」、「落穂拾い」で合わせて1週間。学校の備品ーバット、ボール、マット―を手に入れるためだ。 冬休みは雪が多く通学を考慮して長かった。山間部の生徒は二つの「分教場」で雪が溶けて春になるまで学ぶ。更に一週間程度の「旧正月休み」。その当時田舎は未だ旧正月がメインで町に行けば「市(いち)」が立ちそれは賑やかだった。
こんな訳で短かった夏休みではあったが、楽しみそれは「水遊び」だった。連日近所の川に行き、素潜り、水泳を満喫した。たまには発電所からの放流が合流する大川に行き「川の横断」に挑んだものである。ただ中学生になる頃には農薬で汚染され川遊びは禁止、水泳は新しくできた学校のプールでやれということになった。
うなぎや魚とり、畑から拝借した茄子やキュウリのウマさ! プールで遊べって? いやだよ!
赴任先の米国では長い夏休み、子供たちをサポートする仕組みがあった。地域のコミュニテイが開いてくれる10日間程度の「デイキャンプ」毎日通うことができた。少し高学年になると「サマーキャンプ」、日本でもある「トムソーヤ村」でのような体験キャンプだ。中学生になった長女は遠いペンシルバニア州の丘陵地にある一月間の「全寮制」式のキャンプに行った。見も知らない子供が共同生活をして毎日行事を協力してやり遂げる。お金はかかったが娘には得るものがあったのか?親の「自己満足」だったのか?
今俺は皆には悪いが「毎日が日曜日」状態だ。あれだけ夢見ていた長い夏休み!
作家城山三郎はこれを「無為徒食、砂を噛むような味気なさの、退屈な日々」と表現した。
でも俺はおかしいのかそうは感じない。「何とも贅沢な、天下を取ったような毎日」とでも言おうか。
子供時代の鬱積した日常に対する今になっての解放感なのか?
「ただのナマケモノ! 物臭太郎なのよ! それだけ!」