先日の出来事。


ある会合に参加させていただくことになり、自分の自己紹介文を100字以内にまとめるという作文をしました。わたしが書いた作文は以下の内容です。👇




おそうじやさん八王子まりこ

(本名:のぞえまりこ)


ステップファミリーの母。発達障害の診断を受けた娘がいる。過去に、精神疾患当事者運営のNPO法人で相談員の経験がある。

現在はおそうじやさん八王子まりことして個人で活動している。

"片付け" "掃除"は人の人生を大きく動かす事を信条に、生きるための片付け、掃除をお客様のお家に提供している。



それを友人が添削してくれて、且つ、わたしの価値を高めるためにわたしの作文なんかよりステキな文章にしてくれました。それが以下の内容です👇



野副真理子/おそうじやさん八王子まりこ

"片付け" "掃除"は人の人生を大きく動かす事】を信条に、生きるための片付け・掃除を提供中。

「家だけでなく、心も整えてくれる」と評判のサービスは、誠実で愛嬌のある人柄も相まって予約受付開始後すぐに1ヶ月分が埋まってしまう程。ステップファミリーで、発達障害の診断を受けた娘をもつ。精神疾患当事者運営のNPO法人にて相談員の経験有。自身の経験を生かし発達障害の悩み等に関するイベントも随時開催中。




そのあと、友人からこんな内容のメッセージが来ました。👇



『なんか、違ってるところとか、

まだ削れそうな文字とかあったら教えて❣️なるべく短い方が読みやすいから例えば、「発達障害の診断を受けた娘をもつ」のところ、「診断を受けた」って言葉削っても意味変わらないなら、削っても良い?』



この、"発達障害の診断を受けた"の部分。ここ最近、わたしはあえてこういう表現をしています。発達障害の娘がいるというのではなく、発達障害の診断を受けた娘がいる。わたしの中では大きく意味合いが違っているんです。


うちの長女は"高機能広汎性発達障害"という診断名が出ております。本人にも説明しております。支援学校に進学するときに、学校側から


「本人に説明していますか?本人は理解していますか?」


という質問がありましたし、学校側から本人に、


「なぜ自分がここの学校を選ぶのか、理由はわかっていますか?」


という質問に本人なりに誠心誠意応えるべく家で何度も説明し、本人も応えられるよう練習をしました。その時の本人は理解することより、応えられるように、自分の口で説明できるように、面接にパスするために覚えようと必死で、あまり内容を理解してないように思えました。


支援学校に入学し、最初に当たった壁は、"制服で判断されるということ"でした。本人が


「支援学校の制服を着ているから、そういう人に見られるのが恥ずかしい。電車がいや。」


と言うのです。


わたしとしては「早速きたかー」という気持ちでした。診断名に、高機能、広汎性と言う通り、なんとなくできちゃう、感じちゃう、わかっちゃう部分はあるんです。そして、通常級に長く在籍していたこともあり、同級生からの偏見の目や同級生たちとの差の開きに挫折をたっぷり味わった過去があるので、人の目を気にすることには長けている。なので遅かれ早かれ社会の目が自分をどういう目で見ているか。という現実に晒されるんだろうなーという懸念を抱いておりました。


本人は、


自分に障害があるとは思っていない。

発達障害という表現をして欲しくない。

発達障害と言われるだけで不愉快。

わたしをそんな言葉でまとめないで。


という気持ちです。


本人が理解、納得していない発達障害を、親のわたしが、「うちの子、発達障害で。。。」と表現することは、我が子を理解してないんじゃないか?って。


そう思うようになったんです。(わりと最近。)



もしわたしが、女性の体だけど自分を男だと思っていたら。自分の母親に、""ではなく、"息子"だと思って欲しい。


もしわたしが、空を赤く描いたら、わたしの空は赤いんだと思って欲しい。


本人がそう言っているのであれば、わたしはその気持ちを尊重したい。


ただ、特性として、発達障害と言われている内容の特性があり、一般的に発達障害というキーワードを使った方が話がスムーズなので、"発達障害の診断を受けた"という表現をしています。診断を受けてなくてもセルフチェックで、「ああ、わたし完全に発達障害だわ」という人も多いですしね。わたしも、娘のwiscに何度も立ち会ったので、内容をみながら「あー、わたし当てはまるなー」ということが多々あります。(コレはセルフチェックね。)


今回、自己紹介文を作文しながら、わたしがすごく大事にしてる部分にあらためて気づけたこと、そしてこれを書く原動力になってくれたとしちゃん(猫熊田としちゃん)ありがとうございますm(__)m