最近、つくづく思うんだ。
わたしの片付けって、
『明日、わたしが死んでも、
家族が困らない家づくり』
なんだなぁって。
もし、もしだよ?自分が死んだ後も自分の魂や想いがその場にあって家族や大切な人を見ていたとして、生きるのに、生活するのに、暮らすのに困っていたら、
きっと死んでも死にきれない。
大事な人が死んだらそりゃ悲しい。
生きる希望を失ってしまう。
愛する人の命の息吹がそこに感じられないと、立っていられなくなるだろう。
でもね、でもね、
それでも生きていかなきゃいけないわけじゃない?
愛する人を失っても、わたしの命はまだボーボーと燃えているわけじゃない?
今日も、明日も、明後日も、
ご飯を作り、お茶を飲み、ペットの世話をして、子供たちを送り出し、仕事をする。
わたしが居なくなっても、
あなたが居なくなっても、
命は、
生活は、
暮らしは、
脈々と淡々と受け継がれていくわけじゃない?
それを少しでも不自由なく、困らないように、前を向いて行けるようにしてあげたい。
してあげたい。
これは愛なの。
わたしの片付けは、もしもの時のための、愛する家族への愛なの。
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