数年前、会社時代の大先輩(70代後半)がリタイア後の生活訓について教えてくれたことがある。

「とにかく、T.V.のニュースを見ない! 見れば必ず頭にくるから。興奮が一番悪い」というものだった。


現役ではないし、行動力も影響力も無くなった人間が今更世を嘆いて、憂いてどうなる?、ストレスが溜まるだけで、いいことは何もない、、、とまあこういうことを言いたいんだろう。


思い返してみると、若い時はまるで逆ではなかったか?と思う。

結果とか、失敗とか、周りの状況とか、先ず「ネガテイブ」なことを行動する前に考えたことはなかった。そんなことが一瞬でも頭をよぎったことがないし大事なことだとも思わなかった。

「青春時代」、それは自分の人生の中で、結果的にではあるが、間違いなく胸を張って誇れる光った時であったと思う。


小学校から中学校時代、成績は別といして、「態度」はいつも問題点だった。「落ち着きがない」、「注意力散漫」、「言われたことを素直に聞かない」、「周りを煽る」、、、問題児という指摘で、俺の両親が教師で彼らの先輩ということからか終わりには「私の指導の仕方が未熟なせいで、、、」という謝りの言葉が続いた。

確かに「素直な」子だったなんてことは主張しない。ただいつも何故そうしなければならないのか、納得しないと、前に進めなかっただけだったのに。  いつも最期は皆説明をせずに、「理屈を言わず言われた事をやれ!」だった。


もうひとつ(今から思えば)正しいコメントも少しはしてくれたことを言わないと片手落ちだろう。

「正義感が強い」、、、、、これは、中学3年までいつも通信簿に書いてあったが、両親にとっては付け足しのようなもので、誰も評価してくれなかった。ただ自分はそれだけは(存在を)認めてもらったと感じてうれしかったのを覚えている。考えてみれば「正義感」で自分の人生を行動してきただけかもしれない。


あの頃はストレスを感じるから、世の中に目をつぶれ!等とバカな訳知り顔をせずに、怒れる時は怒り、感動した時は、素直に感情をあらわにした。時にデモや手紙、電話あらゆる手段を通じて世にこの気持ちを伝えようとした。


青春時代だからそんな態度が取れたのか、社会に出れば、正しいと思った事さえ何も出来ないようになるのか、その違いは、「うまく世を渡れ」という新たな考えをそのまま受け入れるのかどうかというこだけであって、単なる自分の考え方、生き方がどうなっているんだ?ということに帰着する。


今でさえ我々は、考え方をちょっと変えるだけで、「青春時代」を取り戻せる! 今もあの若いころと同じ気持ちで毎日を送れる! 変革への熱き思い、自分へのゆるぎない信頼と自信、周囲や友への心からの素直な呼びかけ、、、、今でも青春そのものと変わる。


あの頃は、「未来」、将来」に不安を覚えるよりも、自分の「可能性」に賭けることのほうが大事だった。


今でもそれは正しいと思う。世俗的な世渡り上手に世の中を変える力は、(昔も)今もない。

正義感も、前に進んで考えるスタンスも基本的に正しいこと、大事なことだ杜思う。

変革を求める気持ちが「進歩」への原動力ではないのか?


今若人が限りなく愛しい。