極道世界の話ではない。 れっきとした我々「娑婆」の話である。

我が国には、世界に全然理解されない「建前」と「本音」の社会がある。加えてその「建前」も時には、説得力に欠ける極めてお粗末な論理であることが多い。  思うに我々日本民族は、永い島国生活の中で、「長いものに巻かれろ」とか「周りを窺いながら己を処する」式の本能的な生活の知恵を、生きる上での「ポリシー」としてきたように思う。


多民族国家では異なる文化、風習の人とコミュニケーションを取ろうとすると、日本の様に「阿吽の呼吸」とか「KYしろ]なんて無理だ。「言葉」を通じてしか意志を確かめ合う方法が無い。


こうした結果、議論(デイベート)が発達し、論理性ということが、重要かつ必要な骨組みとなる。

「基本は曖昧にして、その場その場で適当につじつまを合わせる」式の我々とは、正反対だ。

しかし、彼らのやり方が現代の「グローバルスタンダード」なのだから、それに合わせるしかない。


となると真っ先に困るのが、さっきの「本音と建前」のいわゆる「ダブルスタンダード」という処世術だ。

どの国だって実際にはあるのだけれど、「大義名分」「錦の御旗」で多民族国家をまとめる必要があるから、徹底的に建前社会を作ってきた。 彼らにとっては日本の政治家の低レベルの「失言」なんて信じられない出来ごとだと思う。 そんなに「自分を律することが出来ない人間が「ステーツマン」だって!?ってね。


もう一つ困るのが、「周りを見て自分を処する」態度で、流行りの「KY]という言葉が見事に表している。

自分というものが無いのか?先ず自分の考えありきだろう!自分の意見の正しさを証明しなぜその実現に全力をあげない!根っからの負け犬か?、、、、、、、とまあ良いようには、理解されない。


しっかりした大義名分を持ち、論理立てて説明をし、誰にも理解されるふるまいをする!

日本ではそれを、「筋を通す」という! 我々にもそんな考え方があるってことを思い出してほしい!

「日本の品格」という本がベストセラーになったが、西洋の「騎士文化」が彼らの深いベースとなっているように、

日本にも「武士」の作った精神文化の伝統があることを気付かせてくれた。


「世のため、人のため」とか「公僕」等という言葉にも目線というか、意識や考えの高さが表れていると思う。

高度経済成長で「貧乏」から脱した喜びのあまり、「清貧」、、、という貧乏でも尊敬されていた大事なことまで忘れてしまったのか?  昨今の、金さえあれば、、、、という風潮では未来への成長も世界からの尊敬も期待できないと思う。


また車の話をしよう。

プリウスが大人気だ。エコ減税がさらに追い風となっている。  しかしこれだって長い歴史がある。

トヨタは将来環境技術が、自動車産業の盛衰を決めるとして、HV車を大赤字でも量産化に必死に取り組んできた。 何とも「筋の通った」話ではないか? スバルもずっと「技術屋集団の会社」みたいに「AWD,水平対向エンジン」、に拘りながら安全と走りを一筋に求めてきた。  ここで(俺の私見だが)トヨタから「お客」側の視点を教えられ、乗りやすさを考えた車に発展させている。海外でとくにアメリカで今大善戦らしい。拍手!


苦労はする。実現するかは分からない。短期的には「出世」出来ないかもしれない。

目線をあげ、背筋を立てることは慣れないと窮屈かもしれない。

しかし、これからの時代、「高度成長の再来」は期待できないと思う。

「お金、お金!」に代わって「自己実現、自己満足,と,他者からも尊敬され、認められる]、そんな生き方を大事にしたい。


筋を通す! それでいいじゃないか!