俺の故郷は「あの福島」だから、放射能の値で大揺れだ。 住む所の制限もあれば、生産する野菜やコメ、牧畜への売れるか?という現実的な被害もある。海洋汚染も心配だから、漁業の再開もまだ先の話だ。 原発の誘致に血眼になっていた時も知っているし、現に「補償」や「補助」でウマイ目を当てた人たちも多い。
しかしここへきて、みんな「被害者」だと叫んでいる。 「想定外」とか「安全対策に不備」とか今更批判するが、反対意見を無視、黙殺して強引に誘致したのは今被害を訴えている人たちではないか?
最も一番の悪は、何の安全性の根拠もなく、原発を日本中に設置してきた、国と企業の原子力発電関係者だ。またその周りには、政治家を初めこの利権の匂いに群がった連中もいる。
「原子力の平和利用」は戦後の初めからずっと言われ続けてきた。特に広島、長崎の被爆を体験した日本国民への教育は、「被爆に対する風化教育」として一貫して行われてきたといって過言ではない。
「原子力の安全神話」はこうして意図的に育てられたものだ。
しかし考えても見よ、この狭い国土、山が7割を占める国土で人口の集中する海岸に原発を作ったものだから、ひとたび原発事故が起きれば、国民は逃げる事が出来無い。今回、首都圏まで爆風が届かなかったのは、僥倖だったとも言える。今や我々はいつ爆発するか分からない山の上に寝ているようなものだ。
今回の事故(未だ総括も全然終了していないが)を教訓にもう一度原発の在り方、ひいては国家のエネルギーと環境政策の根本的見直しを迫られていたはずだが、しかし何の考えもなしに従来路線に沿って、従来の根拠のない「安全神話」の押し付けというやり方で、又同じ道を進もうとしているのだから、一体彼らの「利権」はいかほどのものかと本当に勘繰りたくなる。
みんなで渡れば怖くないという無責任な「護送船団」方式は、国際的にも壊れているのに、、、。
電力事情は原発に頼らざるを得ないように進めてきたから、こうなっているのであって、方向転換し政策転換の手を打っていけば、一定期間後には別な状況に換えられるのは自明のことだ。
いずれにせよ、今回で明らかになった事は、巨大なリスクと引き換えに、現在の原発稼働を進めるのかという国民投票か、あるいは総選挙の争点にしてでも国民の審判を仰ぐ性質の極めて重要な課題だと思う。
今大騒ぎしている大幅な消費税のアップと匹敵するかそれ以上の問題だと思う。
地球温暖化や地球資源の枯渇という前門の虎と、原発被災という後門の狼という事態に直面して、ほかに(例えば横に)逃げ場、活路が見いだせないのかという議論もあるはずだと思う。
国家や国民への責任、愛、を持っている人間なら、もう少し真剣に、悩み、考え、行動するだろう。
やり直しが難しい局面が迫っているから、それだからこそ、ここは「長考」の一手だと思う。