今、さまざまなところで、「賞味期限」の話題でいっぱいだ。 最近では、モチロン石田純一だろう。

彼はまさに、「男の賞味期限」について考えさせてくれる。22歳年下の彼女、 女子プロゴルファーの東尾理子さんは、彼について「いつも前向きで、自分に厳しくて、私に生きることへの刺激を与えてくれる人」だという。 ウン、ウン。

思うに年齢で評価するのでなく、生きるスタンスが、瑞々しければ、「華」があり、賞味するに足る、、、ということだろうか?


だいたい、昔、「賞味期限」という言葉を聞いたことがない。  食い物が十分に無い時代だったから、「食べれるかどうか?」であって「美味しいかどうか?」は二の次だった。  食べれるかは、まず匂いを嗅ぎ、次いで口の中に入れ判断した。 若干問題があっても「下痢はしない」という勘が働けば食べた。それで、エライ目に会った時もあるが、、、、。


現代は、飽食の時代と言われるほどだから、飢餓の恐怖は無いし、「美味しいものをちょっとだけ食べる」まさにグルメ感覚だ。   俺は、例え「賞味期限」が過ぎても、口に入れて問題なければ食べることにしているが、娘達からは(口には出さないが)、「野蛮人」、「縄文人」という目で見られている。  味方と信じていた女房からも、「口の中に入れないと、私の料理が信じられないの!腐ったものなんか出さないわよ!」と尖った声を浴びせられる始末だ。


しかし俺はくじけない!

「俺は、アナログ人間だ!それがなにか?」と言いたい。自分の五感(六感も入るぞ)でモノが判断できないなんて、人類は、どこまで退化したんだ! データなんて後から出てくるもので、とっさの際に役立つもんじゃない。

自分の力で判断できるように、己を磨く!     そして偉そうに言う。、、、、「己を信じろ!」、、、、と。


そういえば、車にも賞味期限はあると思う。   勿論、エンジンがブローする「寿命」とは違う。

理子さんがいうように、生き生きさが、失われた時が俺にとっての車の賞味期限だ。

塗装が剥げきって始末できなくなったり、どんなに踏んでも力が出ず坂を上がらなくなったり、訳も分からずによくエンストするようになったり、、、と車との一体感が、愛着が薄れていく時だ。


しかし女房の「フォレスター」を見ると、そんなときがくるのかな?という疑問を持つ。

野獣が音もたてず、爪先立って歩き、走るように、敏捷だ。。 悪路も、山も、平野も、軽やかに駆け抜けていく。

恐らく、寿命がくるまで、賞味期限の内(うち)なんだと思う。


俺のブログを本線は、「車ネタ、フォレスター」のテーマではないというやつがいる。

実は、それに名を借りて女房への愚痴を言いたいだけだと、、、。


とんでもない誤解、言いがかりだ!俺はいうゾ!

フォレスターと同様、いやそれ以上に、「生きてる限りいい味の、賞味期限内の女性だ!」

、、、と、ここまではいつも叫んでる気がするが、、、、、、


残念ながら、我が女房殿はこのブログを読まないのだ(泣)、、、、、、、、。