こんにちは、仲間と打ちに来ている人からは同じ服で結構いつもいるおっさんと呼ばれているであろうおっさんです。

 

前回の続き

ビギナーズラックを無事に終え翌日も行きたくて行きたくて授業中から頭の中はベンハーのことばかり。

5時間目の行間に友人に今日も親連れてきてくれよ、行こうぜと口説き落として意気揚々とスタンバイ。

 

結果見事に全て持ってかれましたww

 

ここからは俗にいう平台というものを覚え始めます。

300円ずつ玉貸し機に投入します。

当時は台サンドなどなく、島の真ん中にある玉貸し機に行き、お金を入れ、玉が出てくる所を手首で上げ

お皿状にした手のひらで受け取ってそのまま台に投入してました(懐かしいなw)

※慣れてくると200円分程度なら片手で行けました

 

当時は西陣黄金期と勝手に言ってますが、赤べえを筆頭に西陣の台ばかり打ってました。

釘読みなどできないのに分かるふりしてみて座ると全然落としが泣かないwとなりのおばちゃんが打ち止めしてます

当時は打ち止め(3000とか4000発出るとその台は終了)があり、三角の打ち止め札を台のガラス面に挟まれて

強制終了です。

午後や夕方に開放抽選があり、くじに当たると打ち止めになった優良台と思召す台を打てる権利を得ます。

親の財布から2千円程度盗んで打ちに行っている中学生です、お金は潤沢ではないので解放台の抽選に当たっても

500円程度しか打てなくて、どいた瞬間におじさんに取られて打ち止めされることもしばしばでしたね。

(ガラス面に挟んだ打ち止め台の札はひっくり返すと裏面が解放台と書かれた札に早変わり!いったん打ち止めになったら閉店までその札は取られませんので、空くとすぐハイエナされます)

首尾よく打ち止めすると当時のレートで6~7000円程度になりました。

中学生にとっては大金ですが、感覚はすでにマヒしてましたねw

 

つづく